愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

藤井城 安城市

2013年09月16日 07時37分29秒 | 安城市
藤井城址
 土井城は、誓法寺の西側一帯のどこかにあったらしいですが、松平勘四郎の藤井城は分かりました。


藤井城址の石碑


藤井城址の案内板

しかし、探している途中で不思議なことに気づきました。


東にいかにも城館のあった場所?
 藤井城址は、図のように安正寺の南に位置していましたが、その集落の東側に「西屋敷」「北屋敷」「南屋敷」「東屋敷」という地名のある少し小高い集落を見つけました。中央には、長因寺というお寺があります。この集落の周りは、西に「阿原」という水田がありますが、集落より1~2メートル落ち込んでいます。また北には川(鹿乗川)があり、東側は人口の堀のようなものがあり、南側は矢作川です。四方を堀のようなものに囲まれているのです。
さらに、中に入っていくと、道が狭く、いかにも昔からの集落という感じがしました。

木戸城というお城があった
 ネットで調べたところ、やはりこの集落に木戸城というお城があったらしいです。木戸城はこの集落の最南端春日神社の所に位置していたようです。 木戸城は、文明年間 (1469-1486)、松平信光(のぶみつ)から安城城を与えられた親忠 (ちかただ・安城松平家初代:1431-1501)に従い木戸村に移り住んだ成瀬直庸(なるせなおつね)によって築かれたそうです。また、一色氏被官(ひかん)の石川氏とする説もあるそうです。<安城市HP、なお木戸城址は市指定の史跡>
ただし、当日は木戸城址を発見できませんでした。

一揆の中心本證寺、大谷派安正寺がすぐ近く
 もうひとつ、この藤井城は一揆の中心であった本證寺のすぐ近くにあったということです。松平勘四郎信一は、大変だったと思いました。しかし、案内板には三河一向一揆で戦ったことには触れられていませんでした。
 さらに、藤井城址を探すめやすとした安正寺ですが、よく見ると真宗大谷派。「えっ、こんなに近くにあっていいのか。」と思いました。しかも「開基松下円平綱親は、野寺本證寺の空誓上人に従って僧となり」と書いてあり、どきどきしましたが、さらによく見ると、僧になったのは1600年ごろで、安正寺がここにできたのは1779年とあったので、もう三河一向一揆は昔の話になっている頃の出来事ということが分かりました。


安正寺山門


安正寺の由来

藤井の地名の由来
 藤井城址の近くの県道294号線を北上すると左側に藤井の由来を示す石碑がありました。



 ここに名水が湧き出る井戸があったというのです。いわく「澄んできれいな清水であったことから、藤の花のようだというので、藤井と呼ばれるようになりました。」
 この石碑を右に折れると、はたして井戸の跡がありました。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2013-09-17 22:00:12
藤の花のような井戸だから藤井ですか
名前の由来は人名も地名も辿っていくと面白い発見がありますね(*´・ω・)
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地名の由来 (midorishako)
2013-09-18 06:56:06
コメントありがとうございます。
地名の由来は本当に面白いです。
キララが、吉良の由来ということもありました。
地名から、その地の由来や歴史がわかります。
もちろん、本当のことかどうかはわかりませんが、
なるほどと思わせるものはありますね。
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