緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

お茶と着物と

2018年04月28日 | 着物
4月から茶道を習い始めました。
今まで全く経験なし。
どんなもんじゃろと・・・。

う~ん・・。
ちょっと目算が外れたのは、私の体では無理かもということ。
いえ、膝が悪くて正座ができないのではないのです。
畳の上に(座布団なしに)直に正座するので、足は結構痛みます。
でも正座ができないわけではないのです。
また立礼でのお稽古でもOKなので、膝が悪くて正座できない人でもお茶は習えるのです。

私の場合、両手拇指CM関節症+腱鞘炎の手が問題なのです。
たとえば、席入りの時、正座したまま両手を畳の上に突いて、膝をにじって入るのですが、その手が痛んでできない。
そこで痛くないように工夫するのですが、先生はちゃんと見ているわけで・・。

普段、両手拇指CM関節症+腱鞘炎だからといって、不自由しているわけではないのです。
もちろん、悪化しないように意識的に庇うことはしていました。
たとえば、カメラ撮影でミラーレス一眼を使っていたのは、ミラーレスカメラの方が手に対する負担が少ないからです。
でも、そんなふうに意識して行動する以上に、自分で無意識に痛くないように手を庇って動いていたのです。
お茶のお稽古では動きがすべて決まっているので庇うことができないのです。

その他の作法も、客としてお茶やお菓子を頂くだけなら良いのですが、亭主としてお茶を立てるには、ふだん使わない手の動きをするわけで、果たして上手くできるかどうか、です。
なんせ誤魔化しがきかないのが辛いところです。

先生は長年、高校生相手に茶道を教えておられるとかで、そのせいか説明の仕方が独特な時があります。
たとえば茶杓を持つときは妖怪人間ベムの手とか。
皆、それで納得するのもおかしい。
でも、実際にするのは難しいのですよね。
まっ、頑張ってみます。


ところで、お茶を習い始めた理由は、もちろん茶道がどんなものか知りたかったというのもあるのですが、着物を着る機会を増やしたかったというのもあります。
ですから2回目からは着物を着て行きました。
この記事で紹介した着物です。
本来なら4月に単も、お茶に紬もNGなのかもしれませんが、お稽古だし、先生はかたい事は言いません。
ボロボロの穴あきジーンズでお稽古に来ている人もいます。

で、その次はこの帯で行きました。

この帯、以前紹介した長過ぎた帯です。⇒ここ
継ぎ足してあった部分を切って繋ぎました。
正直、滑りが悪く、締めにくい帯です。
一度は人に締められ、この帯(を織った人)も本望かと。
でも、この山葡萄の帯は春より秋が良さそうです。

お稽古でご一緒する方が、帰りも途中まで一緒なのですが、やはり着物が着たい様子。
もう少し暑くなれば浴衣でも良いかな~、と聞かれました。
一度先生に聞いてみたらと答えたのですが、高校生のお茶のお稽古では浴衣を着ているので大丈夫かもしれません。
お茶を頂く時、懐紙も袱紗も着物の胸に挟んでおくので、たとえ浴衣でもそれらしくはなります。
(洋服での稽古用に、そういうエプロンのようなものもあるみたいですが)
これからどんどん暑くなるので、私も浴衣OKだとありがたいです。






當麻寺 ボタン満開

2018年04月24日 | 写真
最近、お出掛け続きで、出掛けるとまた季節外れの炎天で、ちょっとグッタリ。
出先で撮った写真もなかなか整理できません。

そんな中で以前のカメラ教室の班の人達と行った當麻寺の記録です。

當麻寺と言えば蓮糸曼荼羅と中将姫、なんてことを知っているのは昔々の伝説に詳しい趣味人だけかも。
私も詳しい話は知りません。(ツムラ順天堂のマークのお姫様が中将姫です)
當麻寺は二上山の麓にあって、二上山と言えば大津皇子が葬られた場所です。

この二つの伝説・歴史を結び付けて折口信夫が書いた小説が「死者の書」です。
この小説は若い頃に読んでいて、駅からの道、つらつらと思い出しながら歩きました。

近鉄の当麻寺駅を降りて、當麻寺まで約1キロ歩きます。
この参詣道も面白かったです。

駅前から参詣の人を相手の古いお店が並んでいます。







行きは人が並び、帰りは閉まっていたお店、姫餅って、そんなに美味しい?

