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愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

今回の特別講師 萩原さちこさん

2019年07月02日 05時33分39秒 | 福井県
さて、今回は第1回ということでしたが、テレビなどでおなじみの萩原さちこさんという方がわざわざ国吉城まで来て、案内をしてくれるというので、楽しみでした。

萩原さちこさん(ブログ「城メグリスト」より)

萩原さちこさんのブログを見つけました。 「城メグリスト」 https://46meg.com/ 
メグリストというのは巡る人というのをしゃれていっているのかなと思います。
そのブログで、自身のプロフィールを以下のように紹介しています。

城郭ライター、編集者。
小学2年生で城に魅せられる。日本人の知恵、文化、伝統、美意識、歴史のすべてが詰まった日本の宝に虜になり、城めぐりがライフワークに。

印刷会社、出版社、制作会社、広告代理店等の勤務を経て独立。
現在はフリーライターとして執筆業を中心に、テレビ・ラジオなどのメディア出演、イベント出演、講演、講座など行う。
(著書省略)
東京都足立区生まれ。青山学院大学卒。
公益財団法人日本城郭協会理事・学術委員会学術委員。
お城の魅力をわかりやすく楽しく伝える、がモットー。

【あいさつ文】
お城をめぐるたび、その奥深さに驚きます。
それだけ魅力たっぷりのものなのだから、 いろんな見方があって、その人なりの楽しみ方があっていいと思うのです。
「難しい」「マニアック」という先入観の壁をなくして、もっとお城を身近な存在にしたい。
今お城に興味がない方も、楽しみ方がわからない方も、気軽に、自由に、お城歩きをして欲しい。
そして、日本の宝である城を後世に残し、地域活性化につなげるお手伝いがしたい。
そんな思いでお仕事をしています。


国吉城10周年イベント 福井県美浜町

2019年07月01日 06時41分01秒 | 福井県
福井県の「若狭国吉城歴史資料館」では、「開館10周年記念講座『みはま郷育プログラム国吉城歴史講座』」というのを企画しています。全部で6回あって、以下のような内容です。

第1回 6月30日(日)「山城を楽しもう!萩原さちこさんと歩く国吉城址」特別講師:城郭ライター 萩原さちこさん
第2回 7月28日(日)「粟屋勝久の主君・若狭武田家の文化と力~本家の正当性~」講師:一乗谷朝倉氏遺跡資料館学芸員 有馬香織さん
第3回 8月25日(日)「粟屋氏の盟友・逸見氏と若狭武田氏」講師:高浜町郷土資料館学芸員 寺下千代美さん
第4回 9月29日(日)「戦国の越前国敦賀・金ヶ崎の退き口を読む」講師:敦賀市立博物館学芸員 坂東佳子さん
第5回 10月中旬 「古里をのろしでつなごうin国吉城」講師:若狭国吉城資料館館長 大野康弘さん 日程は分かり次第発表
第6回 11月17日(日)「立地で楽しむ戦国の城、若狭の城」講師:萩原さちこさん


特に宣伝するつもりではありませんが、参加したい方は、以下に連絡してください。
若狭国吉城歴史資料館
910-1132 福井県三方郡美浜町佐柿25-2 電話0770-32-0050

大野城の竪堀 福井県

2019年05月19日 10時56分03秒 | 福井県
福井から「大野城で竪堀が見つかったから、見に来ないか」というお誘いがありました。お誘いをしていただいた方の話によれば、「天正年間につくられたと言われていた丸岡城が実は寛永年間のものだったということが大きな話題になった。そこで、大野城などももう一度見直してみることが大事だと思う。新しい発見があるかもしれない。そういう目で見てみたところ、大野城の斜面に竪堀があった。」
ということです。

大野城の竪堀 手書きで「竪堀①~⑤」とあるのが竪堀の位置です。現地見学会資料

こうした竪堀は、特に彦根城でも見られ、彦根城では、この竪堀とセットになっている登り石垣が有名です。竪堀の技術は朝鮮出兵の後に見られるそうです。

竪堀① 上から撮影。右側に竪土塁がみられ、堀を掘った土を盛ったものと思われます。

このほかの竪堀も見て回りましたが、時は5月草や木の葉などが茂っていて、確認できませんでした。3月ごろまでが良く見えるということでした。

10人ほどの方が一緒に回っていましたが、途中でいろんな話に花が咲き、「ここは亀山というが、本当は亥(い)山だったのではないか」「亥山には土豪がいたという記録があるが、現在の亥山城では小さすぎる気がする」「亀山という地名が金森長近以前の文献に出てこない」などと盛り上がりました。結論的には、この地は金森長近以前にも山城があったのではないか、亀山ではなく亥山と呼ばれていたのではないかという風になりました。

現地の城の会「小山荘城の会」の皆さんは何度も遺構を足で確認されている方たちですので、話も一つ一つ納得できるものでした。

大野城天守閣

初めて大野城を訪れたときの記録 越前大野城 福井県大野市

愛教労 城の会 6月22日 市場城めぐり

芝築地山城・東乙坂山城(4) 福井県越前町

2018年09月20日 06時08分49秒 | 福井県
芝築地山城から東乙坂山城に尾根伝いに下っていきましたが、3つほどの堀切がありました。その3番目の堀切が大変巨大で立派な堀切でした。

東乙坂山城の堀切 会の方たちが堀底にいますが、とても小さく見えます。

この堀切のすぐ向こう側が東乙坂山城でした。
東乙坂山城は3つの階段状の曲輪からできていました。


東乙坂山城の階段状の3つの曲輪

これも案内の方は、「一向一揆特有のお城だ」と言っていました。

途中雨がぱらつきましたが、標高約300mと手ごろな登山でした。城も見ごたえのある立派なお城でした。

芝築地山城・東乙坂山城 おしまい

芝築地山城・東乙坂山城(3) 福井県越前町

2018年09月19日 06時37分57秒 | 福井県
さて、芝築地山城は楕円形の単郭のお城でした。南北に短く(30mぐらい)、東西に長い(100mぐらい)形です。南側にはしっかりした土塁が築かれ、北側には、途中切れながら低い土塁が築かれていました。

南側土塁

西側と東側にそれぞれ虎口があり、食い違い虎口になっていました。

西側の食い違い虎口


東側の食い違い虎口

この食い違い虎口の存在から、案内された方は、南北朝のお城では食い違い虎口の例がないので、もう少し後の戦国時代頃のお城ではないかと言っていました。誰のお城かということについては、おそらく一向一揆のお城ではないかと想像しておられました。

この芝築地山城は大きなお城でダイナミックでしたが、このお城の東に東乙坂山城があるということでした。

つづく