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おかみさん日記

個人商店のおかみさんが、日々の出来事について綴ります。

えびす講

2015年11月24日 09時24分16秒 | 商売
毎年この神嘗祭(勤労感謝の日)前に“えびす講大売り出し”というのがある。
農家の取り入れが終わり、おカネも入ったこの時期、収穫の神様、商売の神様えびす様に感謝をして
商店街が大売り出しをする。
お客様への感謝をこめて、冬仕度の商品を大勉強して提供する。
戦前(?)からあった売り出しのようで、ン十年前までは
押すな押すなの大盛況だった。
何しろ湖西からも買い出しの船が着いたそうな。

近頃は消費者の購買傾向も変わり、すっかり以前の雰囲気はなくなってしまった。

今年は21,22,23日の3日間“えびす講”が開催された。
今年は暖冬で、羽織るものなしでも外出できた。
3日間ともお天気に恵まれ、家族連れのお客さんが多かった。
ご当地キャラの“えびす君”が愛嬌を振りまきながら歩いていた。
そうそう!私の若かったころは、綺麗どころの芸者さん、芸姑さんを乗せた
宝恵籠が街を練り歩いたっけ。(遠い昔の話です。)



えびす君とお伴の人

地蔵盆

2014年08月22日 15時34分28秒 | 商売
商店街でおまつりしている“繁栄地蔵大菩薩”の地蔵盆を
今日、明日と催している。
或るお店のガレージをお借りして、お地蔵さまを鎮座させ
各店々からお供え物をして、提灯などでお飾りをする。
その前にゴザを敷き、子供たちの遊び場にする。
カロムをしたり、シャボン玉をしたり
夜には花火をする予定になっている。
今年は、男の子が多く10人余り集まって来ている。
女の子は、ひとり、ひとりやって来るが
男の子に圧倒されてか、帰ってしまった。
わたしの当番は二時までだったので、わからないが
又夕方お母さんにでも連れられてやって来るだろう。

夕食にはカレーが振る舞われる。
お父さんも、お母さんも、じーじもばーば
もやって来る。

こうしてご近所とのお付き合いが深まっていくのだ。

このような伝統行事が末永く続いて行くことを願う。



シャッターが下り

2014年03月15日 11時24分21秒 | 商売
先日、ある人から聞いた。
うちの店と類似の職種の老舗に、破産宣告の掲示がしてあったとのこと。
その店は手広く、卸、小売をされ、専門的な品も取り揃えてあり、
使用人(社員)もたくさんおられた。
近頃は、商売のやり方が変わって来て、
従来のことをずるずるやっていては取り残される。
後継者の息子さんが、手広くやってこられたことがアダになったのか?。

うちの店は息子も、東京で全然畑違いの仕事についているし、
我々夫婦の手に負える範囲でやっていこう、と決めたので
バイトさんを使ってやっていた卸も段々縮小して
今では特殊な物のみ、取引先の小売店さんに取りに来てもらって
やっている。
小売りも郊外に大型店ができ、お客さんの流れがすっかり変った。
売上額が10年前の五分の一になてしまっている。
インターネットの商売もやってみて、全国から引き合いがあり
面白かったが、けっこう煩わしく、
昨年でホームページも閉じてしまった。
わたし達も古希を過ぎ、「ボケ防止のために、甲斐性相応の商売でええやないか。」
と、もう開き直りの気でいる。
「○○商店さんも、倒産しやはったんやて。」
「どこどこさんも近頃閉まってるで。」
寂しい限りである。


おひなさま

2011年02月28日 11時05分27秒 | 商売
お雛祭りが近づいてきた。

最近は商店街の客足が落ち込み、街が寂しくなりつつある。

「なんとか元気を出しましょう」と4年前から
このシーズンになると、各家庭にあるおひな様を店先に飾ることになった。

親、子、孫と三代のおひなさまが並んでいる店もある。

当店は、娘のおひな様を店頭に持ちだした。
ガラスケース入りのコンパクトなものだが
周りがパーッと明るくなった。



各お店に、おそろいの桃色の幕を張り、いろいろなおひなさまを飾っている様子は
何かしら暖かい空気が漂ってくる。

こんなことで、すぐ売り上げが伸びるわけではないが、
“商店街の女性たちは元気ですよ”と発信している。

年末、最終ラウンド突入!

