諏訪大社上社宮前の近くに史料館はある。
神長官守矢氏は諏訪上社の神事を取り仕切る神長官という役職を務めた家である。
展示室には土器や国産陶器、貿易陶磁器などの破片が展示されていた。
また、神長官守矢家の敷地には古墳がある。
この場所は昔から人が住んでいた場所なのである。
大和朝廷の力が諏訪に入る以前は守屋山の自然信仰があり守矢氏が統治していた。
縄文時代からここに住みついた人々は狩猟生活をしていた。
そこへ出雲より農耕生活をする民族が入ってきた。
それが国津神であり、諏訪社の始まりとなる。
戦いに敗れ、統治権を譲った守矢氏ではあるが、祭祀については実権を握ることになった。
守矢氏の年中行事や秘法は一子相伝であった。
今から3代前の宮司が「記録として残さなくてはいけない」と思い書き残した。
また、戦国時代には武田信玄が諏訪社を厚く崇拝し守矢氏にも手紙を出していた。
そのため、守矢家には多くの資料が残っている。
その中に「鹿食免(かじきめん)・鹿食箸(かじきばし)の版木」がある。
鎌倉幕府以来、肉食は禁じられていたが、諏訪社では鹿がなくては神事ができない。
そのため、鹿食免・鹿食箸を所有していれば食べることを許された。
他の神社では鹿は「神の御使い」とされている。
ところが、もともと狩猟民族であったため、野山の動物を食べ、神にもささげていた。
1年間に諏訪社の神事は75あり、そのたびに鹿の頭を供えて神事を行ってきた。
その時の頭が展示されている。
不思議なことに、みんな穏やかな顔をしている。
まるで笑っているようである。
今は「御頭祭(おんとうさい)」が4月15日に取行われているのみであるが、この時は剥製の頭を使用している。
守矢氏の敷地内に建てられているが、他に祈祷殿、古墳、ミシャグジ社もある。
雨のため回らなかったが、今度はゆっくり見たい。
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