「島津亜矢」に魅せられて

大ファンの島津亜矢さんのことを中心に、日頃思うことなどを

瞼の母 その2

2024-10-11 16:14:11 | 躍動
彦根コンサート、行ってきました。
進化し続ける島津亜矢 53歳。
「歌怪獣」の力量をいかんなく発揮しています。
この20年間、凄い凄いと言い続けてもなおまだ凄い!
そして席は少し左手の最前列、絶好のポジションです。(^^♪

前回の投稿でも言いましたが、予定していた現滋賀県米原市の中山道番場の宿を訪ね、そこにある蓮華寺というお寺にも寄ってきました。以前名神高速米原ICを降りてすぐの国道21号線沿いにあった忠太郎食堂というドライブイン脇に建っていた「番場の忠太郎」の銅像がお店の閉店の時から行方不明になっていたそうですが、それが最近見つかってまた生まれ故郷に帰ってきたというのでそれに再会するのも今回の目的の一つでした。
無事に縞の合羽に三度笠を身にまとい、生まれ故郷の村の中の四つ辻に帰ってきておりました。\(^o^)/



さて蓮華寺ですが、もとは聖徳太子が開かれたと伝えられる由緒あるお寺だそうです。詳しくは一度ググってみてください。



しかし私にとってはお寺そのもののゆかりよりも「瞼の母」関連の話に興味があったので、そちらのほうに気を取られつつお寺を見学させていただいた次第ではありますが。(なんと罰当たりなと言われそう)(*^-^*)
本堂への渡り廊下の壁に掲げられていたのが長谷川伸さんのお母さんの肖像画がだそうです。この物語は長谷川伸さんが幼いころにお母さんと別れて育ったという境遇からの思いを作品にされたものだと聞いています。



そんなこんなの思い入れを胸に刻んでの彦根コンサート、最後の最後、コンサートに締めくくりは夏休み前と同様に「瞼の母」でした。
「おっ母さーーーーーーーーーん!」
なお一層しびれました。(*^-^*)

今回のコンサートでは先日の「徹子の部屋」でもTaiyo君のバックコーラスで歌った「Amazing Grace」も披露してくれました。魂を込めた歌唱、アレサ フランクリンが歌う黒人霊歌を意識した歌唱になっていると感じました。生で聞けばより一層の感動が得られます。
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瞼の母

2024-09-16 16:04:05 | 躍動
中山道は番場の宿
現在の滋賀県米原市番場町
長谷川伸作「瞼の母」の主人公
忠太郎はこの村で生まれたとされる。

そこの蓮華寺というお寺に瞼の母
由来の地蔵尊が建っている




実は以前、といってももう11年も前に一度訪れたことがあります。
訪れた理由は言うまでもなく、亜矢ちゃんの「瞼の母」を聴くにつけ、その作品の主人公のゆかりの地をどうしても訪れてみたくなったからでした。
そして今回11年ぶりにその蓮華寺を再訪しようと思っています。
またしてもその理由ですが、今度10月10日に彦根市で亜矢ちゃんのコンサートがあるので、すぐ隣り町である番場の宿に寄らない手はないなと。

今年の7月までのコンサートでは締めくくりの曲がその「瞼の母」でした。
『おっ母さーーーーーーーん!』
曲のラストの、あの忠太郎の悲痛な叫び声が耳の奥で響き渡っています。
地蔵尊の台座に刻まれた「親をたずぬる子には親を 子をたずぬる親には子をめぐりあわせたまえ」
長谷川伸さんも幼いころに母親と別れたという境遇だと聞いたことがあります。そんなご本人の思いが込められたあの叫び声がまた聴けるのでしょうか。
まさか今年後半のシリーズでは最後の締めの曲が変更されていたりすると私的にはちょっと寂しいところだけれど、運を天に任せてみよう。

以前国道沿いのドライブインにその番場の忠太郎の銅像が立っていました。しかしそのドライブインが閉店した時からその銅像が行方不明になって
しまっていたらしいのですが、それが最近見つかって番場の宿に帰ってきたとも聞いています。それもぜひ見てみたいと思っています。



はてさて、私の願いは叶うのでしょうか。10月10日が楽しみです。
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そういえば、、

2024-05-12 18:15:27 | 躍動

そういえば思い出したことがある。

今年が2024年ということは

1974年(昭和49年)から数えて

もう50年になるんですね。

50年前の5月12日が私たちの結婚式の日でした。

二人そろって生きていれば世間では『金婚式』と

言うらしい。(*^-^*)

以前は毎年妻から言われるまで気にしたことも

なくて、「今日は何の日か覚えてる?」なんて

聞かれても「えっ? なんだった?」みたいな

返事ばかりしていた記憶しかないけど、

やっぱり50年という区切りの年ということで

思い出したのかなあと。

まあ相方がいない50周年なんて何の意味も

ない只の一日ですが。(#^.^#)

でもたまにはそういうことを思い出して

人生を振り返ってみるのも悪くはないかな。

(^_-)-☆
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77歳

2024-04-30 12:07:31 | 躍動
なんと、77歳、喜寿になりました。

というか、自分でも信じられないところですが、

なってしまいましたというのが本心に近いかな? (*^-^*)



喜寿の祝いのおしるしは紫色の頭巾とちゃんちゃんこだとか。

本物のちゃんちゃんこに替えて今はこんなしゃれたものがあるんですね。

子供たちからのプレゼントでした。



子供たちにも、そしてまあなんとか健康な体にも

感謝、感謝です。



こちらは先日食事に行ったお店から頂いた差し入れです。(*^-^*)


(幸せすぎて怖い という自慢話でした)
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あれから30年

2024-04-26 21:03:37 | 躍動
もうあれから30年が経ちました。





そう、愛知県豊山町にある現在の県営名古屋空港に中華航空機が墜落した事故です。



乗客乗員264人の方が亡くなりました。

当日私はマレーシアからの帰路、香港で一泊してホテルでテレビを見ていました。

突然NHKニュース速報が入り、この大事故を知ることに。





翌日の飛行機でその名古屋空港に帰る予定だったこともあり慄然としたことを

今でもはっきり思い出します。


名古屋空港に着陸するときに目にしたのはブルーシートで覆われた墜落事故機でした。

着陸するまではもちろん極度の緊張で言葉も出なかったのですが、飛行機が

無事滑走路に降りた時にはその緊張から解きほぐされて、乗客全員から

「フゥー」というため息とともに「よかったー!」という拍手が沸き起こりました。

30年の間には飛行機もより安全な乗り物になってきているはずなのですが、

今年正月にはまた思いもよらない事故も起きました。

そして米軍のオスプレイや自衛隊のヘリなどの事故も相次いで起きています。

といって怖がってばかりいても何事も前に進みませんしねえ。

うーん、やっぱりここは神に祈るほかないのでしょうか。

空も陸も海も安全でありますように。
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