緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

親のお金

2016年10月26日 | 話題
月曜日の朝、何気にテレビをつけたら、NHKのあさイチで、シリーズ“親が心配”のお金編を放送していました。
見ていて突っ込みどころが満載でした。

三つほど、親のお金問題で困った例が挙げられていました。
一つ目は、私は途中からなので見ていなかったのですが、80代の母親がよく分からないまま投資信託を購入していて大損していた話です。

二つ目は、ある女性の話ですが、実家の親の住宅ローンが破たんして競売にかけられることになり、600万円で買い取ってほしいと親から言われた例です。
その人の父親は大企業に勤めていて、順風満帆の人生を過ごしていた筈なのに、なぜそうなったかというと三つほど理由がありました。

一つは、その女性の兄が仕事を辞めて実家に戻ったにもかかわらず、仕事をしていた時と変わらないお金の使い方を、親のお金でしたこと。
ここで、私の疑問です。親は実家に戻った無職の息子になぜ多額の金銭を渡し続けたのかということ。
普通、成人した子供が実家に戻れば、病気でもない限り、無職であっても逆に自分にかかった生活費くらい親に渡すでしょ。百歩譲っても、親のお金で散財はしないのでは?

もう一つは、母親が脳出血で倒れ多額の医療費がかかったこと。
母親は若い頃から体が弱く、医療保険に入ることができなかったとのことですが、これも高額療養費制度を利用すれば無茶苦茶に多額にならない筈。脳出血なので癌のような保険のきかない高度先進医療を受けてもいないでしょうから。
それとも、ずっと個室に入院していて差額ベッド代がかかったのでしょうか。

最後の一つは、父親の定年後の再就職先が決まっていたのですが、体が不自由になった母親の介護のために再就職できなくなったこと。
ここでの私の疑問。母親の介護のために介護保険は利用しなかったのかということ。
 
定年後の再就職の場合、会社は高年齢雇用齢継続給付制度を利用することと思います。
その場合、会社は給料を減らすために働く時間を少なくすることが多いのです。少なくとも収入が増えてしまう残業はない筈。(※会社が給料を定率以上減らさないと高年齢雇用継続給付は利用できない。給料が多いと、増えた給料分よりも、給料、給付金、年金の三つを合わせた本人の手取りが減る仕組み)
介護保険制度さへ利用していれば、介護しながら働いていても、そんなにきつくない筈なんだけど。

いずれにしても父親は住宅ローンが払えなくなり、その女性が気が付いた時には、父親は消費者金融からお金を借りていて、年金も担保に入っていたとのこと。

その女性は親がお金で困っていることは薄々気づいていたらしいのです。というのも父親から「お母さんの薬代がかさむので1万円貸してくれ」みたいな電話がしばしばあったからだそうです。
このお父さん、息子には散財させるけれど、娘にはたかるのですかって感じです。

このケースの場合、私に言わせれば本当の話なの?って感じがします。
番組では言えなかった事情があったのかもしれませんが、父親が、何か嘘をついているか、金銭管理がまったくできない人のように思えます。

三つ目のケースは、父親が認知症にかかり、母親が癌で闘病していた息子のケース。
息子は母親から預金通帳と印鑑・カードの場所を聞いていたのですが、それだけでは預金は引き出せません。カードの暗証番号か委任状が必要だったのです。

母親が入院した時、預金が引き出せなかったのですが、息子はどうしてもカードの暗証番号を闘病中の母親に聞くことができず、母親の医療費を自分が立て替え払いし続けたとのこと。
ついに母親の意識レベルが下がって朦朧状態になった時に初めて、大声で「暗証番号は?」と聞き続けたらしいのです。

このケースは私に言わせると、なぜ母親がしっかりしていた時に暗証番号を聞けなかったか分かりません。
最初に引き出せないと気付いた時に「暗証番号が分からないと引き出せなかった、今は医療費は自分が立て替えているけど暗証番号を教えてほしい」と言えばいいことです。

というわけで、見ていて突っ込みどころ満載の番組でした。

我が家の場合は、母の介護が始まると、母の方からカードと暗証番号を教えられ、必要な経費はそこから出していました。
ちなみにカードを預かって、現金を引き出すのは兄の仕事でした。
その普通預金の口座には、預けられた当初から300万円ほどあって、その上、年金が振り込まれる口座だったので常に十分にありました。

