緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

白川村へハイキング旅行

2019年08月27日 | 旅行
岐阜県白川村へ、ツアーで一泊二日のハイキング旅行に出掛けました。
旅の仲間は女性ばかり10名とガイドです。
グループ行動でしたので写真に時間は掛けられませんでした。

白川と言えば白川郷が有名な観光地なのですが、今回は白川郷には行かず、あくまでも自然のなかでハイキングです。

一日目は大白川園地の散策。
大白川園地は白山国立公園内にあります。
歩いていると、向こうに白山の山並みが見えます。

小さな橋の上から横合いの川を覗いて見ると水流も豊かで美しいです。

森に入るとキャンプができる場所がいくつもありました。
森全体が大きなキャンプ場なのです。

ブナ林の中を歩きました。

古いブナの木には色んな植物が絡みついています。

休憩時に現地のガイドさんの好意で飛騨のミニトマトをいただきました。
ミニトマトって、あまり好きではないのですが、これは別格です。
とても美味しくて、皮が柔らかく、まったく気になりません。
3個もいただきました。

その日の宿は白川郷近くの御母衣旅館でした。⇒ここ
料理旅館です。

昭和27年、御母衣ダムが作られる時、ダムの底に沈む山師の邸宅を移築して旅館にした建物で、良い材木が使われた趣のある旅館でした。
但し、ホテルのような設備はなく、風呂・トイレ・洗面所は共同でした。

外観です。





建物内には古いものが一杯。








囲炉裏のある部屋もありました。

宿泊客がセルフで自由にコーヒーを飲める喫茶コーナー。


この旅館の料理は、さすがに料理旅館と銘打っているだけあり、100点満点の200点でした。
旅館の方が山で採ってきた山菜と飛騨牛が中心のお料理です。







写真を撮るのを忘れていて少し食べてから撮った飛騨牛の瓦焼き。とても柔らかい肉です。

他にもあったのですが、お腹いっぱいになり、残すのが申し訳なく、持ってこられた段階でお断りしました。

後で知ったのですが、飛騨牛の瓦焼きは旅館の基本プランには含まれておらず、オプションでついていました。
ツアーでは含まれていましたが、全体の量が多すぎてとても食べられず、個人で行くのなら飛騨牛の瓦焼きは外してもOKだと思いました。(他に飛騨牛の料理があります)

デザートも凝っています。


食後はお部屋で同室になった人達4人でおしゃべり。
お話を聞くと皆さん一人旅の達人のような方々ばかり。
人生色々で、私と状況が近い人もいて、終活のやり方など為になるお話を聞くことができました。

翌朝はあいにくの小雨。
時間があったので旅館の傍の睡蓮の池で写真を撮りました。







朝食です。

これに朴葉味噌が付いています。


二日目の目的地は天生湿原です。

湿原に行くまでの道にあったタマゴタケ。

雨の湿原です。

少し晴れた時です。

ミズバショウのシーズンは終わっていました。
代わりに咲いていたのはシラヒゲソウ。




キキョウやアザミの仲間も。






ここで少しモヤモヤすることがあったので、そのことについて書いて見ます。

今回の旅行では、ちょうど家から出る時に雨が降っており、私は長傘だけ持って出てしまいました。
いつもは、ハイキングではリュックの中に折り畳み傘を入れておくのですが、今回はそれを忘れてできませんでした。

一日目の大白川園地では、晴れていましたが、雨が降るかもしれず、長傘をストック代りにして歩きました。
日が差したら日傘になり、結構、便利でした。

二日目は朝からパラパラ来ていて、雨具は必須の状態。
私は上着はゴアテックスのレインウェアを着用し、足にはスパッツを巻き、リュックには雨カバーをつけて、その上で昨日と同様、大雨に備えて長傘を持って行くつもりでした。

ところが出発する時に現地のガイドさんから、傘は持って行かないよう注意されたのです。
理由は傘で目を突くかもしれず危ないからでした。
内心『それが危ないなら雨の日に都会の雑踏も危なくて歩けない』と思いましたが、私も現地のことは知りませんので、その場のルールに従いました。

