「島津亜矢」に魅せられて

大ファンの島津亜矢さんのことを中心に、日頃思うことなどを

持統天皇お手植えのしだれ桜

2008-03-31 21:33:50 | 躍動
時節柄桜の話題ばかりになってきています。お許し下さい。
この桜は岡崎市の北部「奥山田町」にあるしだれ桜の巨木です。持統天皇のお手植え(何代目か?)という由緒ある桜です。土曜日はまさに満開でした。

つぼみの頃はピンク色だそうですが、満開の頃には白い花が咲き誇るらしいです。いい具合に春の風になびいていました。

さくら道の尾藤てるさん逝く

2008-03-29 21:05:04 | 躍動
関島秀樹さんとご一緒する「さくら道バスツアー」でご縁をいただいた佐藤良二さんのお姉様「尾藤てる」さんがお亡くなりになったそうです。今朝の新聞の訃報欄で知りました。
佐藤良二さんの生前からの一番の理解者であったとお聞きしていました。
一昨年のバスツアーで佐藤さんの顕彰碑を訪ねた時の関島さんとのツーショット写真がありました。後ろの石碑に見える「二」は良二さんの「二」です。

ご冥福をお祈り致します。

葵桜

2008-03-16 19:36:03 | 躍動
岡崎の中心部を流れる乙川河畔、岡崎城公園周辺や伊賀八幡宮近くの伊賀川堤防にはソメイヨシノが沢山植えられており桜の名所として知られています。今年ももうすぐ見事な桜が咲き乱れることでしょう。このところの暖かさで木の芽もだいぶんふっくらしてきました。この季節はやっぱり気分がうきうきしてきます。

そのソメイヨシノより一足早く乙川河畔に『葵桜』が満開を迎えています。葵桜とは俗称で、品種は河津桜だそうです。近くの葵カントリーにも植えられておりこちらはだいぶん前から毎年早咲きの桜として新聞の地方欄に紹介されます。名前からしてここの桜を株分けしたものでしょうか。それとも単純に家康にちなんで名付けられたものでしょうか。ソメイヨシノよりもかなり濃いピンク色です。植樹は2001年と言いますからまだまだ若い樹です。
いよいよ春です。演歌桜です。(^o^)

『元社長』? はぁ?

2008-03-05 21:29:18 | 躍動
あの三浦和義氏がサイパンで逮捕された。20年前のロスでの銃殺疑惑の容疑者としてである。
事件の決着は日本国内では「一応」無罪が確定している。証拠不十分という中での最高裁判決が出たのであるから日本ではこの問題は解決済みであり、真相はどうであれ無罪が確定した。
銃撃事件の前年の頭部殴打事件(殺人未遂?)などの状況を鑑みるに、疑わしい点は多々あるが「疑わしきは罰せず」である。

しかしこのニュースがこれほどまでにテレビを賑わしているのは何故だろうか。日本とアメリカの司法制度が違いすぎるなどの点で、ある程度の興味はあるもののそんなに連日連夜にわたって報道するほどのことだろうか?もっと伝えなければならないニュースがあるのではないか。私などは今更彼の顔など見たくもない心境であるが・・・。
視聴率への偏重姿勢が日本のマスコミのレベルを下げているのでしょうか。

それにこのニュースを聞くたびに私をイライラさせる事がもう一つある。三浦氏を『元社長』『元社長』と連呼していることである。(ある種の私個人のヒガミと言えなくもないが)(^o^)
もちろん『元社長』に違いはないであろうが、このニュースで『元社長』という敬称を付けることが果たして適当なのかどうかはなはだ疑問である。『元社長』という立場、肩書きを利用して詐欺や横領を働いた事件ならそれも分かるが、妻を殴打したり銃撃したりという容疑と『元社長』という過去の職業上の地位とはいかなる関係があるというのかまったく理解できない。「三浦和義氏」や「三浦容疑者」では何故駄目なのだろうか。おもしろおかしく、そして仰々しく肩書きを付けて報じることでニュース性が(ニュースの重要度が)増すとでもいうのだろうか。この点でもマスコミの見識に大いに疑問符の付くところである。

板子一枚下は地獄

2008-03-04 19:02:37 | 躍動
漁師の仕事は厳しくて危険である。常に危険と隣り合わせであり、もっと言えば『死』と隣り合わせという覚悟がいる。いわゆる『度胸』がドーンと座っていないことにはいつ荒れ始めるやも知れぬ大海に乗り出すことなど出来るものではない。

  ♪ 沖は地獄だ 戦場だ~
というのはまさに亜矢ちゃんの歌う「度胸船」の一節であるが、やはり漁師さんは誰も、いつもこの覚悟を心の奥底に抱いて漁に出るのでしょうね。

それを支える家族も又半端な事では勤まらないだろうと思います。殊更妻の立場となれば相当な気構えがいるのではないだろうか。漁というものを生業とするものの宿命と言えばそれまでであり、毎日の暮らしの中ではそこまで深刻に考えて過ごしているわけではないだろうけれども、「いざ」という時の覚悟だけは常に頭のどこかに残っていることでしょう。

日常の明るい会話の中にもそんな厳しい現実が隠されているのかと思うと、ただそれだけでも漁師という仕事そのものに畏敬の念を払わずにはおられません。

そしてつい先日、それこそ「沖は地獄だ 戦場だ」という文句が現実のものとなってしまいました。政府や防衛省官僚に対する問題点が指摘されていますが、この親子の命はもう帰ってきません。

『浦じまい』という言葉を初めて知りました。事故直後は仲間の船も出て昼夜を徹して懸命な捜索が毎日続けられますが現実にはそのような状態をいつまでも続けられるものでもなく、家族・親族を中心にそれこそ断腸の思いで、諦めきれない思いを押し殺して覚悟を決めなければなりません。捜索打ち切りの儀式です。やりきれませんねー。

テレビの映像を見ている私達でさえ胸が締め付けられる思いでしたからその家族の方達、特に船長の妻であり息子さんの母である奥さんの心中は察するにあまりあります。

崩れ番屋で飯を炊きながら夫や家族の無事の帰港を待つ女の気持ちを思うと、「海ぶし」も心して聞かねばならないと思う今日この頃です。