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おかみさん日記

個人商店のおかみさんが、日々の出来事について綴ります。

山口方面の旅 三日目

2016年03月22日 16時56分48秒 | Weblog
旅の三日めは下関港まで出て、船で20分の所にある六連島をたずねる。
小さな島で、船から見ると中腹にお寺が見える。
その西教寺を目指して、島の細い坂道を上がる。
息が切れてくる。
10分ほどでようやくたどり着く。
お寺の世話方さんから、今日(こんにち)“妙好人(みょうこうにん)おかるさん”と慕われる
女性の話を聞き、ビデオを見る。
200年あまり前、この島に生まれた女性で、日々成長していく中に
浄土真宗の、この西教寺の住職の教えのもと
仏教の教えに目覚めて行った。
「鮎は瀬に住む 小鳥は森に わたしゃ六字(南無阿弥陀仏)の内に住む」
他、たくさんの歌や詩を残している。

その後小倉から新幹線で帰路に。

もうふたつ金子みすゞさんの詩を

2016年03月22日 09時59分10秒 | Weblog


  こだまでしょうか


「遊ぼう」っていうと
 
「遊ぼう」っていう。


「馬鹿」っていうと

「馬鹿」っていう。


「もう遊ばない」っていうと

「遊ばない」っていう。


 そうして、あとで

 さみしくなって、


「ごめんね」っていうと

「ごめんね」っていう。


 こだまでしょうか

 いいえ、だれにでも。





   さびしいとき


 私がさびしいときに、

 よその人は知らないの。


 私がさびしいときに、

 お友だちは笑うの。


 私がさびしいときに、

 お母さんはやさしいの。


 私がさびしいときに、

 仏さまはさびしいの。







私の感想
 味わい深い詩、いろいろ思える。
 人と人のつながり、
 人の孤独感、
 そのときどきの心の在りようで、いろいろと。

 

金子みすゞさんの詩

2016年03月09日 17時17分18秒 | Weblog
金子みすゞさんの詩


  大漁
  
朝焼け小焼けだ

大漁だ

大羽鰯(おおばいわし)の

大漁だ。


浜はまつりの

ようだけど

海のなかでは

何万の

鰯のとむらい

するだろう。




  月日貝

西のお空は

あかね色、

あかいお日さま

海のなか。


東のお空

真珠いろ、

まるい、黄色い

お月さま。


日ぐれに落ちた

お日さまと、

夜あけに沈む

お月さま、

逢うたは深い

海の底。


ある日

漁夫(りょうし)にひろわれた、

赤と うす黄の

月日貝。




   

私の感想
 海の生き物に思いを寄せて、この慈しみの心 何とも言えません。

萩反射炉そして金子みすゞ記念館へ

2016年03月05日 21時22分55秒 | Weblog
「明治日本の産業革命遺産」の一つ「萩反射炉」を見学した。
江戸後期の幕府や藩が、洋式の大砲を必要とし
鉄の溶鉱炉を作った。

今残っている、萩反射炉は上の方のみで、試験的に作られた反射炉だといわれている。






長門市で昼食を済ませ、仙崎の遍照寺へ。


ここはみすゞの墓所。
長身の住職による法話を聞き、讃仏偈のお勤めをして、
「金子みすゞ記念館」へ。



二階には、にみすゞの部屋が残されている。


旅の2日目

2016年02月29日 20時04分00秒 | Weblog
二日目の朝は萩市内の散策。
去年の大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台になった吉田松陰ゆかりの場所を訪ねる。



松陰神社 (吉田松陰は神様になったのか?聞き漏らした)



松下村塾



松陰旧宅



松陰最期の歌






お昼からは長門市仙崎の「金子みすゞ記念館」へ

金子みすずさんと於軽同行を訪ねて

2016年02月21日 09時57分47秒 | Weblog
白内障の手術を受け退院して20日・・・
チョット心配ではあったが処方された、一日3回、3種の点眼薬持参で
2泊3日の旅に出かけた。

京都駅集合。
周りが良く見えて、本当に良かった。
新幹線のぞみで“新山口”まで。
駅前に当地のバスが待っていてくれた。

浄土真宗本願寺派の親鸞聖人鑽仰会の旅行なので
まずは“山口別院”へお参り。

内部の様子


参拝を終え

山口市内で昼食を済ませ

津和野に向かう。

森鴎外の記念館へ。



学生時代、森鴎外は明治時代の小説家で、作品には
「山椒大夫」「高瀬舟」「阿部一族」「舞姫」などがあると習った記憶しかなかったが
島根県が産んだ偉大な人だということが分かった。
東京大学医学部で学び、ドイツにも留学し、日清戦争に従軍し、
日露戦争では軍医の最高の地位にいたという。