ところが湿原で軽い食事を摂っていた時、若い男性2名が、傘をさしてやってきたのです。
あの2名も注意をされるのかなと見ていると、2名はガイドさんとは知り合いらしく、和やかに話をしてそのまま行ってしまいました。
『え、えーっ!?』って感じになりました。

身内だとOKなのか、若いイケメン男性ならお咎めなしなのか、モヤモヤしてしまいました。
今考えると、ガイドさんにとっては二人は知人であっても、自分がガイドをしているグループの人ではなかったので、その場のルールから外れていても何も言わなかったのかもしれません。

私自身、自然観察会のボランティアスタッフをやっていたので、参加者の安全とその場の自然環境の保全に注意を払うのはよく分かるのですが、仲間内なら見過ごすような、実質的に意味のないルールで参加者を縛ったりはしませんでした。
ですから、その出来事は気持ち良くなかったのです。

もう一つ、この天生湿原の危険性には帰ってから気づくことがありました。
天生湿原にはブヨがいて、これが強烈だったのです。
ガイドさんには、どうせ注意するのなら、危険なブヨの存在を注意してほしかったです。

湿原を歩いている時、自分の雨コートのポケット部分にベタッと血が付いているのに気づき、手を見ると出血していました。
いつ怪我をしたのか全く記憶になかったのですが、実はブヨに噛まれていたのです。
(ブヨは刺さずに噛んで血を吸うらしい!)

症状が現れたのは翌日で、3箇所、やられていました。
パンパンに腫れあがり、痛痒くてたまらず、結局皮膚科に行きました。
ブヨは平気な筈だったのですが、加齢による体質の変化か、天生湿原のブヨが特別なのか。
いずれにしても、今後はどこの湿原に行く時でも虫よけスプレーを持って行くことにします。

というわけで、私は天生湿原とは相性が悪いようでした。
旅行で行った場所の印象は、些細なことでガラッと変わってしまいます。
でも御母衣旅館の料理は最高で、個人でもう一度行ってみたいと思っています。



気分転換、日帰り鱧ツアー

2019年08月16日 | 旅行
みーちゃんが亡くなって、ずっと家にいるのも何だから、気分転換に、中止していた日帰りで淡路島に鱧を食べに行くツアーを探してみました。
すると14日に募集人数が残1のツアーが見つかり、一人で行くことにしました。

ところが、その日の朝、駅までバスで行くのに、バスが待っていても来ない。
本来なら3,4分に一台くらいで来るバス停なのですが・・・。
(結局、バスが来なかった理由は分からないままです。)

そのまま待っていては集合時間に間に合わないので、10分くらい待ってから徒歩で駅まで向かいました。
普通に歩くと間に合わないので時折歩きながら小走りです。
ここのところ、ほとんど出掛けることもなかったのに、いきなり750m程走って、おかげで足全体、特に膝と右足の付け根がおかしくなりました。

梅田についてからも小走り状態で、それでも集合時間に1分遅れて観光バスに乗ることができました。
残1の席は一番後ろの端っこでした。
シートを思いっきり倒しても誰にも文句を言われない席で、その点はラッキーでした。
来る来ると言われていた台風の方向に行く旅行で、天気も少々心配でした。

最初に訪れたのは兵庫県立淡路景観園芸学校。
とにかく暑いし花もそんなに咲いていません。










時間も短くすぐに移動しました。

次は「あわじ花さじき」です。
背景はサルビア。

ガイドさんの話ではひまわりが見ごろだということでした。




淡路島は島なので山の上の方だと遠くに海が見えます。

台風の影響か風が強かったです。

滞在時間も短かったのですが美しい風景を探しました。





私の目的は「花より団子」で、淡路島の鱧料理を食べること!!
連れて行かれたのは島の中にある国民休暇村でした。
一人客ばかり3人のテーブルです。


鱧の湯引き

後、天麩羅やお吸い物が出てきました。
食後のデザートはスイカ。

鱧懐石ということで大いに期待していたのですが、味の方は懐石というより素人が作ったおかずっぽい。
湯引きなど、骨切りさえしてくれたら私が作った方が美味しいかも、でした。
でも不味くはなかったです。
鱧より玉ねぎが美味しかったです。
料亭の味を期待していた分ちょっと・・・。

