~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
第三 大なる章
12、二種の観察
728、世間には種々なる苦しみがあるが、
それらは生存の素因にもとづいて生起する。
実に愚者は知らないで生存の素因をつくり、
繰り返し苦しみを受ける。
それ故に、知り明かにして、苦しみの生ずる原因を観察し、
再生の素因をつくるな。
「修行僧たちよ。
『また他の方法によっても二種のことがらを正しく
観察することができるのか?』と、
もしもだれかに問われたならば、
『できる』と答えなければならない。
どうしてであるか?
『どんな苦しみが生ずるのでも、
すべて無明に縁(よ)って起こるのである』
というのが、一つの観察〔法〕である。
『しかしながら無明が残りなく離れ消滅するならば、
苦しみの生ずることがない』
というのが第二の観察〔法〕である。
このように二種〔の観察法〕を正しく観察して、
怠らず、つとめ励んで、専心している
修行僧にとっては、二つの果報のうちいずれか一つ果報が
期待され得る。
―――すなわち現世における〈さとり〉か、
あるいは煩悩の残りがあるならば、
この迷いの生存にもどらないことである。」―――
師(ブッダ)はこのように告げられた。
そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。