ただ困ったのは母の死後でした。

よく言われているように、人が死ぬとその人の預金口座は封鎖されます。
それは分かっていたので、母の死が近づいたと思われた時点で、私は何度も兄に葬儀代等の現金が必要になるので取り敢えず50万位引き出しておいてと頼みました。
ところが、兄はその度に「親のお金を使いこむ気か」といったような訳の分からないことを言って引き出さず、結局、葬儀社に支払う現金に困り、それこそ消費者金融を利用するしかないような破目になったのです。

どうやら兄は、母の死を想定して行動することを考えることさへ、したくなかったみたいです。

三つ目のケースの息子といい、私の兄といい、親の死とお金に関して、訳の分からない先走りした罪悪感のようなものに囚われて、自分で自分の首を絞めているのではと思えます。

ところで、我が家の場合、私が一番困って振り回されたのは、見れなかった番組の冒頭の一つ目のケースに近いことのようでした。
知らない間に親がとんでもないものにお金を使っていたというケースです。

母は、良い意味でも悪い意味でも行動的な人で、中年の頃からある宗教の熱心な信者になり、宗教活動に専念するようになりました。そこでの献金はハンパな額ではなかったと思います。
それは親のお金ですることであり子供がとやかくいうことではありません。

それとは別に様々な投資にも熱心で、結局、世の中を騒がしていた投資詐欺事件の被害者になったことがあったのです。
当時、既に母の目は不自由になっており、結局、私が付き添って被害者説明会に行くことになりました。そのような会に行くことは、私の感覚では恥以外の何物でもなかったのですが・・。

また、母が投資の為に購入していた土地の売買を巡って怪しい儲け話に巻き込まれかけたこともあり、それも私が付き添って行って、見るからにヤクザな人と話し合ったこともありました。
その時は恐さより怒りの感情の方が強かったように思います。

親のお金を親がどのように使おうが、それは子供の口出しすべきことではないのですが、犯罪がからむと厄介なのです。
おまけに犯罪か犯罪でないかの区別なんてつきません。(たとえば、私に言わせると金融機関が扱っている投資信託は合法的な詐欺みたいなものです)
母は最期まで認知症とかではなく、単に投資好き、儲け話好きの人だったので、すべては自己責任になります。

両親がすでにいない私にはもう関係ない話ですが、子供は自分に累が及ばない限り、親の金銭問題は放っておくしかないのです。
ただ、相談を受けた時は、これもまた自分に累が及ばない範囲で力を尽くすしかなかったように思います。

何よりも、日頃から相談してもらえる関係を親との間で作ることが大切だったのかもしれません。
オレオレ詐欺なんかでも同じですが、相談してもらえれば、被害を食い止めることができるからです。


千住真理子さんのリサイタル

2016年10月17日 | お出かけ

昨日、兵庫県立芸術文化センターに千住真理子さんのバイオリンリサイタルを鑑賞しに行ってきました。


兵庫県立芸術文化センターにはホールが大中小と三つあり、リサイタルは小の神戸女学院小ホールでした。
小ホールには初めて入ったのですが、すり鉢状になっていて、すり鉢の底の部分が舞台になっています。

チケットは頂き物だったのですが、すり鉢の一番下という良い席。
4メートル先に千住さんがいます。
ちょうど真横から千住さんを見る位置です。

リサイタルの曲目はバッハを中心に無伴奏での演奏。つまり、舞台上には千住さんしかいません。
クラシック音楽は、私はよく分からないのですが、上質なものはよく聞いておくべきだと思い、耳を傾けました。
パガニーニの曲もあったのですが、技術的に凄いということは分かりました。

見る方もしっかりと見ていました。
千住さんは肩を出した秋らしい色合いのドレス姿でした。

真横から見るのでよく分かったのですが、バイオリンを弾く時は少し腰を落とし気味にし、頭は前に出し気味です。
首、肩、腰に負担がかかりそう。

私もせっかくなのでおしゃれして出掛けました。昨日は暑くてそれだけでも大変でした。


ですがこのモミジ柄の着物、どうにも着づらいのです。
リサイクルで仕付け糸付きを買ったのです。以前にも一度着たのですが、とにかく身幅が広すぎて着づらく、いつも着物の手入れをしている呉服屋さんで相談したのですが、着方の問題で手直しする必要なしと言われました。

私は20代の頃、着物の着付け教室に通いました。
その頃の着付け教室は、大きすぎる着物の着付けも教えてもらえたので、大きい着物もそれなりに着られるのですが、それでもこの着物は私の手に負えません。
このまま箪笥の肥やしになりそう。



