タイトルの「むさらくさら」ですが、動作が鈍い様子を指します。
今では使う人がいない言葉です。私は父から聞きました。
検索してみると仙台の方言では「もさらくさら」で使われているようです。
父は石川県の人でした。
どういう場面で使われたかというと、私が子供だった頃のことです。
母が私のやることの遅いことを「何をやらしても遅い。グズや」と罵ったりした時、父が「むさらくさらも十五さら、ななさらやさらも十五さら」ととりなしていました。
意味は、見たところ、いかにもどん臭い仕事ぶりでも、逆にテキパキやっていても、実際には違いは無いということだったようです。
父がそう言っても、母はまったく聞かぬふりで、私の動作の遅いことを「イライラする」と怒っていました。
実際私は、特に手のかかる子供ではなかったと思いますが、何かやらせるとトロトロとして、やたら遅いのでした。
それで、母からだけでなく学校でも、先生やクラスメートから「パッとしない子」扱いを受けていたのでした。
父の言っていた「むさらくさらも十五さら、ななさらやさらも十五さら」という言い回しは、昔は子育ての場面でよく使われていたようです。
色々と調べてみるとこんなブログを見つけました。⇒ここ
父の言っていたのと全く同じ意味合いです。
ところで、私のやる事為すこと遅かったのは、どうやら私がHSPだったからのようです。
HSPの特性の内「深く処理する」というのがありますが、その特性が「やる事為すこと遅い」に繋がっていたようです。
最近は、私自身が意識しだしたせいか、テレビや新聞でHSPもしくはHSCについての番組や記事を見かけることが増えました。
(HSPについての詳しいことは前の記事を読んで下さい。⇒ここ)
HSPは “Highly Sensitive Person” の略ですが、HSCは “Highly Sensitive Child” の略です。
要するにHSPの子供です。
そういう子供達がいるのだということは親や教師は知っておいた方が良いと思います。
(自分は知らないので知りたいという人はこちらを読んで下さい。⇒ここ)
子供のHSP、つまりHSCは、往々にして発達障害を疑われたり、ストレスで不登校に陥ったりしているようですので。
私がHSPについて知ったのは最近のことですが、自分が人とは異なる問題の向き合い方をすることは30歳の時に気づいていました。
30歳の時、私は有利な転職をする為に職業訓練校に半年間通いました。
その時の経験です。
その職業訓練校は婦人高等職業訓練校という名称で、生徒は女性のみ、事務科と給食科と家政科がありました。
事務科は主に簿記を学び、経理関係の知識と資格を取得することが目的でした。
私は事務科に入学しました。
私はそれまで簿記を学んだことがありませんでした。
簿記を学んだことのある人は知っていると思いますが、3級の資格はそれほど難しくないのです。
2級以上が少し難しくなります。
首尾よく3級に合格して、2級の勉強をしている時、先生はいつも問題を一つ出して、答えが出たら自分のところに持ってくるように言いました。
すると、たいてい同じ人なのですが、私が思わず『えっ?!』という程早く、答えを持って行く人がいました。
先生は教壇にいて、答えを見て、間違っていると「ブー」と言い、正解だと「ピンポーン」と言います。
最初に持って行った人はいつも「ブー」と言われていました。
生徒の半数以上が答えを持って行っては「ブー」と言われ、同じ人が2度も3度も行くのですがなかなか正解が出ないのです。
その間、私はひたすら問題を解いています。
ようやく、何人かの人が「ピンポーン」と言われ始めた頃、私もやっと問題を解く事ができるのでした。
そして持って行くと「ピンポーン」と言われます。
私が「ピンポーン」と言われた頃から、答えを持って行った人の大半が「ピンポーン」と言われるのでした。
私が正解を出すのは、いつもクラスで5番目くらいだったと思います。
こういうことが、まるでパターンのように何度も繰り返されました。
それで私は気が付いたのです。
私は答えを持って行くのがいつも人より遅い、でもいつも一発で正解を出す、と。
全体からみて正解を導き出すのが特に遅いわけではない、だったらこれで良いのではないかと。
今から思えば、これこそ「むさらくさらも十五さら、ななさらやさらも十五さら」だったのです。
私が答えを出すのが遅かったのはHSPの特性の一つ「深く処理」していたからだったのです。
当時、HSPのことは知らないまま(当時はHSPの概念も無かった)、そういう自分の特性を知って、私はちょっと自分に自信を持ったのでした。
それ以降、私は相変わらず「トロそうな人」扱いを受けてきましたが、あまり気にしなくなりました。
決して間違っているわけではない、私には私のやり方があるのですから。
「むさらくさらも十五さら、ななさらやさらも十五さら」という言い回しは、昔の人はそういう人や子供の存在をよく知っていたという証だったと思われるのです。
