goo blog サービス終了のお知らせ 

おかみさん日記

個人商店のおかみさんが、日々の出来事について綴ります。

飛鳥Ⅱ

2015年10月03日 09時27分05秒 | Weblog
一年ほど前、ある団体から「クルージングに行きませんか?」とお誘いがあった。

以前その方に
「商売をしているし、老齢の母がいるし、長期店を休むのも躊躇するし・・・
夫とは泊りがけの旅行には、長いこと行ってないゎ。」と漏らしたことがある。
それを覚えていてくださって、
母の介護も終えて、身軽になったこのとき、
ちっちゃなクルーズで、神戸港から瀬戸内海を通り、鹿児島まで行き
太平洋を回って神戸港へ戻るという4日間の旅だから
是非に、と言って下さる。

思い切って夫と参加することにした。

資金の工面もして、いよいよ6日が出発の日!

荷物は神戸港の飛鳥Ⅱあてに送った。
手回り品はコロコロのスーツケースで持っていく。
きのうから、何度もあけたり閉めたり。

経験したことのない贅沢をさせてもらうと思うと、
今から緊張している。

スーパームーン

2015年09月29日 09時30分25秒 | Weblog
27日の晩、本当にきれいな十五夜満月だった。
ススキを飾りお団子をお供えして、とか特別なことはしないけど
ベランダからしばし眺めていた。
ズーット、ずーっと大昔からこのように地球を照らしているのだな・・・
とか、乙女のような心境になった。

翌日TVを見ていると、
28日の晩の十六夜の月は、軌道が一番地球に近くなるそうで
大きなお月様が見えるという。

それでは、今晩もお月様を眺めましょうと、ベランダに出た。
確かに大きなお月様だ。

若かりし頃、夜ウォーキングをしていると堤防沿いにのぼり初めころの
とっても大きなお月様を見たことがある。
あの時も、きっとスーパームーンだったのだなぁ。

カメラを持って、少しでも近づいて写しましょうと、
二階のバルコニーから東の空にカメラを向けた。
望遠レンズも付いていない安物のカメラだからこの程度しか映らなかったけど。


母の三回忌

2015年09月25日 14時36分17秒 | Weblog
9月20日、一昨年亡くなった母の三回忌を勤めた。
命日は来月なのだが、とりこして、このシルバーウィークにすることにした。

母の血縁者は遠方であったり、高齢になってきたりして、
迷惑をかけることにもなりかねないので、
家族(私たち2人と息子家族と娘)での法要とした。


関東に住む孫が帰って来ると、家中大賑やかで、
家の中に“ねずみ花火”が走っているようだ。

亡くなった大ばあばには♪桃太郎さん、桃太郎さんお腰に付けたきびだんご
一つ私に下さいな♪とか唄って遊んでもらっていたが、覚えていてくれるだろうか?


私も、認知症が出ている母には相当てこずらされたのだが、
時が、嫌だった出来事を薄めていってくれる。


皆、色々な人々と関って日々を送っていくわけだが、
色々な影響を受けてきた。
母からも受けてきた。
反面教師的なこともあったが、耐えて耐えて生きてきた人だったから、
私もある程度忍耐強い人に育ったと思っている。


私も、もう人生の夕暮れ時なので
自分を大切に、時を過ごしていきたいと思う。
夕日が少しでも長く照らしていてくれますように・・・。

国勢調査

2015年09月16日 13時52分24秒 | Weblog
先日、地区の係員の方が国勢調査の調査票を配布に来られた。
今年からインターネットによる提出ができるようになったと言うことなので、
「では、インターネットで回答することにします。」と伝えた。

一昨日、店のパソコンで入力しようとしたら
このインターネットエキスプローラでは表示できません、と
前へ進むことができない。
近頃、このパソコンは機嫌が悪いので、家へ帰って
家のパソコンで、やることにする。

昨夕、家のパソコンで、うまく開けて
簡単に入力を済ませ、送信することができた。

第一回の国勢調査が始まったのが大正九年だという。
今年は二十回目だ。
大正九年というのは一昨年亡くなった母が生まれた年なので
今生きているとすると九十五歳だ。
なので、始まって95年目。

