雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

大進生昌が家に

2015-02-22 11:00:54 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第五段  大進生昌が家に

大進生昌が家に、宮の出でさせたまふに、東の門は四足になして、それより御輿は入らせたまふ。
   (以下割愛)



中宮職の三等官である大進 平生昌 ( タイラノナリマサ)の屋敷に、少納言さまが仕える一条天皇の中宮定子様が訪ねられるにあたって、東の門は四足の門に改造されていて、中宮様の御輿はその門から入られました。

付き従う女房たちの牛車は北の門から入ることになっていて、まだ陣屋の武士たちは詰めていないはずなので、誰に見られることもなく建物内に入れると思い、髪かたちも乱れたままで牛車に乗ってきたのですが、檳榔毛の車 (びろうの葉で屋根を葺いた高級な牛車) は門が小さくて通ることができないのです。仕方なくいつものように通路に筵を敷いて歩くことになりました。腹立たしいのですがどうすることもできません。
さらに、殿上人や地下の役人たちが立ち並んでこちらを見ているのが何ともいまいましいことでした。

中宮さまの御前に参上して、先ほどの様子を申し上げますと、「ここでだって人は見ているものですよ。どうしてそれほど気を許してしまったの」とお笑いになる。
「ですけれど、ここにいる人はそうした姿を見慣れているでしょうから、こちらがよく身づくろいをして飾っていたら、それこそかえって驚く人もありますでしょう。それにしてもまあ、これほどの人の家に、車の入らないような門があってよいものでしょうか。ここに見えられたら笑ってやりましょう」
などと言っている折も折「これをさしあげてください」と言って、生昌が御硯などの手回り品を御簾の中に差し入れられました。

「まあ、あなたは、随分間の悪い時に見えられましたね。どうしてまた、あの門をあんなに狭く作られたのですか」と言いますと、笑いながら「家格や身分に合わせているのでございます」と応じられました。
「でも、門だけを高く作る人もありましたよ」と私が言いますと、
「これはまあ恐れ入ったことで」と生昌はびっくりして、「それはどうやら于定国(ウテイコク・大きな門を立てて出世した前漢の人)の故事のようですね。年功を積んだ進士(シンジ・大学寮の試験の合格者)などあたりでなければ、伺っても分かりそうもないことでしたよ。私はたまたま文章の道(モンジョウノミチ・漢学の道)に入っていましたから、何とかこれくらいのことだけは理解できたのですが」と言われる。
「その御『道』もそれほどご立派ではないようですね。筵道を敷いてありましたけれど、みなぬかるみに落ち込んで大騒ぎしましたよ」とさらに言いますと、
「雨が降っておりましたから、きっとそうでございましたでしょう。まあまあ、まだこの上あなたからお叱りがあると困ります。退散することにしましょう」と言って、立ち去られました。
中宮様は、「どうしたのです、生昌がひどく怖がっていたのは」とお尋ねになられました。
「何でもございません。車が入りませんでしたことをお話ししたのでございます」と申しあげて、自分たちの部屋に下がりました。

さて、その夜のことですが、
私は若い女房たちと一緒の部屋で寝ることになりましたが、眠たくなり全員がぐっすりと寝てしまいました。
中宮様は母屋にお居ででしたが、私たちは東の棟にある部屋を使っていましたが、出入り口の障子戸には懸け金もありませんでした。私たちは眠たさのためもあって、それを確認していませんでしたが、主である生昌は、懸け金がないことをことを承知しているわけですから、いきなり障子戸を開けたのです。
そして、妙にかすれて、上ずった声で、
「伺ってもいいでしょうか。・・・伺ってもいいでしょうか」
と、何度も言う声に目を覚まして見てみますと、 几帳の後ろに立ててある燈台の明かりに生昌の姿がはっきりと見えたのです。きっと、向こうからはこちらが暗くてよく見えないものですから、自分も見えていないと思ったのでしょう、障子戸を五寸ばかり開けて、囁いているのです。全く、滑稽な姿でした。

生昌という人は、このような好色めいた振る舞いは決してしない人なのに、中宮様をわが家に迎えていることから、いい気になってしまい、これほど大胆な振る舞いをするのだろうと考えますと、おかしくなってきます。
私は、そばで寝ている若い女房をゆり起して、「あれをごらんなさい。見かけない人がいますよ」と言いますと、若い女房は頭をもたげて様子を探ると、意味ありげに笑うのですよ。
「あれは誰かしら、ずうずうしい」と声に出して言いますと、
「めっそうもない。この家の主人として、ご相談したいことがあって参ったのですよ」と答えるのです。

