緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

エンブレム問題 カタチの理解

2015年09月20日 | 話題
遅ればせながらの話題です。

例のオリンピックの佐野氏のエンブレム。そもそも論で言って、ベルギーのデザイナーの作品と似ていると、本当に人は考えているのでしょうか。
というのも、私は全然似ているように見えなかったのです。

実をいうと私、短大のデザイン美術科を出ており、1年間ほどテキスタイルデザイナーとして仕事もしていました。今を去ること40年くらい前の話です。
(1年ほどで辞めたのは、当時、一人前のデザイナーになるには5,6年かかり、その間、お給料がお小遣い程度で、経済的自立ができないことが分かったからです。)

エンブレムに話を戻すと、テレビでは、街行く人に二つのデザインを見せて、「わぁー、似てる」とか「そっくり」とかいう言葉を引き出していましたが、本当にそんな反応ばかりだったのでしょうか。
「これって、似てるんですか?」というような疑問形の反応はなかったのでしょうか。
要するに、当初、マスコミの煽りはなかったのでしょうか。

私は逆になぜ、あの二つのデザインが似ていると見なされたのか、考えてみました。

そこで思い出したのが、短大時代に受けたある講義の教授の言葉です。(その講義が「デザイン概論」だったか、「形態学」だったかは忘れました。)

教授が言うには、あらゆる形にはカタの部分とチの部分があるということでした。
カタの部分とは、元々の型である部分であり、チの部分とは命の部分だということでした。

私は、どうやら、あの二つのデザインを似ていると見なした人は、カタの部分のみを見て、肝心のチの部分は見ていないのではないかと思い至りました。

分かりやすく言うと、あの二つのデザインを見て、受ける印象はまったく異なります。
佐野氏のデザインは躍動的です。ベルギーのデザイナー氏のデザインは、逆に、重く停止した感じです。
その違いはデザイナーがどのような命を吹き込んだかで違ってくるのです。

さらに言うと、私はカタの部分も似ているとは思えなかったのです。

多くの人が類似していると考えたのは、たぶん、Tの字の右下にある突起の部分だと思いますが、ベルギーのデザイナー氏のデザインでは、似ているとするには、突起部分がずいぶんと離れています。
佐野氏のデザインでは、突起によって全体に隠れている楕円が浮かび上がる仕組みで、根本の発想からして、まるで違うわけです。

今回のエンブレム問題から離れて、デザインそのものを考えてみても、盗用しなくてもカタの部分が似ていることはザラにあります。だからこそ、エンブレムのような場合、商標登録することが重要なわけなのです。
ベルギーのデザイナー氏はそれを怠っていました。ですから、少なくともオリンピックのエンブレムに関してのみいうならば、佐野氏はまったくのシロです。

さらに私の乏しいテキスタイルデザイナーとしての経験から言うと、カタの部分を既製のデザインから借りてくることは、ほぼ100%といっていいほどありました。
NHKのクローズアップ現代で、この問題が取り上げられていた時も、テキスタイルデザイナーの方が出てこられて同じことを言っていました。

テキスタイルの場合は特にそうなるのかもしれませんが、現実にカタの部分は普遍的だったり、決まっていたりで、繰り返し繰り返し何千回何万回と使われてきているのです。
そもそもカタとは、元々の型の意ですから、そのカタの部分で自分のオリジナルであると言えるデザイナーはあらゆるものを創造したという神だけでしょう。

人であるデザイナーが、自分の創造性を発揮し、独創的な作品を生み出せるのはチの部分においてです。

クローズアップ現代では、デザイン論の専門家の方が、今回の騒動で、人々はデザインというものが、見方によってまったく違って見えることに気付いたのではないかと言っていました。
私にはそれは、希望的観測のように思えます。
むしろ大方の人々が改めて気付いたのは、水に落ちた犬を執拗に叩いて喜ぶ輩がいかに多いかということでしょう。

エンブレムは新たに募集しているということですが、応募する勇気のある人はどれくらいいるでしょうか。
どんな作品を作ったところで、一見、似ている既存の作品がある可能性はきわめて高いですし、それが商標登録されていなくても、問題にするわけです。そして、一度問題にされれば過去の作品も類似した作品を探し出され、盗用を疑われ、ネットリンチにかけられるリスクを冒すことになります。

それを防ぐには、普通の良識を持った人々が、自分の考えを持ってデザインを見る目をもう少し養う以外なさそうです。


雨の大原、三千院

2015年09月08日 | お出かけ
先日、兄の自動車が、あまり運転しないとバッテリーが上がるとかで、私も一緒に京都大原の三千院まで行くことになりました。

出がけに、いつものことながらETCカードがないと大騒ぎ。(兄はいつも○○がないとか、××がないとか言っている人。)

道案内は新しいナビだったのですが、そのナビの道案内がおかしいと文句タラタラ。(確かにちょっとおかしかった。)

なんとか大原まで行きましたが、三千院は山の中腹のような場所にあります。
ところが兄は標識のある上り道を行かず、そのまま車を走らせたので「ええっ?」って感じでしたが、その道の途中に民間の駐車場があるからと。

