雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

ころは、正月、三月

2015-02-25 11:00:23 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二段  ころは、正月、三月

ころは、正月、三月、四月、五月、七・八・九月、十一・二月。
すべて、をりにつけつつ、一年(ヒトトセ)ながらをかし。

正月。
一日はまいて。空のけしきもうらうらと、めづらしうかすみこめたるに、世にありとある人はみな、姿かたち心ことにつくろひ、君をもわれをも祝ひなどしたる、さまことにをかし。
   (以下割愛)


時節というものは、どの月を取りましても、それぞれの良さがあり、一年を通して趣があるものです。

正月、
一日は格別に結構な日であります。
空の様子もうららかで清々しく、あたりは美しく霞みがかっていて、世にある全ての人が、衣装やお化粧を入念に整えて、主君を、そして自分自身の幸せを祝ったりしている姿は、いつもは見られないことで結構なものです。

七日、雪間の若菜摘み。青々としていて、ふだんは青菜など見ることもない高貴な所ででも、もてはやされているのはおもしろいものです。
節会の白馬 (アオウマ・天皇が白馬を展覧する行事) を見るために、里人たちは牛車を美しく飾り立てて出掛けていきます。中御門の敷居の所を車が通過する時、乗っている人の頭が同じように揺れ、さし櫛も落ち、用心していないと折れたりするのを笑いあっているのも、おもしろいものです。
左衛門の詰所の辺りに殿上人がたくさん立っていて、舎人 (下級役人) が弓で馬を驚かせて笑っているのを、牛車の隙間からちらっと覗いてみますと、立蔀 (タテジトミ・格子の裏に板を張った衝立) が見え、その辺りを主殿司や女官たちが行き来しているのが興味深く感じられます。
どれほど恵まれた人たちが宮中でなれなれしく振る舞っているのだろうと思っていましたが、いざ宮仕えしてみますと、実際に見ることができるのは狭い範囲で、舎人の顔の地肌があらわになって、とても黒いのに、おしろいが行き渡らないところは雪がまだらに残っているみたいでたいへん見苦しいのですよ。馬が躍り上がって騒いでいるのもとても恐ろしくて、よく見ることなどできません。

八日、前日に昇進や位階の証書が授与され、そのお礼に走り回る車の音は、いつもとは違って聞こえるのが不思議なものです。

十五日、七種の穀物の粥で祝う節供のお膳を天皇に差し上げたあと、貴族の家でも、同様の粥を炊きますが、(この粥を食べると邪気を払うといわれ、また、そのとき用いた薪の燃え残りで女性の尻を打つと男子が生まれるという俗信があった) その薪を隠し持っていて、打とうとする女房たちや、打たれまいとしていつも後ろを気にしている女房の様子だけでも大変おもしろいのに、どういう風にしたのか、うまく打ち当てた時はさらにおかしくて、皆で笑い合っている様子は、とても晴れやかでにぎやかなものです。
反対に、打たれた人は悔しがっていますが、当然なことですわねえ。

新しく姫君の家に通うようになった婿君が参内の準備をしている間は、姫君はそちらに気を取られているので、姫君を狙っている女房は今か今かと奥の方で立って構えています。
姫君の御前にいる女房はそれに気付いて笑うので、「静かに」と手真似で止めているのですが、姫君は何も気付かずゆったりと座っていらっしゃる。
「ここにあるものをいただきましょう」などと言いながら、かの女房は近付いて尻を打って逃げると、そこにいる人たち全員が大笑いです。
婿君もまんざらでもないように微笑んでいるのですが、姫君だけがたいして驚いた様子も見せず少し顔を赤らめて座っているのですが、これがまたおかしいのです。
また、女房どうしがお互いに打ち合ったり、さらに男性さえ打ったりするのですが、どういうつもりなのでしょうねえ。泣いたり、腹を立てたり、人をのろったり、不吉なことをいう人さえありますが、それらの様子もとてもおもしろいのです。
宮中など高貴なあたりでも、今日はうちとけて遠慮なく騒いでいるのですよ。