「門のことは申し上げましたが、『障子戸を開けて下さい』とは申し上げてはいませんよ」と私が言いますと、
「そうそう、そのこともお話ししましょう。ですから、そこへ行ってもよろしいですか。・・・そこへ行ってもよろしいですか」と、なお言っているものですから、
「なんとまあ、格好の悪いこと」
「とても,来れるものですか」と、若い女房たちが笑ったものですから、
「あれ、若いお方たちもいらっしゃったんですなあ」と、あわてて障子戸を閉めて帰って行ったものですから、皆で大笑いとなりました。
訪れようというのなら、さっさと入ればいいのですよ。入ってもよいかと尋ねられて、「いいですよ」などと、誰が言うものですか。本当に滑稽でばかばかしいことでした。

翌朝、御前に参りましたとき、中宮様に昨夜のことを申し上げますと、
「そのような噂を聞くような人ではないのですがねえ。あなたの昨日のお話に大変感心していましたから、それで参ったのでしょうねぇ。それにしても、皆であの人を厳しくやりこめたようですが、まことにかわいそうなことです」と、お笑いになられました。
中宮様が姫宮 (定子の娘で一条天皇の第一皇女脩子内親王、この時四歳) に仕える童女たちの装束を作らせるようにということをお言いつけになりますと、生昌が「衵(アコメ・下着)のうはおそひ(上着のことで、上襲=ウハガサネというのを間違えたらしく、また、童女の場合、汗衫が正しいのを知らずに間違えたらしい)は何色にして差し上げさせたらようございましょうか」と申しあげるのを、また女房たちが笑ってしまいましたが、仕方がないですわ。
「姫宮様のお食膳は、普通のものでは可愛げがございませんでしょう。ちゅうせい折敷に ちゅうせい高坏などが、よろしいでしょう(ちゅうせい は小さいのなまった言い方)」と申しあげるものですから、
私が「そういうことですと、うはおそひを着ている女童もお給仕しやすいでしょう」と皮肉っぽく言いますと、 中宮様は「これこれ、世間の人と同じように、この人(生昌)のことを言いたてて笑わない方がよろしいですよ。とても気まじめな人なのですから」と同情なさいますのも、さすがにご立派だと思いました。

後日、少し時間が空いている時のことですが、
「大進が『ぜひ、お耳に入れたい』と言っていますよ」
と、ある女房が私に言うのを中宮様がお聞きになって、
「またどんなことを言って笑われたいのでしょうね」と仰せられるので、とてもおかしいのです。
「行って話を聞いてきなさい」と中宮様が仰せになるので、わざわざ出ていきますと、
「先夜の門のことを中納言(生昌の兄 平惟仲)に話しましたら、大変感心されて『何とか適当な機会にゆっくりとお目にかかって、お話を申し上げたり承ったりしたいものだ』と申しておりました」と言って、他には何ということもありません。
先夜の来訪のことを言うのだろうかと、少々胸をときめかしていたのですが、「そのうち落ち着いて、ゆっくりと部屋に伺いましょう」と言い残して去って行きました。

中宮様のもとに帰りますと、「それで何事だったのですか」と待ちかねていたようにお尋ねになりますので、生昌が伝えに来た内容を申しあげますと、
「わざわざ取り次ぎまでして呼び出さなければならないことでもないでしょうよ。お部屋にでも下がっている時に話せば済むことですよ」と女房たちが笑うものですから、
中宮様は「自分が立派だと思っている人(兄・中納言のこと)がほめたのを、あなたもきっと喜ぶだろうと思って、わざわざ伝えにきたのでしょう」と仰せられるご様子も、本当によくできたお方だと思うのです。



大変長い章段ですが、少納言さまの知識自慢らしい部分や、少々艶めいた話があり、何よりも中宮定子の優れた人柄を中心に賑やかでとても朗らかな様子が描かれています。

しかし、王朝を取り巻く歴史の流れを考え合わせますと、胸詰まるものがあるのです。
この章段に描かれているのは、中宮定子が二十三歳、少納言さま三十四歳の頃ですが、この時には、定子の父藤原道隆は亡くなっていて実家の凋落は激しく、代わって弟の道長が絶頂期に向かっていた頃にあたるのです。
宮中においても、道長の娘である彰子に勢力を奪われつつあることが、すでに鮮明になっていたのです。
このような背景を重ね合わせてみますと、少納言さまのいつも以上にはしゃいでいるように感じられる文面が痛々しく感じられてしまうのですが、同時に、枕草子が持つ不思議な魅力の大きな要因の一つが、この章段に籠められているようにも思うのです。
「少納言さま、がんばれ!」と、エールを送りたくなってくるのです。

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