地続きで鴎外の旧宅がある。







一日目のお宿、萩温泉 “萩本陣”へ。

続いて右目

2016年02月14日 09時39分50秒 | Weblog
一日おいて20日に右目の手術を受けた。
この日は、病院の窓からは一面の雪景色だった。
夫は、電車で病院へ来てくれた。

今度は左目に続いて二回目なので、
不安もなく、落ち着いて受けることができた。

同じように順調に手術も終わり、
翌日には眼帯(ギッテル)がとれ
両目の水晶体がきれいなものと、取り替わったので
周りがパッとパッと明るくなった。
うれしかった。

術後の検診でも順調なので、明22日には退院の許可が出た。

ということで、白内障の手術については、おわり。

白内障の手術

2016年02月05日 07時13分20秒 | Weblog
一昨年の夏ごろから、目が見にくくなって、本を読んでいてもよく疲れるようになった。
夫に勧められて、M市の眼科を受診した。
「白内障が出てきていますね。手術をすればよく見えるようになりますよ。」
4年前に夫がお世話になった女性の先生がおっしゃった。
「一年後にもう一度受診してください。」ということで
昨年秋に再度受診した。
男性の先生だった。
「もうだいぶ進んでいますね。12月に手術はいかがですか?」
と言われたが、年が明けた1月に受けることにして
1月18日の手術の予約をしてきた。
術前検査に12月に受診した時は、両眼の視力は0.5・0.5だった。

年末年始の行事も終えて、1/18に入院した。
検温、血圧測定や点眼剤の投薬などがあり。
付き添いの夫とともに、主治医の説明を受けた。
目の構造や、白内障の成り立ちや、手術の説明を受けた。
その後眼科部長の診察があった。

「では、月曜日の手術、頑張りましょう。」ということで
翌、金、土曜日、一泊二日の外泊をもらって、自宅に帰った。

日曜日の晩に病院に戻り、腕には名前の書いたバンドをはめて
明朝の手術に備えた。

翌1/18月曜日朝から点滴が始まり、安定剤を服用した。
付き添いの夫が来てくれた。
車いすで、3階の手術室へ。

手術は9時半ぐらいから始まった。
まず左目。
顔にシートをかぶせ、目の部分は瞼が動かないよう固定してはじめられた。
心拍を見る機械のピーッピーという音が聞こえていた。
目は液体の薬が流れるような中、明るい光がさしたり
ぼやーっとなったりして、点眼の麻酔が効いていて
全然痛くないまま終わった。
賞味20分ぐらいの間だったろうか。

ギッテル(眼帯)をつけ、点滴を受けたまま車いすで病室に帰った。
1時間ベットで、上向き安静を保つ。

夫が手を振って帰って行った。
又、明後日の右目の時もよろしく。

その後、気を付けて動いてよいとのこと。
昼食もおいしくいただけた。
痛みも全くない。
けど見えにくい右目を残しての片目なので、不自由。

明日、術後の検診がある。



白内障の手術を受け無事退院

2016年01月26日 10時30分08秒 | Weblog
22日の金曜日、白内障の手術を受け、
よく見えるようになって
無事退院した。

周りが明るくなって、シワもシミもホコリもよく見える。

詳細は後程UPすることにして、一週間留守にしていた家の中を元に戻す作業と、
店の仕事、伝票の整理、夫は店に縛られていて配達に出られなくて、出ていくし・・・
20日〆の請求書作り等々忙しい。
目は時間ごとの点眼役があるものの、体は元気なのでだいぶこなせてきた。

そこへ昨日の大雪降り。
目が明るすぎてまぶしいので、サングラスをかけて雪除けをした。


てなわけで、手術の詳細は後程。






入院

2016年01月17日 09時43分10秒 | Weblog
15日(金)朝10時に、白内障手術のため入院した。
あさ8時半に、どこか旅行にでも行くように、
コロコロのスーツケースを持って、夫の運転する車で出かけた。
やはり、周りの景色がぼやけて見える。
前の車のナンバープレートが読めない。
1週間後の退院の時は、周りの様子がよく見えて、前を走る車の
ナンバーも読めるようになっていることを期待しつつ・・・

病院に着くと、入院手続きの窓口はすでにたくさんの人だ。

手続きを終え病棟の部屋へ案内してもらう。
個室がとれた。

落ち着くと検温、血圧測定、があり数種類の目薬を渡された。
注す時間を書いた表(プレート)も同時に渡された。

主治医の診察があり、付き添いの夫とともに手術の説明を受けた。
眼球の模型を使って丁寧な説明で、納得できた。

午後からも、部長回診という形で、瞳孔を開く目薬を差しての診察があった。

その後は目薬を差すという作業があるのみで、夫は帰って行ったし、
退屈だ。

明日と明後日(土日)は診察もなく、外泊が許された。
土曜日の朝、電車で家に帰る。

なので今は家に帰っている。
やはり、「家はいいなぁ~。」