食後は私は入りませんでしたが、休暇村の温泉に入ることができます。
でも人でいっぱいだったそうです。
私は海が見える足湯に入りました。
そこで隣の人とおしゃべりしたり。

休暇村からの入江の景色です。
曇っていて雨がパラパラしてました。

この後は格安バスツアーの定番で、お買い物できる(させる?)場所、「たこせんべいの里」とか「パルシェ香りの館」に連れて行かれました。
でも、たこせんべい、私も少し買いましたが、意外にイケました。
バスで隣に座っていた3人組は各自大きな紙袋いっぱい買っていて、一人7000円は使ったとか言ってました。

帰りの明石海峡大橋は台風も近づいていて、橋の上で風にあおられ、バスが横転したらどうしようと思ってましたが、特にどうということなく通過。
翌15日は通行禁止だったみたいです。

朝に走ったおかげで足の具合が悪くなりましたが、気分転換にはなりました。


昨日の「報道特集」

2019年08月11日 | 話題
8月10日、TBSの報道特集「台湾の元日本兵が語る戦争」を観ました。
極めて不快で怒りを感じたシーンがあったので、その事を記します。

番組では、戦時中に日本兵として戦争に行った数名の台湾の人がインタビューを受けています。
すでに90歳を超えた方々であり、ともに戦争に行った台湾の人達は多くは戦死し、かろうじて生き残った人達です。
中に一人、銃を持って戦ったという元日本兵の人に対するインタビュアーの質問の内容と態度に私は驚き、怒りを覚えました。

インタビュアーは元兵士に「人を殺しましたか」と詰問するかのように、しつこく問い続けたのです。
元兵士の方は戸惑うような表情を浮かべ、最終的に「答えられない」というようなことを言ったと思います。
(一度見たきりですので、私は細かい言葉遣いまで覚えていません。)

私には、インタビュアーは戦争というものがどういうものか、全然分かっていないとしか思えませんでした。
戦争に行った人間に「人を殺しましたか」と質問することほど配慮に欠け、またナンセンスな行為はないでしょう。
しかも相手は日本統治下の台湾で、日本人として徴兵された台湾の人であり、インタビュアー自身は戦争の体験の無い日本人なのです。自分は一体何様のつもりだったのでしょう。

メディア関係者が取材で質問するにしても、越えてはならない一線というものがある筈です。
私は戦争を扱ったドキュメンタリー作品を少なからず見てきましたが、元兵士に対し、あれほど無遠慮に、詰問するかの如くしつこく「人を殺しましたか」と問う作品は見たことがありません。

インタビュアーだけでなく、あのようなシーンを何とも思わず放送する番組責任者・TBSというテレビ局自体、その感覚が信じられず、理解もできません。
一体、あの質問をすることに、何を意図していたのか理解に苦しみます。

最近、先の大戦に関し、日本および日本人が被害者であることを強調したドラマや言説が多く流布しています。
あの質問は、不都合な加害性を日本人以外に振り替え、押し付ける意図があったのかとも思えるものでした。

8月10日の「報道特集」は、日本のテレビメディアの救いようのないダメさ加減を見せつける番組でした。



あせも

2019年08月09日 | 健康
みーちゃんが亡くなって、ひまが出来たので、最近病院によく行きます。
先日行ったのは耳鼻咽喉科。
以前行って、薬をもらって、その時点で化膿は止まったようなのですが、実は相変わらず少量の血が痰に混じる状態が続いていたのです。
詳しくはこちら

