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緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

万博のイベント終了

2025年06月09日 | 謡曲
2年近く前から計画があって、何かかんか言っていた万博のイベントがやっと終了しました。
最終的に「令和今昔四季物語絵巻」となったあれです。

令和今昔四季物語絵巻

令和今昔四季物語絵巻

伝統を未来へ。日本の四季と神事が織りなす今昔絵巻

伝統文化未来共創Project~THE FUTURE in TRADITION~

 

私は大阪大連吟の一員として当初から話を聞いていたのですが、何となく途中から風向きが怪しくなり、結局、万博で大連吟をやりたいと勢い込んでいた能楽師の先生の当初の思惑とは全く違ったものになりました。

大連吟の人達は行くには行ったのですが観客として行きました。
着物で行くように言われていたのですが、もちろん着替える場所もないので家から着物です。
おまけにシニア層が多いのに、チケットも、イベントの招待状(というものが送られてくる)も、自分でスマホやパソコンを操作して手に入れなくてはならなかった。
それやこれやで挫折してしまった大連吟の人達も多かったのです。

着物で行くことを考えて4日の14時開演分の公演に行くことにしたのですが、思った通り、大連吟の人達はバラバラに座らされました。
そんなんで謡えと言われてもねぇ。

たまたま私の隣も大連吟の人だったのですが「こんなんでどうやって謡えちゅうんよ」とブツクサ。
終わってから大連吟の人達が何人か集まって「せめて大連吟の人達だけで固まって座られたら良かったのに・・・」とか言い合いました。

客席で自由に謡ってくれということだったのでしょうが、バラバラだと謡いにくいのですよ。
「皆さんもご一緒に謡ってください」みたいなナレーションもないし。
それでも少し謡ったら前の座席の人に『何事か』みたいな顔で振り返られてしまいました。

企画の途中でプログラムが大連吟とはまったくかけ離れてしまったので、どうしようもなかったのだと思います。
先生も「自分の手から全く離れた」と言ってました。

なぜか途中から人間国宝が5人も出演することになって、一介の能楽師が口出しできる余地はなくなったと思います。どなたかも「あのメンツじゃあ仕方がないわ」と言ってました。
先生の気持ちとしては忸怩たるものがあると思いますが、悔しかったら自分も人間国宝になるしかないでしょう。💦

先生も含め、大連吟の人達の気持ちはともかく、公演自体は成功したと思います。
普段、見ることのできないものを見させていただきました。
写真は最終演目以外撮ることは許可されていませんでした。

最終演目の巫女舞です。








フィナーレで出演者の皆さんが再び登場。観客も全員起立。


こういうきっかけが無ければ、私が万博に行くこともなかったと思います。
面白い形のパビリオンやオブジェがたくさんありました。
これはどこだったか。


私が入ったシャインハット。


大屋根リングはやはり凄い迫力でした。
その下は休憩場所みたいになっていて、来場者は飲食したり休んでいたり。

私はシャインハット以外どこにも入らなかったのですが、大屋根リングには登りました。
左に斜めに見えるのがエスカレーターで、それで登りました。


全体の風景


行く人は、これは見てほしい。
地下鉄の夢洲駅で見られます。
写真だと夢洲という文字が分かりやすいのですが、実物は一見松の絵のように見えます。


私は前の万博にも行っています。
前の万博のテーマは確か「進歩と調和」だったように思います。
このテーマ、当時「辛抱と長蛇」と皮肉られて、覚えていたのです。
どうやら今回の万博も「辛抱と長蛇」は変わらないみたいです。


大連吟、成功のうちに終了

2025年05月24日 | 謡曲
大連吟、ようやく終わりました。
大成功で、大変な迫力だったと思います。

何年も大連吟でお稽古していると、稽古期間が毎年半年だけとはいえ、私も段々と声が出るようになりました。
たぶん、謡う私の声を側で聞く人は、その声の大きさにびっくりすると思う。

昔、20代で謡曲を習っていた頃は、自分の声の出なさに限界を感じていました。
実は私が謡曲を習い始めた理由の一つは、自分の声の小ささにありました。
勤め先の上司には「蚊が風呂で屁をこいているような声」とさえ言われました。
子供の頃も、先生からさんざんに「声が小さい」と言われ続けていたのです。

