私たち、浄土真宗本願寺派の御本山のトップである
御門主様の(俗な言葉で言うと)代替わりの儀式である
"伝灯奉告法要”が 五月中行われている。
全国各地からの門徒が、日程を割り振りして
京都の御本山へ参り、この法要のご縁に会わせていただくのだが
連綿と続いているこの宗派の大きさに感慨深いものがある。
この世から去り、お浄土へ生まれ変わる教えも大切なことなのだろうが、
この世に生きているうちに、いかに生きるかの教えも大事なことだと思う。
願い寺の門徒でバス1台に乗り、京都の西本願寺を目指した。
私たちは、阿弥陀堂でお勤めや、法話を聞いた。
私は後期高齢者の仲間入りをする身で、少し手遅れの感があるけれど
それでも、これからの生き方を考えてみた。
高尚なことは、浮かばないが、毎日をぼんやり暮らさないこと。
少しは他人のためになることをしよう。
失敗しても仕方がない。物事は善意にとらえよう。
等々、能天気なわたしで前向きに精一杯生きていこう。
御門主様の(俗な言葉で言うと)代替わりの儀式である
"伝灯奉告法要”が 五月中行われている。
全国各地からの門徒が、日程を割り振りして
京都の御本山へ参り、この法要のご縁に会わせていただくのだが
連綿と続いているこの宗派の大きさに感慨深いものがある。
この世から去り、お浄土へ生まれ変わる教えも大切なことなのだろうが、
この世に生きているうちに、いかに生きるかの教えも大事なことだと思う。
願い寺の門徒でバス1台に乗り、京都の西本願寺を目指した。
私たちは、阿弥陀堂でお勤めや、法話を聞いた。
私は後期高齢者の仲間入りをする身で、少し手遅れの感があるけれど
それでも、これからの生き方を考えてみた。
高尚なことは、浮かばないが、毎日をぼんやり暮らさないこと。
少しは他人のためになることをしよう。
失敗しても仕方がない。物事は善意にとらえよう。
等々、能天気なわたしで前向きに精一杯生きていこう。