MINの目

MINの目が見つけた事柄をつれづれなるままに綴ります

東海道五十三次② 川崎宿→生麦 2020

2020年03月29日 | 東海道五十三次
新六郷橋を渡り、すぐに右に曲がり新六郷橋の下を通り、品川宿へ入ります。
曲がるポイントが分かるか心配でしたが、大きな文字で印されていました♪
川崎宿も見どころがいっぱいの様です!
やはり○○○跡という看板がメインでした。
川崎宿に入るとほどなく立派な「かわさき宿交流館」があるのに気が付きました。
新しい施設の様です。1Fには休憩コーナーや川崎宿の移り変わりや見どころ説明するビデオを見ることが出来ました。
休憩がてら観賞♪
2階、3階は資料の展示や衣装なりきりコーナーなどがあり、興味深い内容の展示でした。
もっとゆっくり見られれば良かったかな。。丁寧に説明をしてくださったり、とても充実した良い施設でした。

交流館で得た情報を気にしつつ進みます。
○○○跡が多い中、小土呂橋という幅5メートルほどの流れに架かっていた橋の親柱が大きな交差点の一角に残されていました。
川崎宿の終わりの場所には芭蕉の碑がありました。
碑の文字は達筆過ぎて読めませんでした。。。説明によると。
「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」
門弟たちとの惜別の思いを詠ったとのこと。

芭蕉の歩いた道を歩くのも面白いかな??

気がつけば横浜市に入っていました。なにかのんびりした雰囲気。。
市が違うだけでこんなに雰囲気が変わるものなのかな?
お祭りでは賑わうのかもしれませんがガランと空間で広い感じのする熊野神社がありました。
狛犬さんは慶応二年(1866年)の建立とのこと。お参りしてみることにしました。
この神社の前の道全体に横断歩道の柄が描かれていてました。。分かりにくい。 けど面白い。

その少し先に「市場村一里塚跡」の碑があります。日本橋から5里目とのこと。
一里は約4km。∴20km。。

え?そんなもん??

見どころが多かったせいか、結構歩いた気がしていたのですが、お遍路でいえば1日で歩ける距離。
京都まであとどのくらいで着くのか。。死ぬ前にはたどり着きたいものです。

基本的には住宅地を進む感じです。
鶴見橋は構造体の美しい橋でした。
欄干のデザインも面白く、必要な高さがあるものの欄干を乗り越えなくても川の様子が見られるデザインでした。
鶴見の駅近くは賑わっています。
鶴見村で最も大きな茶屋だった「信楽茶屋」は今はラーメン屋さんになっていました。
やはり○○○跡が多く、確認できないものもありました。

JR国道駅、鶴見線の駅です。利用したことが無かったのですが、必見との事で楽しみにしていました。
古いアジのある駅でした。よく映画やドラマによく登場するとの事。なるほどといった雰囲気です。
暗いトンネル状の奥に光がさしていて、人が通りました!
幽霊??「人が通った!」と私が言うと、今も現役の駅との事。。。全く知りませんでした(><)
慶岸寺や道念稲荷を過ぎるといよいよ生麦事件発生現場に差し掛かりました。
なんと、一般住宅の塀に説明がありました。
碑がある場所とは違うのですね。
生麦といえばキリンビール!!さすがに大きいです♪
ずっとその横を通り進むと生麦事件の碑がありました。今回はここまで。
昔一度工場を見学したことがあったのですが、当時は無かったと思われるレンガ造りのレストランがありました。

本日のご褒美♡
出来立てのビールを頂きました♪
料理も美味しく幸せなひと時でした。

最寄りの新子安の駅まで歩き帰宅しました。
次回はこの駅からスタートです!

立派な東海道かわさき宿交流館


休憩スペースがありました。


展示が工夫されています


なりきりコーナー


小土呂橋の親柱


芭蕉の碑


昔の姿を今に残す建物①


慶応2年の狛犬さん(良い笑顔です)


神社前は全面横断歩道!


市場村一里塚跡


流線形が美しい鶴見橋


川の様子が見やすい欄干


今はラーメン屋さんの信楽茶屋


昔の姿を今に残す建物②


国道駅コンコース入口


生麦事件発生現場は住宅地


出来立てビールを頂けるキリンビール工場敷地内レストラン


お店の様子


飲みくらべ♡


料理も美味しかった♪





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