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愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

芝築地山城・東乙坂山城(2) 福井県越前町

2018年09月18日 06時38分37秒 | 福井県
山頂までのコースは、2つあります。のぼりは「ゆるやかコース」下りは「急コース」で行くことになりました。

「ゆるやかコース」を登る「城の会」の方々

途中案内の方が、「曲輪ではないか」「土塁ではないか」と教えてくれました。

曲輪ではないか


竪土塁ではないか これらの遺構は、今までに指摘されていないものだそうです。

40分ほど登りますと、頂上の芝築地山城にたどり着きました。

芝築地山城看板
「延元(1336~1340)の昔、南朝の勇将新田義貞は、北朝方の足利高経を討つため家来の畑時能に命じたが、惜しくもここで破れた。」
ただ、案内の方は、畑時能がここに来る必要性がないと言っていました
そこで、ネットで「太平記」の第22巻をざっと見ましたが、そこに乙坂山、芝築地山、芝摺山等々の記事はありませんでした。

つづく

芝築地(しばついじ)山城・東乙坂(ひがしおっさか)山城(1) 福井県越前町

2018年09月17日 18時04分00秒 | 福井県
9月16日(日)、久しぶりに「城の会」の見学会に参加しました。越前町の乙坂山にある2つの山城です。

乙坂山の位置(Yahoo地図より)


二つの城の位置(Yahoo地図より)

当日は雨が降り出しそうな天候でしたが、幸い小雨程度で山歩きに大きな影響はありませんでした。ふもとの駐車場に案内の看板がありました。


駐車場の看板


「乙坂には今から1700年ほど前の大和時代に、応神天皇の第4王子であった、息長丹生真人という偉い方が、王女の乙坂姫(忍坂姫)とともに神玉殿に住んでいました。丹生郡や乙坂の名前はここからついたと言われています。南北朝時代には乙坂山に新田義貞の家来畑時能(ときよし)が、芝築地山城を構えていたと伝えられています。乙坂山はその秀麗な形から奈良の三輪山そっくりで古代から神体山として尊ばれてきました。戦時中には頂上に監視小屋があり、武生市役所にあった本部と電話連絡で敵の飛行機を見つけては報告していました。乙坂山は自然が豊かで、ふもとには何か所もきれいな「しょうず」が湧き出ています。展望も良いので子供の遠足やお年寄りの体力作りにも気軽に利用できるように、コースや史跡を整備していきたいと思います。乙坂山の会」

地域に史跡を守る会があって嬉しく思いました。

つづく

白山平泉寺 福井県勝山市(4)

2018年08月19日 07時01分22秒 | 福井県
そして、いよいよ発掘現場へと向かいました。

南谷坊院の塀と門(復元)

塀は土でできています。下は石垣ががっちりと固めていて頑丈です。門と塀には屋根がついています。門の屋根の下にはきちんと排水溝が施されていました。そして、前の道は石畳となっています。

道の反対側

この道の反対側は坊院群の境界になっています。やはり石垣があり、その上には築地塀や土塀があって、坊院への侵入を防いでいたようです。道には、排水溝が設けられています。

坊院の間取り

坊院は上の図(現地案内図)によれば、東側に門や井戸などがあり、そこに水路が通っていたようです。北側が建物になっていたようです。西側にも建物があった感じです。また、周囲は土塀で囲まれ、セキュリティは高かったようです。

圧巻は石畳みの道です。美しい。

石畳の道

中世のアスファルトです。「舗装」された道です。こうした道が南谷を網羅していたと思うとすごい街だと思いました。

また、築地塀や土塀を支える石垣には矢穴を使った石もあるようです。さすが、戦国時代、築城技術がここにも生かされていました。

石垣に見られる矢穴

終わり

白山平泉寺 福井県勝山市(3)

2018年08月18日 08時05分53秒 | 福井県
東尋坊跡を過ぎると「一の鳥居」が見えてきます。

一の鳥居

「一の鳥居」をくぐり、さらに進んでいきますと右側に「御手洗の池」が見えてきます。

御手洗の池

御手洗(みたらし)池の話
御手洗の池は、泰澄大師(白山平泉寺を開いたとされる人)が、養老元年(717)白山に登る途中に見つけたされる泉です。この泉の女神が白山に登ってくるようにと泰澄大師にお告げをしたそうです。この泉が平泉寺の基になっているそうです。

御手洗池を後にさらに進んで行きますと「二の鳥居」が見えます。

二の鳥居

二の鳥居からさらに奥は拝殿になります。

拝殿

拝殿の奥に本社があります。

本社

白山平泉寺には社が3つ並んで建っています。それぞれ白山の峰である御前峰、大汝峰、別山に対応しているそうです。本社は御前峰の神をお祀りしています。

この本社に見事な竜の彫刻がありました。

本社の竜の彫刻

続く

白山平泉寺 福井県勝山市(2)

2018年08月14日 05時56分37秒 | 福井県
東尋坊の話
すぐに「東尋坊跡」の石碑がありましたが、今回はパスして先を急ぐことにしました。東尋坊とは、福井県の名勝の一つである東尋坊海岸の名前の由来になった坊さんのことです。

福井県東尋坊の海岸(2004年撮影)

この平泉寺に東尋坊という荒くれの僧兵がおり、みんなが迷惑をしていたらしいです。そこで、福井の岸壁のある海岸での酒宴の時に東尋坊にいっぱい酒を飲ませ、酔って寝てしまったところをみんなでこの東尋坊を海の底へ突き落してしまったそうです。東尋坊が波間に沈むと海は荒れ、雷が落ち、豪雨となって多くの死傷者が出ました。以来、毎年4月5日に行われる白山平泉寺の祭礼の際には必ず暴風が吹いて、雷雨となり、海が荒れて船を出すことができなかったそうです。この東尋坊が落とされた海岸を以来東尋坊を呼んでいるそうです。(勝山市「白山平泉寺よみがえる宗教都市」吉川弘文館より要約)

東尋坊の僧房があったとされる跡地

続く