月見御殿をUターンして、すぐの分かれ道を左に折れますと、天筒山の方に向かいます。
まずは、三の木戸がありました。
三の木戸
道がいったん下り、又奥の方で登っています。おそらく土橋があったのではないでしょうか。両サイドは深く堀が切られていました。
焼米石出土跡
三の木戸を過ぎると、「焼米石出土跡」がありました。
戦国時代、この辺りに兵糧庫があり、織田・朝倉の合戦の際に焼けて、焼けた米が後に出土したそうです。大事な兵糧を蓄えておく倉庫があったのですね。でも、三の木戸の外にあるのはどうしてかと思いました。
二の木戸
次に二の木戸がありました。
一の木戸と同じような感じでした。ただし、この道から両サイドには、深い堀切がありました。
他にも堀切が見えました。
金ヶ崎城は、城の東側尾根線上に見事な堀切があり、とてもよかったです。しかし、曲輪や土塁と言った山城にいつもあるのもが見られなかったので、もともと無いのか、無くなってしまったのか、気になりました。
まずは、三の木戸がありました。
三の木戸
道がいったん下り、又奥の方で登っています。おそらく土橋があったのではないでしょうか。両サイドは深く堀が切られていました。
焼米石出土跡
三の木戸を過ぎると、「焼米石出土跡」がありました。
戦国時代、この辺りに兵糧庫があり、織田・朝倉の合戦の際に焼けて、焼けた米が後に出土したそうです。大事な兵糧を蓄えておく倉庫があったのですね。でも、三の木戸の外にあるのはどうしてかと思いました。
二の木戸
次に二の木戸がありました。
一の木戸と同じような感じでした。ただし、この道から両サイドには、深い堀切がありました。
他にも堀切が見えました。
金ヶ崎城は、城の東側尾根線上に見事な堀切があり、とてもよかったです。しかし、曲輪や土塁と言った山城にいつもあるのもが見られなかったので、もともと無いのか、無くなってしまったのか、気になりました。