愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

松平記(77) 松平記

2024年08月02日 05時57分17秒 | 松平記

松平記p77

翻刻
一 去程に、三ケ寺の僧に宗旨をかへよ、其まま御置可被成候。
無左ハ、破却可有と被仰付候へ共、御意にしたがひ不申候
間、坊主共先々追出給ふ。
一 鳥居四郎左衛門、渡辺八郎三郎、波切孫七、渡辺源三、本多孫
八、同三弥なとハ、三河を払ひ給ふ間、方々へ浪人。但後ハ此
中御免をかうふりて帰りしも有。大草の松平七郎も追払
ひ給ふ。誠に一揆いまた和談の事なくハ、中々此年中なと
ハしつまりかたき事成に、大久保一党か謀故に、一揆共和
談に成。か様に治りし事、偏に大久保一党の忠節ある故也。
一 渡辺半之亟、同平六をハ、平岩善十郎取次にて御免被成本

現代語
一 さて、三ヶ寺の僧に、宗旨を変えよ、そうしたら、そのままにしておく。宗旨を変えることをしなければ、寺を破却することになると言われたが、家康の意志に従わなかったので、坊主たちは寺を追われることになった。
一 鳥居四郎左衛門、渡辺八郎三郎、波切孫七、渡辺源三、本多孫八、渡辺三弥などは三河を去り、方々に浪人することになった。ただし、後にはこのなかに、許しを得て帰ってくる者もあった。大草の松平七郎も国を追われた。まことに一揆がまだ和談していなければ、この年中に戦がしずまることは難しかったのであるが、大久保一党の謀のおかげで一揆たちは和談をした。このように治まったことは、偏に大久保一党の忠節の故である。
一 渡辺半之亟、渡辺平六を平岩善十郎の取次で赦免し、
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