遅ればせながらの話題です。
例のオリンピックの佐野氏のエンブレム。そもそも論で言って、ベルギーのデザイナーの作品と似ていると、本当に人は考えているのでしょうか。
というのも、私は全然似ているように見えなかったのです。
実をいうと私、短大のデザイン美術科を出ており、1年間ほどテキスタイルデザイナーとして仕事もしていました。今を去ること40年くらい前の話です。
(1年ほどで辞めたのは、当時、一人前のデザイナーになるには5,6年かかり、その間、お給料がお小遣い程度で、経済的自立ができないことが分かったからです。)
エンブレムに話を戻すと、テレビでは、街行く人に二つのデザインを見せて、「わぁー、似てる」とか「そっくり」とかいう言葉を引き出していましたが、本当にそんな反応ばかりだったのでしょうか。
「これって、似てるんですか?」というような疑問形の反応はなかったのでしょうか。
要するに、当初、マスコミの煽りはなかったのでしょうか。
私は逆になぜ、あの二つのデザインが似ていると見なされたのか、考えてみました。
そこで思い出したのが、短大時代に受けたある講義の教授の言葉です。(その講義が「デザイン概論」だったか、「形態学」だったかは忘れました。)
教授が言うには、あらゆる形にはカタの部分とチの部分があるということでした。
カタの部分とは、元々の型である部分であり、チの部分とは命の部分だということでした。
私は、どうやら、あの二つのデザインを似ていると見なした人は、カタの部分のみを見て、肝心のチの部分は見ていないのではないかと思い至りました。
分かりやすく言うと、あの二つのデザインを見て、受ける印象はまったく異なります。
佐野氏のデザインは躍動的です。ベルギーのデザイナー氏のデザインは、逆に、重く停止した感じです。
その違いはデザイナーがどのような命を吹き込んだかで違ってくるのです。
さらに言うと、私はカタの部分も似ているとは思えなかったのです。
多くの人が類似していると考えたのは、たぶん、Tの字の右下にある突起の部分だと思いますが、ベルギーのデザイナー氏のデザインでは、似ているとするには、突起部分がずいぶんと離れています。
佐野氏のデザインでは、突起によって全体に隠れている楕円が浮かび上がる仕組みで、根本の発想からして、まるで違うわけです。
今回のエンブレム問題から離れて、デザインそのものを考えてみても、盗用しなくてもカタの部分が似ていることはザラにあります。だからこそ、エンブレムのような場合、商標登録することが重要なわけなのです。
ベルギーのデザイナー氏はそれを怠っていました。ですから、少なくともオリンピックのエンブレムに関してのみいうならば、佐野氏はまったくのシロです。
さらに私の乏しいテキスタイルデザイナーとしての経験から言うと、カタの部分を既製のデザインから借りてくることは、ほぼ100%といっていいほどありました。
NHKのクローズアップ現代で、この問題が取り上げられていた時も、テキスタイルデザイナーの方が出てこられて同じことを言っていました。
テキスタイルの場合は特にそうなるのかもしれませんが、現実にカタの部分は普遍的だったり、決まっていたりで、繰り返し繰り返し何千回何万回と使われてきているのです。
そもそもカタとは、元々の型の意ですから、そのカタの部分で自分のオリジナルであると言えるデザイナーはあらゆるものを創造したという神だけでしょう。
人であるデザイナーが、自分の創造性を発揮し、独創的な作品を生み出せるのはチの部分においてです。
クローズアップ現代では、デザイン論の専門家の方が、今回の騒動で、人々はデザインというものが、見方によってまったく違って見えることに気付いたのではないかと言っていました。
私にはそれは、希望的観測のように思えます。
むしろ大方の人々が改めて気付いたのは、水に落ちた犬を執拗に叩いて喜ぶ輩がいかに多いかということでしょう。
エンブレムは新たに募集しているということですが、応募する勇気のある人はどれくらいいるでしょうか。
どんな作品を作ったところで、一見、似ている既存の作品がある可能性はきわめて高いですし、それが商標登録されていなくても、問題にするわけです。そして、一度問題にされれば過去の作品も類似した作品を探し出され、盗用を疑われ、ネットリンチにかけられるリスクを冒すことになります。
それを防ぐには、普通の良識を持った人々が、自分の考えを持ってデザインを見る目をもう少し養う以外なさそうです。