謡曲を習って、人並みの声は出せるようになりましたが、謡いの声としては男性の方々とは、そもそも比べ物にならなかったのです。
それでも、自慢するわけではないですが、先生からは音程の覚えは褒められていました。
なんでも、普通の人が10年かけてやっと覚えられる音程を、私は10分で覚えて謡うことができたらしいのです(人間というものは長所も短所もあるものです)。

それが今では近所中に響き渡るような声になりました。\(^o^)/
もう死んじゃってると思うけど、昔の上司に聞かせたい。

私でさえそんなだから、大連吟に何度も参加している人達はどんなもんか。
しかも先生曰く、「ピタッと合ってた」らしいです。
でも私は「それは違う」と思ってます。
というのも私の隣で謡っていたオードリー・タン風のお兄ちゃんは、地声は大きいのだけど癖のある謡い方で、まさに自己流で謡っていましたので。
今年は参加者が100名近くで、一人くらい自己流で謡ってもかき消されたのだと思います。

スマホで撮った控室からの写真です。

奥に見える建物は今回の催しが行われる四天王寺の五智光院で、右手に五智光院に向かう渡り廊下も見えてます。


毎年2階の控室から写す井戸です。覗いたことはむろんのこと、側に寄ったこともありません。(なんか怖い💦)


道頓堀今井のお弁当。お美味しゅうございました。

今年も終わってから打ち上げに参加。
今回は珍しく中華で、久しぶりにターンテーブルで中華のコース料理をいただきました。
ただ、今回は騒がしすぎてお隣の人の声もよく聞こえず、話は弾みませんでした。
ひたすら食べる打ち上げとなりました。

          


ブログの引っ越しですが、結局Amebaに引っ越すことになりました。
引っ越し先は、まだバタバタとして片付いておりませんが、以下でございます。
https://ameblo.jp/tiisiro/
今後ともよろしくお願いいたします。


薪能を鑑賞

2024年08月06日 | 謡曲
最近は暑すぎてどこにも行きたくありません。
でも以前からの予約や約束でお出かけする日が連日続いています。
おかげで首まわりやら脇の下やら背中やらに、かつて経験したことないほどの汗疹ができました。
連日体温以上のところに出かけ、水をかぶったみたいに大量の汗をかき、出先だからすぐにシャワーを浴びずにそのままでいるから仕方ありません。

実はあまり行きたくなかった場所に近所の神社の薪能がありました。
その神社の薪能、毎年7月に行われるのですが、もう50年くらい続いています。
さすがにコロナの頃は中止されていましたが復活しました。
コロナ以降、各地で行われていた薪能は無くなってしまったところが多いのだそうです。
でも、この地域は結束が強いのか当然のように再開することになったそうです。

その神社の薪能に、私は20代の頃に一度観に行き、懲りました。
見どころであるプロの能楽師さんが演じる狂言やお能は一番最後の演目になります。
遅く行くと人が多すぎて肝心のお能が始まっても見えないのです。
ですから早く行ったのですが、能楽を習っている子供達の仕舞を延々と見せられ、その間、暑いし、ずっと立ちっぱなしだし、とても疲れたのでした。(早く行っても座れない(´;ω;`))

今回、お茶の先生に薪能を観に行くのか聞かれて、20代の頃の経験を話して観に行くつもりはないと答えました。
すると先生は「じゃあ私についてきなさい」と言いました。
先生はその神社と関係が深いので、来賓席が用意されているとのことでした。
お断りする理由がありません。
お茶友達で着物友達のMちゃんも、今までお能を見たことがないとかで一緒に行くことになりました。

その日、家で軽く食事した後、午後6時に神社で待ち合わせしていたので、自転車で10分足らずの神社に行き合流しました。
能舞台周辺を見ると、私が20代に見た記憶とずいぶん違っていました。
一般席の椅子席も余裕があり、6時くらいに行っても座れるみたい。
後で聞けば、見に来る人が少なかったとのこと。

舞台は神社内の野外舞台である舞殿で行われます。
私達は先生に連れられ来賓席に座りましたが、それも一番前のど真ん中。
いわゆるかぶりつきで、相撲の桟敷で言えば砂被り。

座った時は子供達の仕舞が順番に始まっていて、それが終わると大学生の仕舞、次は一般の方の仕舞と続きます。(だんだん上手になるのが分かります。特に90代の方の仕舞は風格を感じました)

