このお写真も先に投稿したものと同じ場所で撮影された
ものと思われます。
お写真は恩師「長尾弘」先生を始めとして多くの学びの
友の方たちとイエス様に関係する史跡を訪ねてイタリアと
フランスを訪問した際のビデオの中に撮影されていた
映像です。(ビデオの撮影者は学びの友のお方です。)
フランスのノートルダム寺院内に安置されている
ピエタ像の後ろに立つ十字架だと思われます。
炎のような光はこの十字架の前ですから本来は
ピエタ像が映らなければらないはずですが
炎のようなものが映っています。
先に投稿したお写真と似ていますが、炎の形状が
まったく違っています。
~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
729、この状態から他の状態へと、繰返し生死輪廻に赴く人々は、
その帰趣(行きつく先)は無明にのみ存する。
730、この無明とは大いなる迷いであり、
それによって永い間このように輪廻してきた。
しかし明知に達した生けるものどもは、
再び迷いの生存に戻ることがない。
「修行僧たちよ。
『また他の方法によっても二種のことがらを正しく
観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、
『できる』とこたえなければならない。
どうしてであるか?
『およそ苦しみが生ずるのは、
すべて潜在的形成力に縁(よ)って起こるのである』
というのが、一つの観察〔法〕である。
『しかしながら潜在的形成力が残りなく離れ消滅するならば、
苦しみの生ずることがない』
というにが第二の観察〔法〕である。
このように二種〔の観察法〕を正しく観察して、
怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、
二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る。
―――すなわち現世における〈さとり〉か、
あるいは煩悩の残りがあるならば、
この迷いの生存に戻らないことである。」―――
師(ブッダ)はこのように告げられた。
そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。