浄心庵・長尾弘先生「明来闇去」

 ~ 誰れもが幸せになれる御教え ~

明来闇去

2020-04-14 00:35:54 | 明来闇去

添付のお写真はイエス様が処刑される最後の夜を過ごした場所に建てられた万国民教会です。
とても大きな教会ですので、教会の上の部分しかカメラに収めることが出来ませんでした。
恩師「長尾弘」先生を始めとして多くの学びの友の方達と「イエス様の御足を慕って」の
旅で訪問(96年)したオリーブ山ゲッセマネに建立されている教会です。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


「修行僧たちよ。
『また他の方法によっても二種のことがらを正しく
観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、
『できる』と答えなければならない。
どうしてであるか?『およそ苦しみが生ずるのは、
すべて執着に縁(よ)って起こるのである』というのが、
一つの観察〔法〕である。

『しかしながら諸々の執着が残りなく離れ消滅するならば、
苦しみの生ずることがない』
というのが第二の観察〔法〕である。
このように二種〔の観察法〕を正しく観察して、
怠らず、つとめ励んで、専心している
修行僧にとっては、二つの果報のうちのいずれか一つの
果報が期待され得る。
―――すなわち現世のおける〈さとり〉か、
あるいは煩悩の残りがあるならば、
この迷いの生存に戻らないことである。」―――
師(ブッダ)はこのように告げられた。
そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。

742、執着に縁って生存が起こる。
    生存せる者は苦しみを受ける。
    生まれた者は死ぬ。
    これが苦しみの起こる原因である。

743、それ故に諸々の賢者は、
    執着が消滅するが故に、正しく知って、
    生まれの消滅したことを熟知して、
    再び迷いの生存に戻ることがない。


明来闇去

2020-04-13 00:53:31 | 明来闇去

添付のお写真は恩師「長尾弘」先生がイギリス・ロンドンで癒しをされている会場での
スナップ写真ですが、十一年間車椅子生活をされていた方が恩師の癒しによって
普通に歩けるようになられ翌日癒しの会場に自転車に乗ってこられ皆さんにその喜びの
感謝と感想を述べられているところです。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
   
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


「修行僧たちよ。
『また他の方法によっても二種のことがらを正しく
観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、
『できる』と答えなければならない。
どうしてであるか?『およそ苦しみが生ずるのは、
すべて妄執(愛執)に縁(よ)って起こるのである』というのが、
一つの観察〔法〕である。
『しかしながら妄執が残りなく離れ消滅するならば、
苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察〔法〕である。

このように二種〔の観察法〕を正しく観察して、
怠らず、つとめ励んで、専心している
修行僧にとっては、二つの果報のうちのいずれか
一つの果報が期待され得る。
―――すなわち現世のおける〈さとり〉か、
あるいは煩悩の残りがあるならば、
この迷いの生存に戻らないことである。」―――
師(ブッダ)はこのように告げられた。
そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。

740、妄執を友としている人は、
    この状態からかの状態へと永い間流転して、
    輪廻を超えることができない。

741、妄執は苦しみの起こる原因である。
    とこの禍いを知って、妄執を離れて、
    執着することなく、よく気をつけて、
    修行僧は遍歴すべきである。


明来闇去

2020-04-12 00:19:24 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
   
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


「修行僧たちよ。
『また他の方法によっても二種のことがらを
正しく観察することができるのか?』と、
もしもだれかに問われたならば、
『できる』と答えなければならない。
どうしてであるか?『およそ苦しみが生ずるのは、
すべて感受に縁(よ)って起こるのである』というのが、
一つの観察〔法〕である。

『しかしながら諸々の感受が残りなく離れ消滅するならば、
苦しみの生ずることがない』
というのが第二の観察〔法〕である。
このように二種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、
つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、
二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る。

―――すなわち現世のおける〈さとり〉か、
あるいは煩悩の残りがあるならば、
この迷いの生存に戻らないことである。」―――
師(ブッダ)はこのように告げられた。
そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。

738、楽であろうと、苦であろうと、非苦非楽であろうとも、
     内的にも外的にも、およそ感受されたものはすべて、

739、「これは苦しみである」と知って、
    滅び去るものである虚妄の事物に触れるたびごとに、
    衰滅することを認め、このようにしてそれらの本性を識知する。
    諸々の感受が消滅するが故に、修行僧は快を感ずることなく、
    安らぎに帰している。