その後、プロの能楽師による狂言の「附子(ぶす)」が演じられました。
Mちゃんは観ながら大笑い。先生もつられてか大笑い。
私、内心『そこまで笑わんでも・・・』。
Mちゃんはともかく、先生は「附子」がどんな話か知っていらっしゃいます。
先生曰く「知ってても役者さんの演技が巧いから笑ってしまう」んだそうです。

そしていよいよ薪能の始まりです。
市長さんの挨拶の後、火入式です。
一番前なものだから薪に近く、ただでさえ暑いのに熱気で暑い。
辺りもだんだん暗くなってきました。

その日のお能の演目は「羽衣」でした。
薪だけでなく舞台になっている舞殿の中にも灯りがついていて、それを目掛けて虫が舞台の中を飛び回ります。
蝉はずっと鳴いていたのですが、クマゼミの声はいつの間にか聞こえなくなり、アブラゼミの声ばかり聞こえます。

演目が終わる頃には薪の火は消えていました。
見ていて羽衣の天女の舞ってこんなに長かったかなとなんだか疑問。
(私が「羽衣」を観るのは二度目。)
終わった後、Mちゃんも「天女の舞が長かった」

舞台の写真もビデオも禁止されていましたが、火入式の時はスマホで写真を撮っている人はたくさんいました。
私は先生が側にいたこともあり写真は撮りませんでした。
帰る時、終わった舞台の写真だけ撮りました。



一番前の席で座ったままじっくり観られたのは良かったです。
お茶の先輩の一人は遅くに来て、やはり立ち見でよく見えなかったと後で聞きました。


大阪能楽大連吟 大成功、その後の打ち上げ

2024年05月21日 | 謡曲
5月19日、毎年恒例の大阪能楽大連吟が四天王寺の中の五智光院で開催されました。
私は4回目の参加。しっかり謡ってきました。
今年はなんやかんやでお稽古にも行けなかったのですが、充実した大連吟となりました。
そのご報告です。

ご報告の前に、大阪能楽大連吟とは何か今一度簡単に説明しておきます。
私が参加したのは大阪ですが、最初は京都からだったそうです。
要するに年末に行われるクラシックの第九のように、プロの能楽師が「高砂」を演じながら、参集したたくさんの人達が地謡部分の「高砂」を謡うという催しです。

詳しくは以下を参照。
大阪能楽大連吟 - 謡でつなげる、にっぽんの心

大阪能楽大連吟 - 謡でつなげる、にっぽんの心

あの能楽大連吟が大阪にやってくる プロの能楽師による数ヶ月のレッスンのあと、参加者みんなで能の舞台に立ちます。謡の発声法を身につけることで、伸びやかな声となり、ま...

大阪能楽大連吟

 

この日は雨でした。

四天王寺には11時に着いて、すぐに着物に着替えました。
着物が着られない人のためにボランティアの着付け師の方がいらっしゃいます。

私は一人で着られるのですが、帯の柄合わせが難しかったので「帯結びだけ手伝ってください」と言うと「最初から着付ける方が早いから」と結局全部着付けてもらいました。
私は立っているだけでした。

着付け師の方の着せ方、恰好よくはしてくれますが、着てしんどい時もあります。
今回はしんどくなかったけれど、いつもとは随分と違った感じで着せられました。
裾が長めで、履物を履くことはなかったので、階段で裾を踏みそうになったり。

ちなみに、お茶の場合、お点前の時に裾を踏まないように少し短めに着ます。
また座ったまま体を動かすことが多いので、左の前身ごろを極端なくらい巻き込んで、動いても前が乱れないように着ます。

さて、着物を着ると控室に移動。
毎年写真を撮る控室からの庭の光景。
井戸があります。


ランチの為に食堂になっている大部屋に移動。
美味しいお弁当をいただきました。


その部屋から見える前栽の風景。

四天王寺さんですので、おそらく名のある庭師の作でしょう。



リハーサルを行います。
自分達が座る場所や手順の確認などして、いよいよ本番です。

五智光院に続く渡り廊下で待ち時間に写真を撮ってもらいました。

単衣の色無地だったのですが、さすがにプロの着せ方、首長に見せ、スッキリとしています。
自分ではこうはいきません。

肝心の本番ですが、迫力があったと思います。
後で先生からも言われたのですが、今までで一番良かったそうです。
私も客席で聞いたらどんなんなんだろうと思いました。

お客様も帰られて、最後に記念写真。

中央におられる男性二人が主催者である能楽師の先生です。

この後はお楽しみの打ち上げです。
参加は自由なのですが、もちろん私は参加しました。
場所はあべのハルカス、モダンイタリアンのお店でした。

なんだかラウンジのような雰囲気のお店で、そこの6人席に私は座りました。
お稽古等で顔見知りの人達もたくさんいるのですが、私が座った席は記憶にない方ばかりでした。(私は顔音痴なので自分が覚えてないだけかもしれない)
大連吟のような催しに集まる人達は、趣味や興味が共通している部分が多いので、初めてお話しする方ばかりでも楽しめました。

