「島津亜矢」に魅せられて

大ファンの島津亜矢さんのことを中心に、日頃思うことなどを

痛ましい事件《その2》

2006-03-29 00:53:35 | Weblog
こちらも家族の心情を考えると・・・。
例の『安楽死・尊厳死』事件(事件というより私は「医療行為」の一環とみているが)の家族のことである。

一度はマスコミの取材に対して、「人工呼吸器の取り外しの相談もなかったし、同意もしていない」と語っておられたが、その後、張り紙という形で医師からの相談とそれに対する同意をした旨、公表した。

ここに至るまでの家族の心情も苦悩に満ちているように思われる。
人間の「死」というものに対して、一家族だけで判断し、決断したとは思えないからである。ここまでに至るには多くの親族の思惑や、それらの家族間の、他人には計り知れない経緯があったのかもしれない。誰がその判断・決断をしたのか、その伝えられ方によっては家族間、親族間に大きな亀裂が生まれるかもしれない。大バッシングが起きるかもしれないのである。
これも建て前からいえば、現在の法律では「人工呼吸器の取り外しという行為」=「殺人」のようだ。しかし患者の容態や年齢、それに家族の事情や苦労などを鑑みて、今の時点で最良の方法は何かと言う本音の相談が医師と家族の間でなされるのは当然であり、自然な行為であると考える。
鳥越俊太郎氏も言っていたが、「患者の容態を一番よく分かっているのは、本人でもなければ家族でもない。それは主治医である」と。

「人間いかに生くべきか」は、「人間いかに往くべきか」に通じるのではないか。
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痛ましい事件《その1》

2006-03-29 00:06:27 | Weblog
姉歯元建築士の奥様が飛び降り自殺されたという。何がそこまで奥様を追い詰めたのか。言わずもがなである。
この数ヶ月、『アネハ』と言う言葉や文字がマスコミに登場しない日はなかったであろう。『姉歯』さんという珍しい名字であるからこその悲劇なのかもしれない。これが「鈴木さん」や「斉藤さん」なら銀行や病院で名前を呼ばれてもそんなに目立つこともないのだが・・・。

姉歯元建築士は一級建築士という国家資格を悪用したことには間違いない。大きな犯罪行為である。が、私には彼の珍しい名字が一人歩きしてしまったように思えてならない。マスコミいわく、『姉歯マンション』『姉歯ホテル』・・・。
しかしこれらを企画し、建築し、販売して大きな利益を得ていたのは姉歯さんではない。鉄骨や鉄筋の強度計算という、非常に重要ではあるが全体としてはごく一部分を、しかも半ば強要されるような形で担っていた(担わされていた)だけのように思えてならない。「(偽装計算が)出来ないのなら他所に頼むからいいよ!」
弁護するつもりはないが、ある意味彼も被害者の一人なのかもしれない。
この数ヶ月間、彼の家族とりわけ奥様の心痛はいかばかりであったか。
加えてマスコミ側に過剰な取材行為などはなかったのか。マスコミによる自身の行為、姿勢への反省や批判は今までほとんど聞いたことはないが、例えばワイドショーなどでのマイクの突きつけ方を見ていると、尋常ではないように思われる場面がたびたび見受けられる。「自分たちを何様だと思っているのか」と叫びたくなる場面も一度や二度ではなかった。建て前論を振りかざし過ぎる事がよくあると思って見ているのは私だけではあるまい。
今回、家族に対してそのようなことが行われたかどうかはわからないが、これまでの報道姿勢を見ていてふと懸念するものである。
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安楽死・尊厳死

2006-03-25 17:47:22 | Weblog
富山県射水市の病院で「安楽死」事件(?)があったというニュースが伝えられている。
私も先日の「最近の人生観」で「安楽死」「尊厳死」にかかわる内容の書き込みをしたばかりで、非常に興味のあるニュースである。

安楽死とは、高齢や末期癌などで『助かる見込みがなく、苦痛の強い患者などを人為的に死へ導くこと』とあります。
また、「緊急避難の安楽死」の要件として
①耐え難い肉体的苦痛がある
②死期が迫っている
③苦痛緩和の方法を尽くし、他に手段がない
④生命短縮を承諾する本人の意思表示がある。
の4項目が挙げられている。

そして、患者の意思で延命治療をせず、自然に死を迎える「尊厳死」とは区別される、ということである。(今日のC新聞夕刊より)

いずれにしても患者の意思表示があれば無理な延命治療を施さなくても良いということのようだ。
終末期を迎えて本人が意思表示できない状況に陥ればどうしようもないので、不意の事故などにも備えて本人の意思表示を家族にきちんとした形(書面など)で伝えておかねばならないと言うことだろうか。

このような考え方はもちろんそれぞれの年齢によっても違ってくるだろう。私の年代になるとそこまで割り切れる人も多くなるかもしれないが、若い人ではそうもいかない。いずれ医学の進歩で治る日が来るかもしれないという期待も捨てきれないし、家族の感情としても割り切れないだろう。