5年に1回10月1日の調査により、国の情勢が分かるわけだから
色々な面で生かされるわけだ。
国民の義務として正しく回答しよう。

息子一家の帰省

2015年08月10日 10時18分00秒 | Weblog
息子たちの、今年のお盆の帰省は、お盆休みを1週間早めて
8月6日から帰ってきた。

5月のゴールデンウィークに、孫娘のピアノの発表会で会って3か月、
あの時はスカイツリーへ一緒に行って楽しいひと時を過ごしたのだけれど、
ゆっくり話す間がなかった。
今回は、我が家で4泊したので、色々な話ができた。
孫達は随分成長して、小3の男の孫はあまり無駄話がなくなった。
その代り難しいことを次々と質問してくる。
大河ドラマを見て、「どうして戦うの?」と聞いてくる。
戦後70年の特集を見て、「アメリカは、なぜ上からみんなに、全体に爆撃したの?」
「原爆では、みんな死んじゃったの?」
「死ぬ」ということを少し考えているようだ。
話していると
下の小1の妹の方が「またよみがえるよね。」という。
私はびっくりして「よみがえらへんよ。一度死んだらもうそれでおしまい。
二度とこの世に出てこれへんよ。」と言った。

お寺の法話で聞く「お浄土の阿弥陀様のもとに生まれ変わる。」などと
悠長なことは言っておれない。

一昨年大ばあばが亡くなって、冷たくなって荼毘にふされた話をしたが
彼女は4歳だったのでその現実が分かっているのか?
あまりくどくど行ってもダメだと思い、又何かの折にさらっと言うことにする。

亡くなった命が、又よみがえると思うのは 何の影響だろう。
テレビのアニメのせいか?
人の死に際に立ち会う機会が少なくなったせいか?

小1の孫のことばにびっくりした私だが、
成長と共に解って来るものだろうか。

水前寺公園も雨

2015年08月06日 17時47分13秒 | Weblog
6/27 三日目の最後の目的地水前寺公園へ。
熊本藩 初代藩主細川忠利が築いたという桃山式の日本庭園。
阿蘇の伏流水の流れ込む大きな泉水、琵琶湖を表しているという。
向こうには富士山をかたどった小山が見える。
東海道五十三次を表しているとガイドさんの説明があった。
残念なことに強い雨が降っている。

良いお天気なら、素晴らしい見通しのお庭なんだが、雨で煙っている。



こうして今年の旅行は、雨にたたられた3日間だった。 


 熊本空港から伊丹空港へ。

大阪は良いお天気だった。

薩摩・肥後への旅 三日目最終日

2015年08月01日 15時15分59秒 | Weblog
三日目は、お宿を出て球磨川下りへ。
雨も止み、船頭さん手漕ぎの船でゆったりと球磨川を下る。
山からは鳥の鳴き声が聞こえる。
ホーホケキョとおうぐいすの声も。
浅瀬には水鳥が、魚を取っているのだろうか?

船頭さん、ここらでご当地の歌でも歌ってくれたら、川面に曲が流れて・・・
と思ったりもした。

熊本市内で昼食を済ませ熊本城へ。

やはり、また雨が降ってきた。
加藤清正が建てたという城。
優美な石垣が見事。
我らが近江の穴生衆が積んだという穴生積みの部分や
武者返しと言われるセリ立った石垣。
天守閣やその他の櫓もゆっくり見たかったのだが、
雨も降るし、時間もないし






続いて水前寺公園へ。

鹿児島から熊本へ(6/26)

2015年07月27日 09時44分14秒 | Weblog
福山黒酢本舗カ桷志田のレストランで黒酢を使った昼食。

JRの観光列車で吉松駅から県境を越えて熊本県の人吉駅へ。
スイッチバックしながら山間を進む。
ぐるーっと山間を回るループ線もあり430Mあまりの標高差を超える。
高いところから回ってきた線路も見える。
お天気が良ければ、もっと見晴らしが良くて雄大な景色なんだろうが、
少し残念
途中、幸せの鐘がある駅があった。
今、十分幸せなのでカンカンカンと3つ鳴らしてきた。

人吉駅に着いた。のどかな駅で、駅前広場にからくり時計がある。
毎正時に 人吉城のお殿様が城下を見物して回るという展開。
なかなかよくできていて、楽しい。

バスで今夜のお宿「あゆの里」へ向かう。

仙巌園・福山黒酢・しんぺい号

2015年07月22日 10時20分24秒 | Weblog
鹿児島、熊本の旅、二日目も雨降り。
島津藩19代当主光久が別邸として建てた通称「磯庭園」を見学。
桜島を借景とした雄大な庭園だ。
残念ながらその桜島は雲に覆われ見通しが悪く、
想像して眺めていた。
この周辺では近代日本の成り立ちに関係した多くのものがあるらしくて
「明治日本の産業革命遺産」として
ユネスコの「世界文化遺産」の登録候補地に挙がっていて、
もう今にも登録確定されるようだ。
(旅行から帰った、翌々日?登録が決まったニュースが流れていた)






この後桜島へは、雨でフェリー欠航のため渡れず、
黒酢の工場、レストランへ。