でも、駐車場は三千院に上る参詣道沿いに複数あったのです。但し、その参詣道は狭く、車とすれ違うと大変。駐車場が一杯だったりすると泣きを見ることになるかも。
もっとも、その日は雨のウィークデーだったので、駐車場はどこもガラガラ。

参詣道の景色です。



川沿いの道です。三千院は呂川と律川という二つの川に挟まれてあるのですが、写真の川は呂川。
川の名前の元になった呂律とは、もともとは言葉の調子のことで、雅楽の音階に呂と律があるのだそうです。そこから呂律が回らないという言葉が生まれたんだそうです。

参詣道には土産物店がボツボツといった感じで並んでいて、中でもしば漬けの店が目につきました。でもしば漬けくらい近所のスーパーでも買えると思い通り過ぎました。それが大失敗と分かったのは後の事。

三千院の門です。



雨が結構降ってました。

三千院は庭がきれいです。



有名な、わらべ地蔵さんです。いくつもあるみたい。





季節季節のお花もきれいです。

今はシュウカイドウの花盛りです。



雨が降っていたせいか、庭の風情は満点。苔が素晴らしかったです。

三千院の中を見終わって外に出ると丁度お昼頃。

門前のお店に入ってお昼ご飯です。


一日20食限定の湯葉やゴマ豆腐、野菜の煮物といったヘルシーな「門前」という名のご膳です。

帰り道、参詣道を下ります。右手に念仏寺というお寺。
門の外から写真をパチリ。



でも、こんなお寺、行きしにあったっけ。
おかしい、おかしいと思いつつ、どう考えても、こんなに歩いてこなかったと思うほど下ってました。

道、間違えてました。駐車場、あまりに離れていたための失敗だと思います。

それでも、なんとか午後3時半頃には帰宅できました。

家に帰ってから、何気にテレビをつけると天下のNHKの「うまい!」とかいう番組で、大原のしば漬けを取り上げていました。
番組によれば、大原の赤紫蘇は、大原独特の地形とそれが生み出す気象に守られ、品種が800年間変わらず、他の赤紫蘇と香りも成分等も、まったく違う良い物だったのでした。

私、お昼のご膳で少し食べただけ。湯葉に気を取られて、しっかり味合わなかった。

お土産に買って帰ればよかったと思いつつも、どうして帰った途端、行ってきた場所の食べ物の番組を見ちゃったのだろうかと・・・。

変な偶然でした。


no, thank you

2015年09月01日 | 旅行
愚痴です。

人と一緒に旅行に行くと、親切でやってもらったことなのだけれど、本当に困るということがあります。

みんなで集まっての食事時のドリンクです。
とても親切に、人の分までも持ってきて下さる方がいるのですが、私には飲みきれないのです。

コーヒーとか、牛乳とか、ジュースとか、この前の旅行では飲料用の酢なんてのもありました。(私は欲しいなんて一言も言わなかったのですが、別の方が欲しいとおっしゃったら、同じテーブル全員の分の飲料用の酢を持ってこられた。)

要るかどうか聞かれたら、「自分で淹れますので」と言って、たいていお断りするのですが、相手の方が淹れるのに場所的に都合がよかったり、私が別のことで席がたてなかったりすると、ご親切にも「自分が淹れてあげますから」になるのです。

で、私も諦めて、経験上かなりしつこく「少しだけ、少しだけでお願いします」と言うのですが、なぜか、なみなみと淹れてくださって、ニコニコとしておられるのです。

私、胃が弱いんです。重度の萎縮性胃炎で、胃がんのハイリスクなんです。

液体を飲むというのは、胃に負担のかかることで、私なりに加減して、考えて飲んでいるのです。

私も、色々なものが飲みたいので、一つ一つは少量でいいんです。そうしないと、コーヒーならコーヒーだけ、牛乳なら牛乳だけになってしまうんです。
でなければ、一口か二口飲んで後は残す、ということになります。もったいないでしょ。

悪いからと思って、無理して飲むと、胃凭れして、数時間は苦しい思いをするんです。
せっかく旅行で美味しいものが食べられるのに、胃凭れで苦しいなんて・・・。


旅行でもう一つ。ドリンクほど困ることではないんですが、『ほっといて』と言いたくなることがあります。

宿を出立する前、自分の部屋から出る時です。

同室になった人が「みどりさん、みどりさん、これみどりさんの分でしょ」と言って、宿の備品のハブラシやタオル等などを持ってきてくださること。

宿に置いてあるハブラシは、私には硬すぎて、歯茎を傷つけてしまい、その後、塩辛いものが沁みたりするので、私はいつも自分用のハブラシ持参で、宿のハブラシは使わないのです。
持って帰ってもゴミになるだけなんです。

それとタオル、母が亡くなって遺品を整理していると、私が死ぬまで困らないくらいのタオルが出てきました。これ以上、タオルは増やしたくないので、それも持って帰りたくないんです。シャンプーキャップとかも、使ったことないので要りません。
つーか、持って帰る荷物は少なくしたいんです。


もちろん、私も分かってるんです。善意で、親切でされていたり、言ってくださっているんだということ。とてもいい人なんだということ。

ですから、以上、愚痴でした。