明来闇去

2020-04-11 00:47:21 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


「修行僧たちよ。
『また他の方法によっても二種のことがらを
正しく観察することができるのか?』と、
もしもだれかに問われたならば、『できる』と
答えなければならない。
どうしてであるか?『およそ苦しみが生ずるのは、
すべて接触に縁(よ)って起こるのである』というのが、
一つの観察〔法〕である。
『しかしながら接触が残りなく離れ消滅するならば、
苦しみの生ずることがない』
というのが第二の観察〔法〕である。

このように二種〔の観察法〕を正しく観察して、
怠らず、つとめ励んで、専心している
修行僧にとっては、二つの果報のうちのいずれか一つの果報が
期待され得る。
―――すなわち現世のおける〈さとり〉か、
あるいは煩悩の残りがあるならば、
この迷いの生存に戻らないことである。」―――
師(ブッダ)はこのように告げられた。
そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。

736、接触にとらわれ、生存の流れにおし流され、
    邪道を歩む人々は、
    束縛の消滅は遠いかなたにある。

737、しかし接触を熟知し理解して、平安を楽しむ人々は、
    実に接触がほろびるが故に、快を感ずることなく、
    安らぎに帰している。


明来闇去

2020-04-10 00:41:02 | 明来闇去

添付のお写真は恩師「長尾弘」先生の幽体離脱(肉体離脱)を
学びの友の方がカメラに収めたものです。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


「修行僧たちよ。
『また他の方法によっても二種のことがらを
正しく観察することができるのか?』と、
もしもだれかに問われたならば、
『できる』と答えなければならない。
どうしてであるか?『およそ苦しみが生ずるのは、
すべて識別作用(識)に縁(よ)って
起こるのである』というのが、一つの観察〔法〕である。

『しかしながら識別作用が残りなく離れ消滅するならば、
苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察〔法〕である。
このように二種〔の観察法〕を正しく観察して、
怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、
二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る。
―――すなわち現世のおける〈さとり〉か、
あるいは煩悩の残りがあるならば、
この迷いの生存に戻らないことである。」―――
師(ブッダ)はこのように告げられた。
そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。

734、およそ苦しみが生ずるのは、
    すべて識別作用に縁(よ)って起こるのである。
    識別作用が消滅するならば、
    もはや苦しみが生起するということは有りえない。

735、「苦しみは識別作用に縁(よ)って起こるのである」と、
     この禍を知って、
     識別作用を静まらせたならば、修行僧は、
     快をむさぼることなく、安らぎに帰しているのである。


明来闇去

2020-04-09 00:23:25 | 明来闇去

添付のお写真は大悟される前のお釈迦様に乳粥を差し上げている
チュダリヤ・チュダータ少女の木彫りの土産品を恩師「長尾弘」先生が
インド喜びの旅で買い求めたものをカメラに収めたものです。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


731、およそ苦しみが生ずるのは、
    すべて潜在的形成力が縁(原因)として起こるのである。
    諸々の潜在的形成力が消滅するならば、
    もはや苦しみの生ずることもない。

732、「苦しみは潜在的形成力の縁から起こるものである」と、
    この災を知って、一切の潜在的形成力が消滅し、
    (欲などの)想を止めたならば、苦しみは消滅する。
    このことを如実に知って、

733、正しく見、正しく知った諸々の賢者・ヴェーダの達人は、
    悪魔の繋縛(けばく)にうち勝って、
    もはや迷いの生存に戻ることがない。


明来闇去

2020-04-08 00:33:57 | 明来闇去

このお写真も先に投稿したものと同じ場所で撮影された
ものと思われます。

お写真は恩師「長尾弘」先生を始めとして多くの学びの
友の方たちとイエス様に関係する史跡を訪ねてイタリアと
フランスを訪問した際のビデオの中に撮影されていた
映像です。(ビデオの撮影者は学びの友のお方です。)

フランスのノートルダム寺院内に安置されている
ピエタ像の後ろに立つ十字架だと思われます。

炎のような光はこの十字架の前ですから本来は
ピエタ像が映らなければらないはずですが
炎のようなものが映っています。

先に投稿したお写真と似ていますが、炎の形状が
まったく違っています。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~