法的解釈の細部に迫ってくると私にはお手上げだけれど、いずれにしても私は『人為的に生かされた』状態で命を永らえたくないというのが本音だ。意識がなくなったり、あっても耐えがたい肉体的苦痛が長引いたりした時には、人工呼吸器や点滴をそっと外してほしい。
細かく言うと心臓のペースメーカーや酸素吸入呼吸装置などはまったくその範疇ではない。それらは「生命」もさることながら、「生活」を維持していく為の補助装置であるからだ。

建て前論として、県警は殺人容疑で捜査を始めたという。そして裁判になればたぶん有罪判決が下るのだろう。しかし私は、本音の部分でその医師を支持したい。そういう「本来の人間の生命というものにやさしい」考えを持った医師に最期を看取っていただければ満足である。
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「出待ち」「入り待ち」

2006-03-22 00:21:12 | 躍動
歌手や俳優やスポーツ選手などが楽屋・控え室などに出入りする時に、ファンが意中の人を一目見ようと出入り口近くの通路で待ち構えることを言います。
野球でも相撲でも宝塚でも、そしてもちろん歌手や俳優に対しても熱心なファンは今か今かと待ち構えています。ひと目だけでも余計に見てみたいという純粋なファン心理の現われだと思います。手を振り、声を掛けて、チョコッとこちらを振り向いてくれただけで「キャー、ワー」、可愛く微笑ましいものです。

またそれを受ける歌手やスターの皆さんもそういう人がいるということは嬉しいことに違いありません。人気のバロメーターでもありますから。家の前などで待ち伏せするようないわゆるストーカー行為とは訳が違うのです。

時には開演前の緊張や気分の優れない時もあるでしょうが、そこは多少の有名税として割り切るべきです。プロですから。
ステージが終わってしまうとすぐに観客がさっさと帰ってしまい、誰も残っていない、そして暗くなってガラーンとした会場を寂しく引き上げるなんていうのはある意味惨めでもあります。

しかしそこで少しでも近づこうとして通路を邪魔したり、無理に握手やサインを求めるなどというのはマナー違反だと思います。それらは純粋なファンの行為ではなくただの妨害です。ガードするスタッフにしてみればなかなかその区別が付きにくいので、時には多少過度な発言や態度があるかもしれませんが、致し方ないことかもしれませんね。

やはりここは、最近何度も出てくる『節度』をもって「意中の人」を心から応援したいと思います。

「亜矢ちゃーん、頑張ってーッ!」 (^o^)
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最近の人生観

2006-03-20 22:20:56 | 躍動
森光子さんのあの元気、あの輝きはなんなのでしょう。85歳というのに目の動きも眼光もいささかも衰えていませんし、言葉も滑舌も私以上です。(^o^; 未だにデングリ返しまでやってのけるといいます。

浄瑠璃の人形遣いの吉田玉男さん(人間国宝)も85歳とお聞きしましたが、最近体調を崩されるまではあの重労働をずっと続けてこられました。皆さん凄すぎます。
その反面、私の近くでは若くして病で苦しんでいる人を何人か見かけます。

80年も生きてくるともうそんな元気はどこへやらという方が多いと思います。それが普通でしょうね。その歳にたどり着くまでに倒れてしまう方もたくさんいます。かくいう私だっていつ何が起こるかわかったものではありません。

私は、万一事故や病気で植物人間になってしまったら管をたくさん身体に装着して延命措置をとることだけは止めてほしいと家族にお願いしています。自分も家族も苦しくて大変なだけですから・・・。それが絶対正しい考えだとは思いませんが、少なくとも私はそうしてほしい。

そして寿命が尽きた時には、まだ使える部品は有効に再利用(臓器移植など)していただければと思っています。(ドナー登録済み)。モノが古くて使い物にならない場合は献体して医学部の学生たちの教材にでもなりましょう。
遺骨も、家族が残したいと思うならそうすればいいけれども、特に自分では先祖代々の墓の中に入れてほしいとか、どうしてほしいとか言う希望すらありません。山に撒こうが海に散らそうが一向に構いません。いずれ自然に返って行くのですから。

宗教的な儀式も必要ありません。残った家族が世間体を考えるならば好きなようにしてもいいけれど、私自身はごく近い身内のみでそっと見送ってくれればそれだけで十分成仏できます。この世に生かしていただいたことを感謝しながら旅立ちますとも。 (^o^)

死んだ後も、お盆だの法事だのといってたびたびこの世へ引き戻されるのも嫌です。私は私であの世で気楽に自由に過ごしたい。まあ、何か節目の時に、「こんな時はオヤジはこう言っていたなあ」程度にごくまれに思い出してくれるだけで十分です。

心も身体も健康だという人は少ないかもしれないけれど、なるべくなら最後までご飯を美味しく頂けたらと思う。こんな考え方はいかがですか? 神や仏を冒涜するものでしょうか?

今夜はなぜか取り留めのないことを書いてしまった。
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いきなりだんご?

