松平記p72
翻刻
門、半之亟を(た)すけ突てかかり、鵜殿を突伏、首をとる。川澄又
助、同突てかかる処に、源五左衛門脇より突て出る間、又助
返す。家康是を御覧じて、自身鑓にて渡辺を突給ふ。うす手
なれハ、渡辺引て行を、石川十郎左衛門、渡辺源五左衛門先
にすすみ、家康へ突てかかるを内藤甚市、弓にて渡辺源五
左衛門が両股を射返しける間、渡辺射伏られける。子息半
之亟、父を肩にかけて早々引て行。内藤甚市ハ、渡辺源五左
衛門が甥なれとも敵なれハ、射伏ける。家康、甚市を御感不
斜。渡辺は頓て死ける。
同二月十三日、味方より石川又四郎、根来十内、布施孫左衛
現代語
(渡辺源五左衛)門、半之亟をたすけ、鵜殿十郎三郎に突きかかり、首を取った。川澄又助が突きかかるところに、渡辺源五左衛門が脇から出て突きかかったので、又助が渡辺源五左衛門に突き返した。家康がこれを見て、渡辺源五左衛門を突いた。しかし、傷は浅く、渡辺が引き返していくのを、石川十郎左衛門、渡辺源五左衛門が先に進み、家康に突きかかった。そこに内藤甚市が弓で渡辺源五左衛門の両足を射ったので、渡辺源五左衛門は伏した。子息である半之亟が父を肩にかけて早々に引いていった。内藤甚市は渡辺源五左衛門の甥であったが敵なので、渡辺を射った。家康は内藤甚市にいたく感激した。渡辺源五左衛門はやがて死んだ。
同(永禄5年)2月13日、味方より石川又四郎、根来十内、布施孫左衛門、
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