729、この状態から他の状態へと、繰返し生死輪廻に赴く人々は、
    その帰趣(行きつく先)は無明にのみ存する。

730、この無明とは大いなる迷いであり、
    それによって永い間このように輪廻してきた。
    しかし明知に達した生けるものどもは、
    再び迷いの生存に戻ることがない。

「修行僧たちよ。
『また他の方法によっても二種のことがらを正しく
観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、
『できる』とこたえなければならない。
どうしてであるか?
『およそ苦しみが生ずるのは、
すべて潜在的形成力に縁(よ)って起こるのである』
というのが、一つの観察〔法〕である。
『しかしながら潜在的形成力が残りなく離れ消滅するならば、
苦しみの生ずることがない』
というにが第二の観察〔法〕である。

このように二種〔の観察法〕を正しく観察して、
怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、
二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る。
―――すなわち現世における〈さとり〉か、
あるいは煩悩の残りがあるならば、
この迷いの生存に戻らないことである。」―――
師(ブッダ)はこのように告げられた。
そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。


明来闇去

2020-04-07 00:11:56 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


728、世間には種々なる苦しみがあるが、
    それらは生存の素因にもとづいて生起する。
    実に愚者は知らないで生存の素因をつくり、
    繰り返し苦しみを受ける。
    それ故に、知り明かにして、苦しみの生ずる原因を観察し、
    再生の素因をつくるな。

「修行僧たちよ。
『また他の方法によっても二種のことがらを正しく
観察することができるのか?』と、
もしもだれかに問われたならば、
『できる』と答えなければならない。
どうしてであるか?
『どんな苦しみが生ずるのでも、
すべて無明に縁(よ)って起こるのである』
というのが、一つの観察〔法〕である。
『しかしながら無明が残りなく離れ消滅するならば、
苦しみの生ずることがない』
というのが第二の観察〔法〕である。
このように二種〔の観察法〕を正しく観察して、
怠らず、つとめ励んで、専心している
修行僧にとっては、二つの果報のうちいずれか一つ果報が
期待され得る。
―――すなわち現世における〈さとり〉か、
あるいは煩悩の残りがあるならば、
この迷いの生存にもどらないことである。」―――
師(ブッダ)はこのように告げられた。
そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。



明来闇去

2020-04-06 00:29:17 | 明来闇去

お写真は恩師「長尾弘」先生のご講演中のものをカメラに収めたものですが、
現像した一番始めは光だけで恩師を確認することはできなかったそうです。
光をだんだん絞っていってやっと恩師の頭と肩の部分がかすかに
視認できるようになったそうです。(この写真を撮られた方のお話です)
不思議写真の一枚です。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
   
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


727、かれらは、心の解脱を具現し、
    また智慧の解脱を具現する。
    かれらは(輪廻を)終滅させることができる。
    かれらは生と老いとを受けることがない。

「修行僧たちよ。
『また他の方法によっても二種のことがらを正しく
観察することができるのか?』と、
もしもだれかに問われたならば、『できる』と
答えなければならない。
どうしてであるか?
『およそ苦しみが生ずるのは、すべて素因に縁って
起こるのである』というのが、
一つの観察〔法〕である。
『しかしながら素因が残りなく離れ消滅するならば、
苦しみの生ずることがない』というのが
第二の観察〔法〕である。
このように二種〔の観察法〕を正しく観察して、
怠らず、つとめ励んで、専心している
修行僧にとっては、二つの果報のうちいずれか一つの
果報が期待され得る。
―――すなわち現世における〈さとり〉か、
あるいは煩悩の残りがあるならば、
この迷いの生存に戻らないことである。』―――
師(ブッダ)はこのように告げられた。
そうして、幸せな師(ブッダ)は、
さらにまた次のように説かれた。



明来闇去

2020-04-05 00:37:08 | 明来闇去

添付のお写真はお釈迦様のみ教えに帰依されたアショカ王が寄贈された
アショ王柱の前で笑顔でカメラに収まっている恩師「長尾弘」先生です。
お釈迦様のご生誕地ネパール領ルンビニにて。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


