愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

松平記(69) 松平記

2024年07月23日 06時00分14秒 | 松平記

松平記p69

翻刻
を返すまじ用意と見えたりとて、大久保一党皆上和田へ
引返しける。案のごとく二手に成て押出す。然ども皆引取
ければ、一揆共手を失ひける。是偏に半之亟が芳情也。其比
家康の伯父水野藤十郎、兄の下野守と不和の義有、三河内
わし塚といふ所に浪人して御座候。藤十郎、相むこの水野
太郎作、村越又十郎と三人を同心して一揆起り申候由無
心元(こころもとなし)とて御見舞に御座候が、如此方々さハがしければ、い
かで見捨申さんと、先がけの衆に加り、一方の大将にて、数
度のはたらき御座候つる。其時分、佐々木の敵の後詰とし
て、一揆岡・大平へ働、馬場小平太、石川新九郎、同新七、矢田

現代語
(大久保衆を)引き返させないための用意であると考えられる。そこで大久保党は皆上和田へ引き返してしまった。(一揆勢は)予定通り二手に分かれて兵を出したけれども、大久保党が皆引き返してしまったので、作戦は失敗に終わった。これは偏に半之亟の芳情である。
その頃家康の伯父の水野藤十郎は、兄の水野下野守信元と仲が悪く、三河の鷲塚という所に浪人として身を寄せていた。一揆が起こったことが気がかりで、相婿の水野太郎作、村越又十郎と共に様子見に来たところ、このように戦が起こっていいて騒がしいので、これを見捨てることができないと、大将として先陣に加わり、何回も戦功をあげた。
その当時、一揆方佐々木上宮寺の後詰として一揆勢は岡、大平に軍勢を出し、馬場小平太、石川新九郎、石川新七、矢田作十郎、・・・


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