二上山が見えます。

並んでいる普通の家も大きくて古そうです。
古い街道を歩いていると、お正月でなくても注連飾りをしている家をよく見かけます。
この辺りもそうですが、しめ縄が独特の形をしています。




當麻寺、本堂です。

でも、この日のお目当てはお詣りではなくボタンです。

當麻寺、ボタンをはじめ、花でも有名なお寺みたいです。

ボタンは、特に奥院の庭園にたくさんあったのですが、ボタンには傘が差し掛けられていて、それが又、面白い風景になっていました。

最初は傘だけ見えて、「あれは何?」状態。

拙い写真ですが、満開のボタンを見て下さい。

























ボタンだけでなく白い藤も咲いてました。

傘の花・・・。

ハンカチの木です。

庭園はとても広く、私は見晴らし台のような場所にも登りました。


抹茶がいただける場所もありました。(有料)
若い女性は抹茶よりスマホみたいですが。

美しい鳥の声も聞こえていました。
オオルリにしては季節が早すぎですし、イソヒヨドリかなと思って見てみると、やはりイソヒヨドリでした。
高いポールから飛び立った瞬間。

長時間、撮影に夢中になり、すっかり疲れてしまいました。

土曜日でしたが、人は思ったより多くはありませんでした。
このところの陽気で、ボタンもいつもの年より早く満開になったみたいです。

久しぶりにカメラ教室の仲間たちとも会い、撮影日和の一日を楽しみました。


転職は悪い事なのか

2018年04月17日 | 仕事
これは書かないでおことも思っていたのだけれど、最近、ちょっと悪い意味で驚いたことがありました。
ある人から突然「みどりさん、随分仕事を変わられたんですね」と言われたことです。

その言い方が『あなたがそんな人だとは思わなかった、ショックです』というような、悪い意味で驚きと失望を込めた、ネガティブな言い方だったのです。
しかもその時の話の本筋からまったく関係なく、唐突にそう言われたものだから、文字通りのけぞる程驚かされました。

私はその人に若い頃の仕事の話はしたことがありません。
たぶん、無関係な話から断片的に拾い集めた知識を繋ぎ合わせてそう言ったのだと思います。
(半年くらい前から、その人が、他人の経歴や家族関係等の情報集めに異様に熱心だと気づいて、その人相手には注意はしていました。)

だから私は「えっ? 転職はしたけれど」とだけ答えました。
実は私が転職を何度か繰り返していたのは40年以上前の20代の頃の話で、30代以降は一つの会社で、その会社が破産するまで四半世紀近く働いていました。
60歳を過ぎてリタイアしている今、その人に20代の頃に転職の話を、言い訳めいて説明するのもおかしな話ですので黙っていましたが。

同じような言い方をされた事が、30年以上前にも一度だけありました。
たまたま私の履歴書を見た、私より5、6才若い女性から、「なんや、何回も転職しているやない」と呆れたような、軽蔑するような言い方で言われたことがあったのです。
その時も『えっ?』っていうような感じでした。

私は石油ショックの直後に短大を卒業し、世の中に出ています。
就職先はゼロでした。もちろん学校も1件も紹介してくれません。
それでも、とにかく稼がなくてはいけないので、長期バイトの募集の面接に行くと、古いビルの一室の小さな会社のドアの前から、共用の廊下に50人くらいの応募者が並んで面接待ちしている、そういう状況でした。
(今、思い出して驚くのは、たとえバイトでも、当時の会社は一人一人丁寧に面接してくれた!ということです!)

そんな状況で働き始めたので、当初は、通勤費も自前で、生活できないほど給料が安かったり、加入できる資格があっても社会保険に加入していなかったり、そんな勤め先がほとんどでした。

当時の私はとてもビンボーでしたが、そのことはあまり気にしてませんでした。
ただ、いかに生活を成り立たせながら、自分が何をしたいのか、何ができるのか、社会と擦り合わせしつつ、当たり前に努力していただけでした。そして30代に入った頃には目的も見つけ、生活も、仕事も安定していました。

石油ショックの悪影響は、日本では長く続かなかったですし、いわゆる新卒のカードは当時の女性にとってあまり意味もありませんでした。要するに、今とは異なり、普通の努力で何とかなったのです。

それでも、何度か転職したことを、まるで悪い事でもしたみたいに言われると、自分の若い日の努力を全否定されたみたいで、傷つかずにはいられません。
30年以上前に、私に転職について非難がましい事を言った女性は、石油ショックの何年か後に大学を卒業して就職していて石油ショックの頃の世の中のことなど、まるで理解できなかったのだと思います。
でも、30年以上たった今でも同じことを言われるとは、私も想像だにできませんでした。

もちろん、私だって、日本では何があっても一つの職場で頑張り続けることが美徳だと思われていて、職を転々とすることが良く思われないことくらい知っています。
たぶん、会社を辞める=忍耐力がないor人間関係をうまくやっていけないとか思われ、そういうことを繰り返す=人間性に問題のある、ダメな人というように考えられているのだと思います。