724、苦しみを知らず、また苦しみの生起するもとをも知らず、
    また苦しみのすべて残りなく滅びるところをも、
    また苦しみの消滅に達する道をも知らない人々、―――

725、かれらは心の解脱を欠き、
    また智慧の解脱を欠く。
    かれらは(輪廻を)修滅させることができない。
    かれらは実に生と老いとを受ける。

726、しかるに、苦しみを知り、また苦しみの生起するもとを知り、
    また苦しみのすべて残りなく滅びるところを知り、
    また苦しみの消滅に
    達する道を知った人々、―――




明来闇去

2020-04-04 01:45:51 | 明来闇去

添付のお写真は先に投稿したアラビア字句で書かれていたバスの車窓から
学びの友の方がカメラに収めたものでしたが、今回のものは小生のカメラに写っていた
同じアラビア字句です。
恩師「長尾弘」先生を始めとして多くの学びの友の方達と「モーセの御足を慕っての旅」の
途中で撮影したお写真であることは確かなのですが、いつ、どこで撮ったのかまったく
記憶にありません。
双方の字句をよく見比べて見ますと、同じアラビア文字で,同じ意味のことが
書かれていることがお分かりになるかと思います。(意味=何かが現れる)
小生は勿論アラビア語は分かりませんが、まったく同じ字句であることが分かります。
キリスト教ではイエス様の再臨を大切な伝道の一つとして説かれていますよね。
このことに関係することかな~(?)と思ったりもしていますが・・・
さぁ~ど~でしょうか。
不思議(奇跡)写真の一枚です。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
   
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ


720、そのことを深い淵の河水と浅瀬の河水とについて知れ、
    河底の浅い小川の水は音を立てて流れるが、
    大河の水は音を立てないで静かに流れる。

721、欠けている足りないものは音を立てるが、
    満ち足りたものは全く静かである。
    愚者は半ば水を盛った水瓶のようであり、
    賢者は水の満ちた湖のようである。

722、(道の人)が理法にかない意義あることを多く語るのは、
    みずから知って教えを説くのである。
    みずから知って多くを語るのである。

723、しかしみずから知って己れを制し、
    みずから知っているのに多くのことを語らないならば、
    かれは聖者として聖者の行いにかなう。
    かれは聖者として聖者の行いを体得した。



明来闇去

2020-04-03 00:32:27 | 明来闇去

添付のお写はお釈迦様のご生誕地ルンビニに建立されていた初代の摩耶堂に
安置されていた「赤ちゃんお釈迦様」の天上天下像です。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
   
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ


717、心が沈んでしまってはいけない。
    またやたらに多くのことを考えてはいけない。
    腥(なまぐさ)い臭気なく、こだわることなく、
    清らかな行いを究極の理想とせよ。

718、独り坐することと(道の人)に奉仕することとを学べ。
    聖者の道は独り居ることであると説かれている。
    独り居てこそ楽しめるであろう。

719、そうすればかれは十万に光り輝くであろう。
    欲望をすてて瞑想している諸々の賢者の名声を聞いたならば、
    わが教えを聞く者はますます恥を知り、
    信仰を起こすべきである。



明来闇去

2020-04-02 01:32:23 | 明来闇去

添付のお写真は恩師「長尾弘」先生のご講演中を学びの友の方がカメラに
収めたものですが、ご覧のように幽体(肉体)離脱から戻られたような画像に
なっています。
舞台上の恩師、お花、演台、等は同じような動きをしておりますが、舞台の前で
恩師のご法話を聴かれている皆様は同じお写真の被写体でありながら少しも動いていません。
ですから、カメラのブレではないと言えるかと思います。
不思議(奇跡)写真の一枚です。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
   
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ


714、道の人(ブッダ)は高く或いは低い種々の
    道を説き明かしたもうた。
    重ねて彼岸に至ることはないが、
    一度で彼岸に至ることもない。

715、(輪廻の)流れを断ち切った修行僧には執着が存在しない。
    なすべき(善)となすべからざる(悪)とを捨て去って、
    かれには煩悩が存在しない。

716、師は言われた、 
    「あなたに聖者の道を説こう。
    ―――(食をとるには)剃刀の刃の譬えのように用心せよ。
    舌で上口蓋を抑え、腹についてはみずから食を節すべし。