ちょっとショックだったのが、今どきのレストランの方式でした。
なんとそのお店はお客に最終部分の調理をさせるのでした。
どゆこと? って感じですが、最初に運ばれたサラダ、大きなレタスの葉がそのまま皿に乗っていて、キッチン鋏が付いてます。(レタスは一応洗ってある。)
要するにレタスの葉をそれで切って食べろってことです。

「これってオッシャレーなのか、それともメンドクサーなのか、どっち」と私が言うと、同席された方々は口々に「めんどくさー」とおっしゃる。
『だよねー』って感じです。

サラダ以外にはピザもカットされずに運ばれてきました。
それもキッチン鋏が付いていて、自分達で切れということらしかったです。
お肉も同様、ナイフもフォークもなくキッチン鋏で切って食べる・・・。
お味は美味しかったです。

ドリンクは飲み放題でしたが、アルコール類は席に置いてあるQRコードから注文です。
ソフトドリンクはドリンクバーに行き、そこで自分で調合して作るのでした。
つまり、自分の好みのカクテル用シロップみたいなものを選んで、そこに好みの炭酸水を入れる。

お茶や紅茶ももちろんあります。
どれもこれも種類が豊富で、選ぶのに迷いました。
コーヒーはさらに大変で、説明は難しいのでパス。
後日、食べログの口コミを見たら世界一のドリンクバーって書いてました。
それはそうかもと思います。

要するに人手不足対策なのか徹底した省力化を図っている。
というか客にやらせてる。
コーヒーの淹れ方なんて本当に複雑で、年寄りはついていけない世界になっている。
あのお店(BABYFACE SKY TERRACE あべのハルカス店)、興味のある方は大阪にお寄りの際に是非体験してください。

とまあ、打ち上げでは楽しいおしゃべりと共に、それなりに興味深いレストラン体験をして、「また来年」と言い合って家に帰りました。
帰宅は11時近くになってました。

ちなみに大連吟、京都、大阪、滋賀、福岡とあったのですが、今年から神戸と佐賀にも同様の催しの計画があるとか。
神戸は晩秋に本番らしいのですが、そっちも参加しようかと考えてます。


大阪能楽大連吟、無事終了

2023年05月26日 | 謡曲
5月14日、四天王寺五智光院にて、大阪能楽大連吟が開催され、無事終了しました。

今年はコロナの影響もなく、お客様の人数制限もありませんでした。
演目は、最初にプロの能楽師による「清経」後、全員が謡う「高砂」でした。
「清経」は地味で、来てもらった友人が「ウトウトした」と言ってました。
「高砂」の方は迫力あったと思います。

私も3回目だと少しは慣れました。
公演終了後に打ち上げがあるので、洋服で来て四天王寺の中で着物に着替えました。

着物は帯結びだけ手伝ってもらいました。
手伝ってもらったのは、同じ出演者の女性で、髪をきれいにセットした、物腰や話し方が柔らかな、北新地のママさんかなと思うような素敵な女性でした。
帯はいつもの私のとは違う、大きめのふっくらしたお太鼓に結ばれました。

着替えたらランチです。

これこそお茶席の点心にしたら良さそうな上品なお弁当です。
お味は良かったです。

後は控室で時間待ちです。
窓から四天王寺内の庭園が見えました。




井戸が気になります。

本番が終わって、お客様がお帰りになって五智光院で集合写真。


その後はお楽しみの打ち上げです。
皆で阿倍野まで行き、アベノハルカス14階のハワイ料理店で歓談しました。

窓からは大阪の景色が一望できます。

はるか向こうに見えるのは生駒の山々?

お話を伺っていると、皆さん色々と異なる興味と背景をもって大阪能楽大連吟に参加されているみたいです。
私同様、何度目かの参加の人も多くいました。

大阪能楽大連吟、一年の内、半年足らずの稽古と本番。
それでも私にとっては節目のイベントとして意味があります。
来年もまた参加したいです。