雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

山川草木

2024-04-04 08:00:25 | 私の好きなフレーズ

 『 自分と違うと思われる人々に対して寛容であり、理解することに努める必要がある 』


自然の景観を山と川で表すのは乱暴に過ぎるというのは、海も空も平地もあるからですが、草と木で植物全体を表す方はどうなのかと、まことに詰まらないことが気になりました。
実は、何かの本で見た「竹は、木か草か?」という記事のことを思い出したからです。
特殊な植物は別にするにしても、草と木の区別は、そうそう簡単ではないようです。
一般的に説明されているものによりますと、「形態的には、幹(茎)を太らせるものと、ある成長時点で太らさないもの」で区別するそうです。そして、「生態的には、耐性芽(厳しい季節を乗り越える芽)が地面より上にあるものは木」だそうです。
それでは、竹はどうなるのかと言えば、それがよく分らないのです。
竹は、竹の子として芽を出すと一気に成長し、その後は幹を太らせることはありません。それなら草かと言えば、多くの草が一、二年草なのに対して、相当の期間元気です。第一、孟宗竹のようなものを草とはとても言えない気がします。
他にも、種子や子葉から大別する方法もあるようなのですが、例えば、単子葉植物はほとんどが草なのですが、単子葉植物だからと言って、バナナを草だというのも納得できません。
さらに、萩のように、種類によって草のものや木のものがあるのですから、ますますややこしくなってしまいます。
     ( 中略 )
それに、「山川草木」と呼ばれるようなものは、おこがましくも人間が、区別したり種類分けなどすることが、とんでもないことかもしれないと思うのです。
そしてそれは、「草木」に限らず、人間という動物もまた、単純に種類分けなどできない存在なのではないでしょうか。性別であれ、人種であれ、国家や民族の違いや、思想や宗教の違いで、区分けしたり差別することは慎重であらねばなりませんし、自分と違うと思われる人々に対して寛容であり、理解することに努める必要があるように思うのです。

  ( 「小さな小さな物語」第十一部  NO.625 より )

          


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