ただ、日本でそういう「常識」が生まれたのは高度経済成長期の頃だったでしょうが、時代や社会は目まぐるしく変化しています。
当然、そういう「常識」が通じる時代や人ばかりではないのです。
バブルがはじけて以降、女子大生は就職氷河期や超氷河期に見舞われています。
さらにリーマンショック以降はもっと過酷な時代になっています。
ある意味、就職先が一部上場企業であってもブラック企業である確率はとても高いのです。
それでも無条件に転職を否定的に捉えることは働く人にとって相当に酷なことです。

電通に勤めていた高橋まつりさんが、あのような働かせ方をする会社で、転職するという選択肢を持たず、そのまま働き続けるか自殺するかの二者択一の状態に陥ったのはなぜか、人は考えるべきです。
彼女自身は多分、過酷な生活の中で正常な判断能力を無くしていたと思います。
ただ、家族は、周囲は気が付かないのでしょうか。
子供や夫を過労死で亡くす人達を見ていると、私はいつもそう思います。

会社を辞めて生活はどうするのか、転職なんて上手くいかなかったらどうするのか、言われなくったって、本人はよーく分かっています。
それでも、辞めて不安定な派遣で働くようになっても、自分を壊すよりマシなのです。
本人に後々までしつこく「大会社に勤めていたのに、辞めるもんだから」なんて、決して言わないでください。
いつまでも、悪い時代は続かないのです。チャンスは必ずあると思ってください。
そのチャンスに、言葉や行動で手を貸してあげてください。

実は悪い時代を続けさせているのは、我慢して働く人自身だったりもするのです。
高橋まつりさんのようなケースにおいては、転職は逃避ではありませんでした。
最も真面目な方法は、労基に駆け込んで会社と徹底的に闘うことだったろうと思います。
ただそれは、過労自殺寸前の人間にできることではありません。
セカンドベストが転職だったのです。

本来有能な人間が皆辞めて行く、それだけでも会社にダメージを与えられるのです。
そうすることで、悪い会社を淘汰することができるのです。

人出不足で、売り手市場の今は千載一遇のチャンスの時代です。
家族が転職の話をしたら、頭ごなしに反対しないで、ちゃんと話を聞いてください。
くれぐれもカビの生えた「常識」にとらわれないように。




4月の日々 着付けと庭の植物

2018年04月16日 | 日記
突然ですが、私、4月から習い事を始めました。

茶道です。6か月間、お試しでお稽古に行くつもりです。
自分に合うようだったら続けてもいいし。
どんなものか多少なりとも身に付けておいても良いかと。
60の手習い、ですね(笑)

着物も着たいし。
先週、一度行った時、先生に「着物で来て良いですか」とお聞きすると「良いですよ」と。
「あまり良い着物じゃなくても良いですか」と重ねてお聞きすると「構いません、私もポリです」とのことでした。

で、今日はお茶の練習と共に着物も着つけてみました。(←練習ですよ。)
これから暑くなるだろうと思い、初めて着るリサイクルの単衣の紬です。

別の着物を買った時、おまけで付いていた8寸の帯を合わせるとこんな感じ。

ちょっと、というか、かなり着付けが歪んでますね。練習です、練習(-_-;)。

実は襦袢を、胴抜きで、付け袖の、裾除けも兼ねた涼しいのを買って、それを着てます。
今から暑さ対策です。

胴抜きの為、胴の部分が綿で滑りが悪くて着にくい。(←言い訳)
襟元とか、もうちょっと工夫が必要。

今週のお稽古に着て行くつもりだったのですが天気予報では雨なので無理かも・・・。
雨ゴート持っていない…


                                        

庭の移り変わりが早いです。

スズラン

シロヤマブキ

シャガ

コデマリ

受粉したアケビ

梅の実がたくさん。

今年もバランの花が咲いてます。

柿の若葉が綺麗です。



奄美大島でバードウォッチング

2018年04月10日 | 野鳥
久しぶりにバードウォッチングツアーに行ってきました。
バードウォッチング専門の旅行社の奄美大島のツアーです。
鳥専門ですから鳥に興味のない人は何が面白いのか分からない旅行です。

私は一人参加です。全員で20名。内、関西から5名、関東から15名。
バスやホテルの部屋は、やはり一人参加の関東から来た女性と一緒でした。
ガイドは2名、一人は旅行社の鳥専門のガイド。もう一人は地元の野鳥に詳しいガイドでした。

飛行機は関西組が早く着き、関東組が来るまで、空港近くの大瀬海岸という海岸で探鳥しながら待ってました。

海岸だから、いるのは殆どシギチドリ類(いわゆるシギチと呼ばれている鳥)。
私はシギチはよく分からないし、また鳥があまりに遠くにいるので景色を楽しむことに専念してました。
この場所、一般観光客はまず訪れません。いかにもシギチが好みそうな所。