同じ病院に行って診て貰いましたが、問題はなく、軽い炎症があって出血するのだろうということでした。
というわけで薬ももらいませんでした。
ひょっとして、ドライマウスで夜間に口がカラカラになるのが原因なのかな、と思ったり。

今日行ったのは皮膚科。
ここ3年ほど、夏になって大汗をかくと、左の腋の下と右の乳房の下が痒くなるのです。
特に腋の下の方は痛痒い感じ。
でも見てみてもちょっと赤くなっているだけで水疱とかはないのです。
あせもかなと思っていたのですが、一度診てもらいました。

やはりあせもだったみたいです。
先生の話だと、私のは軽症らしくて、両乳房の下が真っ赤になっている人もいるとか。
場所も膝の裏とか、おでことか、かいた汗が溜まる所、色々らしい。
大人のあせもなんて聞いたこともなかったのですが、酷い状態の人もいるみたい。

子供の頃、というより赤ん坊の頃は、私もあせもができていたらしいのですが、大きくなって抵抗力がつくと汗で皮膚に炎症を起こすなんてこともなくなっていたのでした。
加齢とともに抵抗力が落ちて、再びあせもができるようになったみたいです。
アトピー性皮膚炎でも、大人になって治っていたのに、老人になって再び症状が出てくると聞いていますが、それと同じみたいです。

で、あせもの治療ですが、シッカロールでもいいみたいなのですが、私の場合、軽症なので、あせも予防の薬としてカラミンローションを処方されました。

お風呂やシャワーの後、ピタピタと患部につけて下さいということでした。
見たところ、なんだかググッと飲んでみたい色合いですが、飲まずにつけて治ればラッキーです。

齢重ね再びまみえし汗疹かな    みどり

みーちゃん、頑張りました。

2019年08月06日 | 
8月5日早朝、我が家の愛猫みーちゃんが亡くなりました。
悪性腫瘍でした。
先月16日より水以外、口にしなくなり、亡くなる数日前からは水も飲まなくなりました。

猫は水だけで1カ月生きると聞いてはいましたが、悪性腫瘍もあり、もう少し早く逝ってしまうのかなと思っていましたが、みーちゃん頑張りました。

亡くなる前日の夜、呼吸が荒くなり『今夜が山かも』と思い、私はいつもは自分の部屋で寝るのですが、みーちゃんが寝ている床の間のある座敷に、自分の枕とタオルケットを持ち込んで、畳の上で寝ました。

真夜中の2時半くらいまで、時折起きては体をさすってやったりしていましたが、いつの間にか私も寝ており、4時頃、みーちゃんに蹴られて起きました。
みーちゃん、ほとんど動けない状態でしたが、私のすぐ傍まで這う様に来て、私を起したのでした。

口を開けて、苦しそうでしたのでシリンジで口に水を含ませました。
それが結局、末期の水になりました。

5時過ぎ、明るくなってきましたので、庭の水遣りに行き、急いで戻ると亡くなっていました。
まだ温かかったです。

亡くなるまでのみーちゃんの頑張り、凄かったです。
思い出すと辛いので書きません。

医師が勧めた手術を受けさせなかったのが間違っていたのか、正しかったのか、今では分かりません。
ただみーちゃん、最後まで好きなようにお家で暮らすことはできました。
私もできるだけみーちゃんの傍にいるよう努力しました。

寂しがり屋で甘えん坊のみーちゃんの為に、私は通っていた健康講座も茶道もお休みし、友達との約束もキャンセルしました。
亡くなる2日前まで、みーちゃんは私をヨタヨタと追いかけ、私がお風呂に入っていると足ふきマットの上で出てくるのを待っていました。

だから私は今も出掛けると『早く帰らなくちゃ』と思ってしまいます。
朝起きるとみーちゃんを探してしまいます。
もうみーちゃんはいないのに。
お家にも、心にも、ポッカリと大きな穴が開いてしまいました。

みーちゃん、今までありがとう。そしてさようなら。
ブログで今までみーちゃんのことを気にかけて下さった方々にも、お礼申し上げます。
本当にありがとうございました。