例のオリンピックの佐野氏のエンブレム。そもそも論で言って、ベルギーのデザイナーの作品と似ていると、本当に人は考えているのでしょうか。
というのも、私は全然似ているように見えなかったのです。
実をいうと私、短大のデザイン美術科を出ており、1年間ほどテキスタイルデザイナーとして仕事もしていました。今を去ること40年くらい前の話です。
(1年ほどで辞めたのは、当時、一人前のデザイナーになるには5,6年かかり、その間、お給料がお小遣い程度で、経済的自立ができないことが分かったからです。)
エンブレムに話を戻すと、テレビでは、街行く人に二つのデザインを見せて、「わぁー、似てる」とか「そっくり」とかいう言葉を引き出していましたが、本当にそんな反応ばかりだったのでしょうか。
「これって、似てるんですか?」というような疑問形の反応はなかったのでしょうか。
要するに、当初、マスコミの煽りはなかったのでしょうか。
私は逆になぜ、あの二つのデザインが似ていると見なされたのか、考えてみました。
そこで思い出したのが、短大時代に受けたある講義の教授の言葉です。(その講義が「デザイン概論」だったか、「形態学」だったかは忘れました。)
教授が言うには、あらゆる形にはカタの部分とチの部分があるということでした。
カタの部分とは、元々の型である部分であり、チの部分とは命の部分だということでした。
私は、どうやら、あの二つのデザインを似ていると見なした人は、カタの部分のみを見て、肝心のチの部分は見ていないのではないかと思い至りました。
分かりやすく言うと、あの二つのデザインを見て、受ける印象はまったく異なります。
佐野氏のデザインは躍動的です。ベルギーのデザイナー氏のデザインは、逆に、重く停止した感じです。
その違いはデザイナーがどのような命を吹き込んだかで違ってくるのです。
さらに言うと、私はカタの部分も似ているとは思えなかったのです。
多くの人が類似していると考えたのは、たぶん、Tの字の右下にある突起の部分だと思いますが、ベルギーのデザイナー氏のデザインでは、似ているとするには、突起部分がずいぶんと離れています。
佐野氏のデザインでは、突起によって全体に隠れている楕円が浮かび上がる仕組みで、根本の発想からして、まるで違うわけです。
今回のエンブレム問題から離れて、デザインそのものを考えてみても、盗用しなくてもカタの部分が似ていることはザラにあります。だからこそ、エンブレムのような場合、商標登録することが重要なわけなのです。
ベルギーのデザイナー氏はそれを怠っていました。ですから、少なくともオリンピックのエンブレムに関してのみいうならば、佐野氏はまったくのシロです。
さらに私の乏しいテキスタイルデザイナーとしての経験から言うと、カタの部分を既製のデザインから借りてくることは、ほぼ100%といっていいほどありました。
NHKのクローズアップ現代で、この問題が取り上げられていた時も、テキスタイルデザイナーの方が出てこられて同じことを言っていました。
テキスタイルの場合は特にそうなるのかもしれませんが、現実にカタの部分は普遍的だったり、決まっていたりで、繰り返し繰り返し何千回何万回と使われてきているのです。
そもそもカタとは、元々の型の意ですから、そのカタの部分で自分のオリジナルであると言えるデザイナーはあらゆるものを創造したという神だけでしょう。
人であるデザイナーが、自分の創造性を発揮し、独創的な作品を生み出せるのはチの部分においてです。
クローズアップ現代では、デザイン論の専門家の方が、今回の騒動で、人々はデザインというものが、見方によってまったく違って見えることに気付いたのではないかと言っていました。
私にはそれは、希望的観測のように思えます。
むしろ大方の人々が改めて気付いたのは、水に落ちた犬を執拗に叩いて喜ぶ輩がいかに多いかということでしょう。
エンブレムは新たに募集しているということですが、応募する勇気のある人はどれくらいいるでしょうか。
どんな作品を作ったところで、一見、似ている既存の作品がある可能性はきわめて高いですし、それが商標登録されていなくても、問題にするわけです。そして、一度問題にされれば過去の作品も類似した作品を探し出され、盗用を疑われ、ネットリンチにかけられるリスクを冒すことになります。
それを防ぐには、普通の良識を持った人々が、自分の考えを持ってデザインを見る目をもう少し養う以外なさそうです。