今では使う人がいない言葉です。私は父から聞きました。
検索してみると仙台の方言では「もさらくさら」で使われているようです。
父は石川県の人でした。
どういう場面で使われたかというと、私が子供だった頃のことです。
母が私のやることの遅いことを「何をやらしても遅い。グズや」と罵ったりした時、父が「むさらくさらも十五さら、ななさらやさらも十五さら」ととりなしていました。
意味は、見たところ、いかにもどん臭い仕事ぶりでも、逆にテキパキやっていても、実際には違いは無いということだったようです。
父がそう言っても、母はまったく聞かぬふりで、私の動作の遅いことを「イライラする」と怒っていました。
実際私は、特に手のかかる子供ではなかったと思いますが、何かやらせるとトロトロとして、やたら遅いのでした。
それで、母からだけでなく学校でも、先生やクラスメートから「パッとしない子」扱いを受けていたのでした。
父の言っていた「むさらくさらも十五さら、ななさらやさらも十五さら」という言い回しは、昔は子育ての場面でよく使われていたようです。
色々と調べてみるとこんなブログを見つけました。⇒ここ
父の言っていたのと全く同じ意味合いです。
ところで、私のやる事為すこと遅かったのは、どうやら私がHSPだったからのようです。
HSPの特性の内「深く処理する」というのがありますが、その特性が「やる事為すこと遅い」に繋がっていたようです。
最近は、私自身が意識しだしたせいか、テレビや新聞でHSPもしくはHSCについての番組や記事を見かけることが増えました。
(HSPについての詳しいことは前の記事を読んで下さい。⇒ここ)
HSPは “Highly Sensitive Person” の略ですが、HSCは “Highly Sensitive Child” の略です。
要するにHSPの子供です。
そういう子供達がいるのだということは親や教師は知っておいた方が良いと思います。
(自分は知らないので知りたいという人はこちらを読んで下さい。⇒ここ)
子供のHSP、つまりHSCは、往々にして発達障害を疑われたり、ストレスで不登校に陥ったりしているようですので。
私がHSPについて知ったのは最近のことですが、自分が人とは異なる問題の向き合い方をすることは30歳の時に気づいていました。
30歳の時、私は有利な転職をする為に職業訓練校に半年間通いました。
その時の経験です。
その職業訓練校は婦人高等職業訓練校という名称で、生徒は女性のみ、事務科と給食科と家政科がありました。
事務科は主に簿記を学び、経理関係の知識と資格を取得することが目的でした。
私は事務科に入学しました。
私はそれまで簿記を学んだことがありませんでした。
簿記を学んだことのある人は知っていると思いますが、3級の資格はそれほど難しくないのです。
2級以上が少し難しくなります。
首尾よく3級に合格して、2級の勉強をしている時、先生はいつも問題を一つ出して、答えが出たら自分のところに持ってくるように言いました。
すると、たいてい同じ人なのですが、私が思わず『えっ?!』という程早く、答えを持って行く人がいました。
先生は教壇にいて、答えを見て、間違っていると「ブー」と言い、正解だと「ピンポーン」と言います。
最初に持って行った人はいつも「ブー」と言われていました。
生徒の半数以上が答えを持って行っては「ブー」と言われ、同じ人が2度も3度も行くのですがなかなか正解が出ないのです。
その間、私はひたすら問題を解いています。
ようやく、何人かの人が「ピンポーン」と言われ始めた頃、私もやっと問題を解く事ができるのでした。
そして持って行くと「ピンポーン」と言われます。
私が「ピンポーン」と言われた頃から、答えを持って行った人の大半が「ピンポーン」と言われるのでした。
私が正解を出すのは、いつもクラスで5番目くらいだったと思います。
こういうことが、まるでパターンのように何度も繰り返されました。
それで私は気が付いたのです。
私は答えを持って行くのがいつも人より遅い、でもいつも一発で正解を出す、と。
全体からみて正解を導き出すのが特に遅いわけではない、だったらこれで良いのではないかと。
今から思えば、これこそ「むさらくさらも十五さら、ななさらやさらも十五さら」だったのです。
私が答えを出すのが遅かったのはHSPの特性の一つ「深く処理」していたからだったのです。
当時、HSPのことは知らないまま(当時はHSPの概念も無かった)、そういう自分の特性を知って、私はちょっと自分に自信を持ったのでした。
それ以降、私は相変わらず「トロそうな人」扱いを受けてきましたが、あまり気にしなくなりました。
決して間違っているわけではない、私には私のやり方があるのですから。
「むさらくさらも十五さら、ななさらやさらも十五さら」という言い回しは、昔の人はそういう人や子供の存在をよく知っていたという証だったと思われるのです。