浄心庵・長尾弘先生「明来闇去」

 ~ 誰れもが幸せになれる御教え ~

明来闇去

2020-04-17 00:26:53 | 明来闇去

添付のお写真は先に投稿しました鞭打ちの教会(第一留)で鞭打ちの刑を終えられ、
その隣にある裁判所からイエス様が十字架を背負われてゴルゴダの磔刑場に向かって
歩かれる少し前の情景をレプリカで形作られた物です。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを
正しく観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われた
ならば、『できる』と答えなければならない。
どうしてであるか?
『およそ苦しみが生ずるのは、すべて動揺に縁って起こるものである』
というのが、一つの観察〔法〕である。

『しかしながら諸々の動揺が残りなく離れ消滅するならば、もはや
苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察〔法〕である。
このように二種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ
励んで、専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちのいずれか
一つの果報が期待され得る。―――すなわち現世における〈さとり〉か、
あるいは煩悩の残りがあるならば、
この迷いの生存に戻らないことである。」―――

師(ブッダ)はこのように告げられた。
そうして、幸せな師はさらに次のように説かれた。

747、およそ苦しみが起こるのは、すべて食料を縁として起こる。
    諸々の食料が消滅するならば、もはや苦しみの生ずることもない。


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