従来の歴史研究では、長宗我部元親と明智光秀との関係の把握が不十分であり、このため本能寺の変との関連性も重視されてきませんでした。
三月四日に出版となる拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』(amzonで予約受付開始済み)の中で、従来の説を覆す以下のような新しい視点を提示しています。長宗我部ファンクラブの皆様を始め、長宗我部氏に関心をお持ちの方はご期待ください。
①元親と光秀との関係は天正三年の元親・信長同盟の時に始まったのではなく、それより10年ほど前とみられる。(本能寺の変から遡ること20年近く前)
②元親と光秀との間を取り持ったのは光秀家臣の斎藤利三といわれているが、むしろ彼の実兄の石谷頼辰(いしがいよりとき)とみられる。頼辰は元親の正室の兄。本能寺の変後、土佐に逃れ、娘は信親(元親の嫡男)の正室となった。
③元親と光秀との関係は信長への取り次ぎといったものではなく、畿内・四国同盟といった強固なものとみられる。そのキーとなったものは「土岐氏」である。土岐氏は一族の強固な結束力を誇る一族であり、石谷氏も明智氏もその土岐氏一族であった。
④織田信孝を大将とする長宗我部征伐軍は本能寺の変の翌日に四国へ出陣の予定であった。この阻止が謀反の目的のひとつであった。ただし、これが全てではなかった。織田信長が進める織田家長期政権化の施策により、光秀が盟主となった土岐氏にはさらに大きな危機が降りかかってきていた。
明智憲三郎
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