愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

捕虜収容所跡 名古屋市緑区

2020年08月17日 05時40分35秒 | 名古屋市緑区
ネットで見つけた
先日、ネットで戦争の遺跡を調べていたところ、偶然名古屋市緑区に捕虜収容所があったことを発見しました。

ネット「朝日新聞DEGITAL」2019年5月6日の記事

記事によれば、第2次世界大戦中名古屋市緑区有松に捕虜収容所があったそうです。「名古屋俘虜(ふりょ)収容所第2分所」などと呼ばれ、県内唯一の捕虜収容所だったそうです。終戦時には米英の捕虜約270人がいたそうです。捕虜は熱田区の鉄道車両工場で働かされ、電車で通う姿が地元で目撃されていました。そのうちの一人、城山三郎さんが「捕虜の居た駅」というタイトルでその様子を小説にあらしていたそうです。それを知ったもと南山中学校教員馬場豊さんは、苦労して資料を集め、聞き取りもして「捕虜のいた町」という戯曲を作ったそうです。

馬場豊「捕虜のいた町」

馬場さんたちは「捕虜収容所跡を残す会」を結成し、収容所にあったれんが造りのポンプ施設跡や土の中からのぞく配管を史跡として案内プレートを設置することを訴えています。記事では、ポンプ施設跡で訴えているところが写真として掲載されていました。

城山三郎「捕虜の居た駅」の一節
城山さんの小説は前記「捕虜のいた町」に収録されていました。1961年の作品ですが、名古屋市生まれの城山さんの青春の一コマを描いているような、ほのかな初恋の物語になっていました。しかし、その中に収容所の捕虜に対する理不尽な日本人の対応が詳しく描かれていました。
駅(有松)で収容所の捕虜を電車に乗せている場面です。一般客もいます。
「それまでも時々声高に何かどなりながら捕虜の列に附添っていた下士官や警防団員たちが、待ち構えていたように襲いかかるのだ。半靴で蹴上げる。ゴンボ剣と呼ばれていた短い帯剣で、尻や背筋を突く。背伸びして棍棒を振るう者もいた。うすい髪を通して頭蓋を打つ音が、かたくひびく。
 それは毎朝きまってくり返される光景であった。下士官たちのしていることには、何の意味もなかった。乗り方としては、押し合いもみ合うよりも、捕虜たちのそうした乗り方の方が能率的である。それでいて、下士官たちは襲いかからずには居られない。捕虜より一枚上の人間なのだということを、通勤客たちの前で見せたかったのであろうか。」
70数年前の有松駅で実際にあったことだと思います。

名古屋市は史跡として保存を
さて、このポンプ跡地がどこなのか、少し迷いましたが、ようやく見つけました。ぜひ名古屋市には、この史跡を市指定としていただき、保存するとともに案内プレートを設置してほしいと思いました。


捕虜収容所ポンプ施設跡の位置(Yahoo地図より作成しました)


捕虜収容所ポンプ施設跡

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