2010年12月31日 10時47分30秒 | 商売
年末の書き入れ時と、以前は大繁盛の商店街だったが
≪温泉旅行ほか豪華景品が当たる≫抽選券をサービスする歳末大売り出しも
もう一つ、客足が呼べない状態で大晦日を迎えてしまった。
その上朝からの雪降りで、商店街が閑散としている。

大型店が進出してきた時、既存の商店街は「冬の街○○」になる、と言われてきた。
名実ともに「冬の町」になって来た。

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マア、降れば、降るで雪関連のものが売れていくので、ありがたいとおもわなければ。

我が家は孫たちが帰って来て、はしゃいだ声や、泣き声などでにぎやか。
案の定、部屋を走り回って転んで、泣いている。
それも経験の内。痛い目に合って、大きな事故なども未然に防げる様になる。

昨夜は、お餅つきが無事終わって、おせちは料理やさんに頼んだし・・・

後は、最後の一日、頑張って商売しましょう。 

店先へ車が!

2010年11月08日 10時18分08秒 | 商売
今朝5時40分、ドッカーンという音で目が覚めた。
夫が「3階か」と、商品でも倒れたのか?と思い、
パジャマにカーデガンをはおって見に上がってくれた。
しばらくすると、ピーポー・ピーポーと救急車がやって来て近くで止まるではないか 

「事故だ!」とは思ったが、まさか我が家の前に車がいるとは  



わたしが表に出た時は、運転手は救急車に収容されていた。
女性のようだ。

電柱と店の角の柱に挟まって、歩道をふさぐ状態で
横倒しになっている。
ガソリンの臭いはしていない。



だんだんと空が白み始めてきた。

街路灯が、少し傾いている。
外灯も消えた。
店先のやまぼうしの木が、これも少し押し込まれている。



何よりも、店の角の壁が欠け落ちてしまった。

警察の人によると、当事者の女性は軽い怪我で、
「後日、伺うようにと言っときますから」と。
その程度で、よかった。
相手も無くひとり相撲で。



レッカー車に収容されて行く車



7時を回っていた。

事故は恐ろしいものだ。
これくらいの怪我で済んだものの、少しずれていて
車の屋根部分が電柱のところへいっていたらベコーンとつぶれて中の者は
大けがをする所だ。命が無いかもしれない。

ガラスの破片が相当遠くまで飛び散り、掃除の手間がかかる。
血も地面に流れている。
一瞬の不注意で大勢の人に迷惑がかかる。
自業自得では済まない。

ビルの解体

2010年01月16日 13時50分37秒 | 商売
以前は、街の中心だった大きな辻に建つ“Iビル”がとうとう壊されることになった。

角に建つ高い建物の屋上にある「○○ヤ」というネオンの看板は
遠くからでも良く見えた。
JRいや国鉄の電車の窓からも、「ああ、帰ってきたな。」とそれを見たものだ。

少し前までは、角地ということで、人も集まり商売も繁盛したのだが、
車社会になると、どうも角地はいけない。

最近は、なが年、空き店舗になっている。
屋上には、“からす”が住み着いている。
老築化も進み、商店街のネックになっていた。

それが、この程解体されることになった。
問題の“アスベスト”を使った建造物なので、すっぽり囲いをして
周りに粉塵が飛び散らないようにして壊す、ということだ。



交通量も多い上、信号の真下なので、相当期間がかかるだろう。

跡地はどうなるのか。
わたしは聞いていないが、商店街の活性化のために、良い方向に・・・

大晦日

2009年12月31日 12時28分37秒 | 商売
2009年、平成21年も終わろうとしている。

数年前から、われわれ商店街は様相が変わってきた。
10年位前?、いや20年前迄は、年末は商店街がごった返して
迎春準備に大わらわだった。
八百屋さん、魚屋さん、お肉屋さんなど食料関連の店は
大晦日が一番忙しかった。
うちの店でも、大掃除に必要なもの、神様、仏様にお供えする道具、
御餅つきの道具等々、特別なものがよく売れた。
31日の紅白歌合戦が始まっても、まだまだお客さんがあった。