2006-03-18 19:28:43 | 躍動
岡崎にもこんなだんごが・・・。
名前は『おもいっきりだんご』

確かに思い切ったことするもんだなあと・・・。
ちょっと小ぶりのいきなりだんごでした。 (^o^)
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ちょっと出るタイミングを・・・

2006-03-13 21:31:09 | Weblog


昨日奈良東大寺二月堂のお水取りが終わって、さあいよいよ春本番かと思った矢先のこの寒さ、まるで真冬です。名古屋でも雪がちらついたようです。岐阜は関が原や養老のあたりでも吹雪だったそうな。

いつものワンちゃんとの散歩コースである矢作川の土手にもう「土筆」が顔を出し始めました。日差しはもうかなり強いので写真で見た限りではまったく違和感はありませんが、堤防道路には冷たい北風が吹き抜けています。先日までとはうって変わった急な冷え込みで、折角顔を出したつくしんぼもちょっぴり後悔しているかも・・・。
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荒川静香選手と島津亜矢

2006-03-13 00:21:25 | 躍動
『演歌桜・亜矢桜』掲示板で話題になっている「イナバウアー」「亜矢バウアー」、皆さんの素晴らしい写真投稿で大いに盛り上がりました。本当に楽しい話題です。

この前荒川静香さんはこんなことを仰っていました。
「ショートプログラムではイナバウアーという演技は採点の対象ではありませんが、これを取り入れたほうが演技として自分も納得できるし、観客の皆様の記憶にも残る演技が出来ると思いました。採点よりも自分の納得のいく滑りをしたいと思っていましたから・・・」
実際に荒川さんの演技は滑らかに流れる水のようで、滞るところがありませんでした。例のイナバウアーのときの反り返りは、体の線はもちろんのこと後ろに伸ばした指の先までもしなやかで、観る者を魅了しました。それはやはり、「点数よりも観ている人や自分が納得出来る演技をしよう」という内面的な想いが体中に溢れているからでしょうね。

私は島津亜矢さんにもこの考えに通じるものを感じています。歌が好きで、その好きな歌を自分が納得できる様に歌えて、尚且つ聞いてくれた人が喜び、感動してくれる歌を歌いたい。いつもそのような気持ちで歌に向かっているように思えます。
「ヒット曲がほしいとか、あの番組に出たいとか思うのは歌を歌う上ではほんのちっぽけなことだったんですね。そのことがよく分かりました」。これは亜矢ちゃんが韓国の代表的な歌手李美子(イミジャ)さんとお会いした時に言っていた亜矢ちゃん自身の言葉です。また、先日の『ファンの集い』の際の礼状でも亜矢ちゃんの好きな詩の一節が紹介されています。「『あなたにめぐり合えて本当に良かった』、一人でもいい、心からそう思ってくれる人があれば・・・」

「採点」や「CDの売れ行き」という数字に惑わされることなく、自分の納得する滑りや歌で観客にアピールしたいというその気持ちが歌や演技に自然と現れてくるようです。

亜矢ちゃん、あなたにめぐり合えて本当に良かった。そう思う一人です。
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案内板

2006-03-12 21:07:59 | 躍動
その蒼いガス灯の案内板です。
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執念の「蒼いガス灯」

2006-03-12 21:06:12 | 躍動
2月26日、亜矢ちゃんの「ファンの集い」の翌日、以前から東京に行った時には是非訪れてみたいと思っていた湯島天神に行くことが出来た。
東京の亜矢友さんに案内していただいた。普段の生活圏であるその亜矢友さんにとってはあまり気が進まない場所のようであったが、そこを無理に頼み込んでコースに入れていただくことが出来た。事前に下調べまでしていただき、小雨の中車を横付けしていただきました。心から感謝しています。

私がそこまで湯島天神行きにこだわったのには訳がある。一つは一昨年のリサイタルの際に別の亜矢友さんから是非にと勧められていたのに長い間実現せず、ずっと気にかかっていたということ。そして今回の「ファンの集い」が2月25日という湯島天神梅祭りの最中であるということで、このブログでも亜矢ちゃんの名作歌謡劇場から『お蔦』を取り上げて私の中で湯島天神ムードが盛り上がっていた為である。
気になっていた「春は名のみの切通し」の意味を調べ、お蔦さんが主税から別れを告げられた場所と思われる「蒼いガス灯」が今もあるのかどうかなども気になっていました。

盛り上がるほどに掛けられた膨大な数の絵馬。さすが天神さんです。願い叶ってお礼参りをしていると思しき親子連れが沢山いました。

肝心の梅は今年は少し遅いようで3分から4分咲きくらいだったけれど、年代ものの梅の樹がきれいに整えられていた。しかし私の目は梅の樹ではなく、別のものを探しています。そう、『蒼いガス灯』です。「どこかにあるはず、どこかにあるはず・・・」

ありました。屋台のテントの裏側にひっそりと・・・。今は既に当時のままの物ではない様だけれど、感動しました。やっぱりあったんだー。
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