藤十郎の偽りの告白に翻弄されつつも、女の意地を通したお梶。
三代目雁治郎が四代目坂田藤十郎を襲名するに当たり、亜矢ちゃんが歌う「お梶」をもう少し深く知ってみたい気になった。坂田藤十郎 231年ぶりの登場である。
菊池寛原作とはいえ、当初私は「お梶」は実在の人物だと思っていた。そして「大経師昔暦」のおさんや以春は芝居の中の人物だと思っていた。実際はまったく逆で、「お梶」は創作の人物であり、おさんや以春は実在のモデルがいたのである。
近松門左衛門が書いた「大経師昔暦」の中の「おさん」を演ずるために藤十郎は思い悩み、密夫(人妻の不倫)の心の動きや表情の表現に行き詰っていた。それを引き出すため、幼馴染で今は貞淑な人妻である「お梶」に対して20年来思い続けていた如くの甘い言葉を投げかけてその反応、表情を盗み取ろうとする。はじめは驚き、拒んだ「お梶」だったがもともと藤十郎に淡い想いを抱いていたこともあり全てをささげる決心をする。
口とは裏腹に覚めた目でその一部始終を観察し終えた藤十郎は行燈の灯を吹き消す「お梶」の横をすり抜けて去ってしまう。
「おんなの真は阿修羅の流れのようでございます」
「阿修羅」? 「阿修羅の流れ」? むずかしい。一体何の事?
十和田湖から流れ出る奥入瀬渓谷に「阿修羅の流れ」という急流がある。九十九島(つくもじま)と呼ばれる沢山の岩にその流れを邪魔され、砕かれ、遮られつつもすり抜けるように流れ落ちる。
あの台詞がこの奥入瀬の「阿修羅の流れ」のことを言っているのであれば、それはどのような意味を持つのであろうか。
千千(ちぢ)に乱れるおんな心を言い表すのにぴったりのイメージをその「阿修羅の流れ」に抱いたのだろうか。いや、水の流れは乱れるだけではなく、その乱され、砕かれ、翻弄されたものがやがて最後には一つになる。そのように女の真(まこと)の心も行き着くところはただ一つ、一途に思うお人は「(藤さま)、あなた一人・・・」ということか。
その甲斐あってか初日以来大評判を呼ぶ藤十郎の「おさん」。
ある日、幕が開くその直前、「お梶」は舞台の下の奈落で自害して果ててしまうのである。
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