二度の広島・岡山旅行 「小指の思い出」編

2016年10月06日 | 旅行
9月はどういう成り行きか、2度も旅行しました。
それも行き先が近い。

一度目はシニアカレッジの修学旅行で鞆の浦と倉敷。
二度目はいつもの自然観察OB会の旅行で府中市の上下町と帝釈峡。

事件は鞆の浦を散策したその夜に起こりました。

鞆の浦は9月中旬だったのにとても暑く、それが真夜中の出来事に繋がったようです。

「崖の上のポニョ」のモデルとなった鞆の浦の港です。宮崎駿監督は鞆の浦にしばらく滞在していたそうです。


夜は宴会ではじけて、自室に戻って夜も更けた午前3時。
突然、左足小指に激痛を感じて目が覚めました。

虫に刺されたかと思いました。
でも、その時、私はふとんから足を出していた状態で、空中を飛ぶ虫以外刺すのは無理。
まして真夜中。虫の筈がありません。

痛みが治まらないので、畳の部屋の外の、電気をつけたままにしてあった板の間まで行って足を見ましたが見た目は何ともない。
ふとんに戻って痛みの原因を考えました。

思いつくのは痛風? でも女性は痛風になるかしら。私、食生活はいたって質素だし、尿酸値も問題無かったはず。

その内、痛いながらもウトウトと眠ってしまいました。
朝、眼が覚めるとまだ激痛は続いていました。
とてもまともに歩けない。旅行はどうなる、どうする・・・。

同室になった人にそのことを告げると、皆も私の足を見つめて思案顔。旅行の企画委員の女性もきて、色々と提案されたのですが・・・。

①救急車を呼んで病院に行く。でも、行っても専門医がいるわけではないだろうし、痛み止め貰うくらいでしょ。
②新幹線の駅まで連れて行ってもらい、そこから一人で大阪に帰る。高くつくわー。で、新大阪からどうする?
③その日は倉敷観光だったので、皆が観光している間、一人でバスの中で待っている。当然クーラー無しだし、酷暑ですよ、酷暑。

私は結局③かなって考えてました。

ところが、倉敷はそれなりに観光の町で、大きな休憩所やら何やら、それなりの設備が整っていたのでした。そして車椅子の貸出もあったのでした。

というわけで、一転私は車椅子に乗せられ、VIP待遇で観光することになりました。
足はその時点でも、靴の上から撫でられても痛い・・・。

まずは倉敷観光の定番、大原美術館の見学。車椅子を押して下さったのはシニアカレッジのクラスメートの皆さん。特に同じ班の企画委員の方々でした。

押して貰っていたので文句は言えないのですが、押して貰う人によっては怖かったです。
「ぶつかるー!」とか「落ちるー!」とか、叫びまくっていました。

実際、何回かぶつかりかけたり、ぶつかったり、落ちかけたりしたのです。
車椅子を押すのが初めての人が多かったのです。もう、ぶっつけ本番。

私、今までに車椅子体験はあったのですが入院中の病院内での事。外とは全く事情が違いました。
おかげで、車椅子が通行するのに何が不便か、危険か、よく分かりました。

でもシニアカレッジの仲間たちには感謝感謝です。
最後になって、こんな親切を受けて親しくなるなんてねぇ。

痛みは、なぜかその日の午後の2時頃、始まったと同じように突然消えました。
何だったんだ???

旅行の翌日、近所の整形外科を受診。レントゲンを撮られましたが何ともなく、前日に歩き過ぎて一時的な炎症を起こしたのだろうと。痛風の可能性はないと。
全然納得できない医師の説明でした。

その後、私なりに考えたり調べたりしました。
結論は、こむら返りのように、足の小指がつったのではないかということ。
当初、足の小指がつるなんてあるのかと思っていましたが、足の小指もつるみたいです。

状況的に、前日、とても暑くて軽い脱水状態だったこと。
また就寝中、家では真夏でも一晩中は掛けないクーラーをずっと掛けていて、寒いくらいだったのに足だけふとんから出していたことを考えると、つる要因は整っていました。

つるというのは、要するに足の小指周辺の筋肉の痙攣ですが、原因が分からなかったので治し方も分からず(変に触れなかった)、つったまま午前3時から午後の2時までいたわけです。

つくづく思ったのは旅行に行く時は保険に入ろうということ。
この齢になると何が起こるか分かりません。

いずれにしても、とんだ小指の思い出になりました。