でも、初めてクロサギを見ました。
上の写真の手前の黒い鳥です。
左後ろにクロサギの白色型もいます。

クロサギ、眼がグリンとして、ちょっと面白かったです。




後になって、白色型のクロサギの写真も撮るんだったと反省。
白色のクロサギって「なんじゃ、それ」って感じですが、同じクロサギで、羽色が白いやつのことです。

私は双眼鏡で見ただけなので、とてもシギの識別まではできなかったのですが、ダイゼンがたくさんいたのは分かりました。
後でムナグロもいたという報告があって私は『う~ん?』。

というのも、ダイゼンとムナグロはとても似ているのですが、いる場所が違うのです。
ダイゼンは海辺、ムナグロは水辺が近い草地。
大瀬海岸は海辺ですからムナグロがいる筈はないんです。
てなことを、部屋が同室になった人とも後で話しました。
でも、自信のないことは沈黙です。詳しい人に聞かないと分かりません。

関東組と合流して、ガイドさんも加わり、空港近くの草地へ。
そこで見たムネアカタヒバリ。完全に保護色だから分かるかな?
タヒバリ類、以前は同じ場所でたくさん見られたらしいですが、今は少なくなったとか。

その代わりにいるのがイソピーです。

イソヒヨドリですが、南西諸島にはたくさんいるので、その辺りのバードウォッチャーから「イソピー」と軽く呼ばれています。雄も雌も、驚くほど美しい声で囀る鳥です。

ところで、今回の旅行で一つ、思い知らされたことがありました。
視力の悪化です。いえ、視力そのものは検査でも落ちてはいないのですが、見えなくなっているのです。
左目ですが、そもそも正常眼圧緑内障の上に、何度も瞬きしないとクモリがかかって見えないのです。
左の瞼の痙攣も異様に激しい・・・。
眼科でそのことは言っているのですが薬は効かないし。

今回、ツアーで鳥を見ていて、他の人が直ぐに見つける鳥を自分だけ見つけられないことが何度もありました。
とても情けない思いをしました。
ツアーも3日目くらいになると目が慣れるのか、見えるようになりましたが、それまではこんなにも見えなくなっていたのかと思い知らされました。
というわけで見逃した鳥も多いです。

そんな中で、比較的近くで、じっとしていてくれた鳥さんはズアカアオバトでした。
出会った場所は「奄美自然観察の森」です。
ズアカアオバトの写真をたくさん撮りました。



ズアカといっても頭は赤くないとのこと。
本土にいるのはただのアオバトですが、アオバトも、こんなに近くではっきり見たことはありません。
それで、一つ気がつきました。ズアカアオバトのお尻です。
見て下さい。細かいフリルのような羽毛で、フリフリのパンツ穿いているみたいです。
本土のアオバトもフリフリパンツ穿いているのか気になるところです。
でも、誰もアオバトのお尻を撮らないですね。

奄美大島でバードウォッチングと言えばルリカケスは欠かせません。
でも良い写真は撮れませんでした。
何度も出会うのですが全身をゆっくりとは見られないのです。

こちらは自然観察の森にある建物の壁に開いた穴を覗いているところ。
こうやって、営巣可能な穴なのかどうか確認するんだそうです。

これはリュウキュウサンショウクイです。
本土のサンショウクイより色黒です。

リュウキュウサンショウクイだけでなく、南西諸島の野鳥は基本的に色が濃いです。
ヒヨドリなんかもたくさんいますが色が濃いのです。

奄美大島の植物はやはり南国的です。
ヒカゲヘゴです。日本で一番大きいシダの仲間です。


モダマ。蔓性の豆の木です。サヤの長さは1メートルくらい。

オオシマウツギです。

シラタマカズラです。

リュウキュウヒメジャノメです。

野鳥だけではなく、こうした珍しい動植物についても、地元のガイドさんはさりげなく教えてくれました。


マングローブの原生林。観光で行けばカヌー体験もできるみたい。

野鳥について書けば、とても残念だったのは、自然観察の森の中で営巣中だったオーストンオオアカゲラをうっかり他所に行っていて見逃したこと。

でも同じ自然観察の森でアカヒゲとオオトラツグミを見ることができました。
アカヒゲです。




オオトラツグミです。餌のミミズを咥えています。




どちらも、簡単には見られない野鳥です。
ツアーには専門のガイドさんが2名付いていたこともあって見ることができました。

朝は1日目は5時30分、2日目は5時にホテルのロビーに集合で、帰ってから少々疲れを感じました。
お天気も雨勝ちで、思いの外寒かったです。
でも初めて会った同室の方は感じの良い方でした。

いろいろ反省することはありましたが、奄美でしか見られない野鳥が見られたのでそれで良しです。
1年に一度はこういうバードウォッチングツアーに行きたいものです。