除目 (春と秋に行われる官職任命の会議) の頃、宮中あたりはとてもおもしろい風景が見られます。
雪が降りひどく凍りついている中を、任官を伝える手紙を持ってあちらこちらへ行く四位や五位の人の、若々しくさわやかな様子は、大変頼もしく見えます。
その一方で、年老いて頭の白くなった人が、人に自分の内情を話し、女房の部屋に寄って自分の立派さなどをいい気になって説明したりしていますが、若い女房などはそのまねをして笑っているのを、きっと知らないのでしょうね。
「天皇によろしく、中宮様によろしく伝えて下さい」などと言っても、うまく官職を得られれば結構ですが、得られない時は気の毒なことです。

三月。
三日のお節供は、うらうらとのどかに日が照っているのが良いですね。桃の花が咲き始めるのも良いものです。
柳などが風情たっぷりなのが良いのももちろんです。それも、芽吹きはじめで繭のようになっているのがかわいらしく、葉の広がっているのは良くなく、憎らしくさえ見えます。
見事に咲いた桜の枝を長く折って、大きな花瓶に挿しているのは大変美しいものです。桜の直衣 (貴族の常服) を粋に着て、それが客であれ兄弟の公達であれ、その花の近くに座って話などしているのはたいへん風情があります。

四月。
賀茂祭りの頃はたいへん気持ちが良い。上達部 (カンダチメ・公卿) や殿上人も、正装の上着の色の濃い薄いがあるだけで、白襲 (シラカサネ・裏表とも白い重ね衣) も皆さん一緒で涼しげで快く見えます。
木々の葉もまだあまり茂っておらず、若々しい青葉に彩られていて、霞にも霧にも遮られない初夏の澄み渡った空が、わけもなく心楽しいのですが、少し曇ってきた夕方や夜に、声を忍ばせたような ほととぎすが、遠くの方で、聞き間違いかと思うほどかすかに鳴いているのを聞きつけたような時は、なんとも素晴らしいものです。
祭りの日が近くなって、晴れ着用の布地をしっかりと巻いて、形ばかり紙に包んであちこち行き来しているのがおもしろい。裾濃 (スソゴ・裾へゆくほど濃く染めたもの) や、むら濃 (ムラゴ・濃淡まだらに染めたもの) なども、いつもより趣があるように見えるのです。

女の子が、頭は洗って飾っているものの、身なりは ほころびたり破れかかったりしているのを着ているのに、履き物の「鼻緒を新しくして欲しい、裏打ちして欲しい」と騒いでいて、早く祭りの日になって欲しいと、ちょこまかと歩きまわるのがとてもかわいらしいの。
その子たちが、祭りの日となって、衣装を立派に着飾ると、まるで法会の時の香炉を持つお坊さんのように、もったいぶって歩くのですが、どれほど緊張していることでしょう。身分によって、親、おば、姉などが供をして世話をしながら連れて歩いているのもなかなか風情のあるものです。

蔵人 (天皇の側近くで雑役などを担当する) になりたいと思いながら、すぐにはなれない人が、祭りの供奉者として許されている青色の衣を着ているのを見ると (青色は蔵人に許された色)、そのまま脱がせないでおいてやりたい、とまで思ってしまいます。
ただ、それが位の高い蔵人にしか許されない綾織物でないのは、残念なことです。


 
冒頭部分で、一年は、それぞれに良いと述べられていますが、それぞれの月を書き並べる中で、二、六、十月を省いているのは何か特別な意味があるのでしょうか。

当時の行事や風俗などを伝えてくれていますが、才女の誉れ高い少納言さまでも、人々のおしゃれには無関心ではいられなかったらしく、細やかに描写されているのは親しみを感じさせてくれます。

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