除夜の鐘が鳴る頃、店の掃除を終えてシャッターを下ろした。

あんな頃が懐かしい。

今は、お正月だと言って、特別なことをする家庭も少なくなって、
大型店で、出来上がった食料品を求める人が多い。

そういう私も、今スーパーへ行ってきた。
駐車場が一杯。
殺気立っている。
わたしはうまい具合に出て行く車を見つけて、すぐに入れられた。

おせちの食品売り場は、人が一杯で寄り付けない。

大きな焼鯛がたくさん並んでいる。

売れるところでは、売れているのだな~。

もう商店街では、年末のお客様は呼びこめないのだろうか。

われわれは特別な商売で生き残るより仕方なさそうだ。

愚痴の言い納め。

来年は、良い年になってください。

しゃけまつり

2009年12月12日 20時43分23秒 | 商売
今日、明日の2日間、私たちの商店街の恒例の“しゃけまつり”という
売り出しをやる。

「2,000円以上のお買い物で、荒巻しゃけ一本プレゼント」というものだ。

この売出しは人気のある売り出しで、「今年は何日にあるのですか?」と
早くからたずねるお客さんもある。

今朝は、開店と同時に次々お客さんが来てくださり、嬉しい悲鳴だ。

めったに売れない商品まで売れていく。
この時に買おうと思っていてくださったのだな

ありがたいことだ。

午後からは、しゃけ汁のおもてなしが商店街の駐車場である。
去年は寒風が吹いて、寒くて、この暖かいしゃけ汁が大好評だった。

今年は接待をしていてもそう寒くなく、ありがたかった。
暖かい日の割にはたくさんの方に召し上がって頂き 
「このダシはどうやって取るのですか?」
「酒かすが入っているのですか?」
「お味噌は入っていませんね?」
とか、おたずねがあり、
とにかく、皆さん美味しいと言って下さった。

久しぶりに、私たちの商店街が賑わった。


商店の おかみさんの愚痴

2009年12月01日 10時34分07秒 | 商売
昨夜、商店街の女性会の会合兼お食事会が、
街内の料亭であった。

夏の行事、秋の城まつり、初冬のえびす講などなどの
慰労会を兼ねて、すき焼きだった。

今後の、“カルチャー教室”についての発案、
冬の“しゃけ祭り”の役割分担等の相談のあと、
しゃべった、シャベッタ

商売についてのことは勿論、美味しい食べ物のこと、
健康について、旅行や料理のこと、
そして子育てに関して、前の席のY.Mさんと話が盛り上がった。
もう今更戻ることは出来ないけど、
商売人の子供達は“みじめ”だったね、と。
今思い出してみても、子供と過ごした特別な思い出が無い。
夫は「配達の時、よく軽四トラックの助手席に乗せて行ったな~。」と
しみじみ言う。
当時はシートベルトも無く、急ブレーキを踏む時は
反射的に左手で子供の身体を押さえたと話す。
公園で親子がキャッチボールなんかしていたのを見たことも無い。

私も、手づくりのおやつを作ったこともなく、
ケーキ作りはサラリーマンの奥さんの
専業主婦がするものだと思っていた。

その日その日を、忙しく追われて過ごしていた。

当時は、それで普通だと思っていた。
今になると、もっともっと、子供との時間を持っておきべきだったと思う。
せき立てていたばかりの接し方で、良い思い出があまり残っていない。

そうだな~。週に何日か音楽教室へ付き添ったな~。

そして、一度だけ小学生の時、黒部ダムへ旅行したな~。

もう一度やり直せるものなら、やり直してみたい“子育て”ではある。