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フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

モーリス邸は今まで見た中でも一番の豪邸!?

2023-02-21 10:18:25 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

アンリ夫妻がどうしてもニーム泊を阻止するため、迎えに来たのは、この長い一日のメインコースが待っていたからだった。

 

日本でお世話になったからと、夕食に招待してくれると言うアンリ夫妻の友人宅に行かないわけにはいかなかった。アンリの運転で彼らの家に到着して、びっくりした。

サンレミドプロバンスに近いその家は、豪邸そのものであった。(おじいさんから受け継いだ家だとモーリスは言っていた。)

しかもただ大きいだけではなく、近代的な設備が随所に見られ、かなり便利な仕様の家だった。

そこで待っていたのは、その家の夫妻のモーリスとその奥さん(名前は失念)、一緒に来日していたもう一組の夫妻、キャロルとオリビエも待ってくれていた。

モーリスとオリビエ↓

来日したときと印象が違って見えることは時々ある。

来日時↓

左はモーリスの奥さんで、右はオリビエ↑

このモーリス夫妻も日本で見た時よりずっとダンディに見える。オリヴィエとキャロルは日本で会った時からとても温和でが感じがよかった。循環器系の医師だったのだが、コロナ後に辞めたそうだ。ストレスがなくなり、楽になったと笑顔だった。奥さんのキャロルは看護師としてまだ働いているらしい。

右から、キャロル、アニエス、オリビエ↓

アペリティフをいただく前に、前に広がる庭を散策。プールもあって、シンメトリーなフランス式庭園はまるでロスチャイルド邸のようだと、思ったほどである。

奥さんも「夏に来て、今度は泳いでね」と言った。



アペリティフへと誘導され、ゆっくり話が始まった。

とにかく立派なお屋敷に圧倒されてしまい、何を話していたか覚えていないほどである。

テーブルへと、言われて、晩餐が始まった。

南仏風の前菜の中に、苦手なものが一つあった。ブーダンノワールだ。(私がフランス料理で食べられないものの一つである。もう一つはアンドゥイエット)

これを食べて体調が悪くなったことがあるので、どうしようかと思っていたが、「前に食べたものよりずっとおいしく大丈夫」と言われ、一口食べてみた。確かに今回のは違っていたが、やっぱり味見だけにしておく方が安心だったので、これだけは残してしまった。

 

メインはポークだったと思うが大きな塊を切り分けてお皿に取ってくれた。

付け合わせの栗やキノコも季節のもので、とても美味しかった。

デザートはプリンのような大きな、フランと言ったと思う。

クレームキャラメルと呼ばれるプリンより少しあっさりしている。

もちろんチーズも出てきた。

そこでお開きにはならない。

また何か日本のものを見せることになり、茶箱での点前をすることになった。

みんなここでは、シャンパンから始まり、白や赤も飲み、もうかなりまわっていたが、そんな状況でも興味深く見てくれていた。



ストライキの洗礼を受け、ショックで一時はどうなるかと思ったが、長い一日の終わりにはすっかりそのこともわすれてしまう大きなお屋敷での優雅な素敵な夕べだった。



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 ほろ苦い前菜の後にメインコースが待っている。

2023-02-20 08:58:03 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

ニーム駅で待つこと2時間半以上、やっとアンリが到着した。駐車するところをwhatsappで、アンヌクレールに尋ね、駅の人にも確認して伝えていたが、アンリはわからず、離れたところに駐し車、歩いてやってきた。



まずは久しぶりの再会のビズ(挨拶のキス)。2019年春にパリで夕食を食べた以来だった。

奥さんのアニエスは家にいるようで、彼一人。

 

「だから言ったじゃないか。12時台の列車の次は17時までないと。ニームの友だちはなぜ調べてくれなかったのか」と。

ことの顛末を詳しく話すと、「ありえない。ギリギリまで調べもせず、君たちを駅に置き去りにするなんて」ということだから、友だちの行為としてはやはりアンヌクレールの素っ気なさは、フランス人らしくないと言うことだった。



紹介してくれたマルチーヌから、「アンヌクレールは、あなたたちを甘やかしていると想像するわ」と昨日メールが届いていたが、どう考えても甘やかされたとは思えなかった。



1時間余り走っただろうか。ニームまで迎えに来るのも難色を示していたアンリだが、ガソリン代の急騰を受けて、金銭感覚のシビアなフランス人なら、致し方ないところであろう。

しかし、彼らにはどうしても私たちのニームのホテル泊を阻止しなければならない理由があったので、迎えに来たというのが本音だろうと思う。

今夜、私たちを友人宅へ連れて行かなくては、顔がつぶれるということだ。



そんなことが頭をよぎらせたが、家に到着すると、前日クリスチーヌ宅にスーツケースを引き取りに行ってくれたようで、大きなスーツケースやカバンがすでに泊まる部屋に置かれていた。そこで少し荷物を下ろし、テーブルに着いた。

昼ご飯は食べていなかったので、ブリオッシュなど「食べる?」と出してくれたアニエスの申し出を喜んで受けた。

またアンリがニームの友人の話を「ありえないんだよ」とアニエスに話している。

 

正直、気疲れもあり、これから出かけるのは勘弁してほしかったが、そうもいかない。彼らの友人というのは、2019年の秋、ラグビーワールドカップの観戦のため、日本を訪れた際我が家にやってきた2組の夫妻で、豪邸に住んでいるというそのうちの1組の夫妻の家を訪問することになっていたからだ。

 

長く感じられる1日はまだ終わらない。

料理に例えると、これからがメインコースの始まりだったのだ。ほろ苦い前菜のあとに。

 

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ニーム駅に置き去りにされた私を救いに来たアンリ!?

2023-02-19 09:42:30 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

ああ、なぜ昨日もっと確実な方法で、確認しなかったのか。

なぜ安易に「間引き運転」を信じてしまったのか。

慎重になるべきだったと、後悔している時間はなかった。

 

12時42分(たぶん)のあと、17時台まで列車はなかった。

まずアンリに連絡をした。「迎えに来てもらえないか?もし無理なら、今日はアヴィニョンには行けない。ニームでホテルを探し、一泊する」と。

奥さんのアニエスと相談していたが、困っている様子だった。

なぜかと言うと、彼らは今夕、私たちと一緒に彼らの友人宅での夕食の手はずを整えていたからだ。それはわかっていたが、私たちも途方に暮れていたし、何より17時台に列車が動いてもそれに乗って出かけるだけの気力もなえてしまっていた。

 

すると、アンリは「もう少し待っていて。お昼ご飯を食べたら行くから」と返事が来た。

2時間くらい待たなくてはならなかったが、仕方がない。

 

アンヌクレールにも連絡をした。「乗れなかった」と。

彼女は、あっさりと、「じゃあ、駅の周辺を散策すれば。闘技場も近くだし」と言ってきたが、私たちはお昼を食べ損ねていたし、小さいとはいえキャリーを引きずりながら散策などする気もなく、ただ駅でアンリが迎えに来てくれるのを待つことになる。

 

お腹だけでも何とかしたいと思ったが、ニームの駅の中には簡単なカフェしかなく、裏側に回ってみたが、気分転換できると思える店もなかったので、結局駅のベンチでじっと待つしかなかった。

この旅もここまでは順調にきていたが、ここでストという壁にぶつかってしまった。数年前大変なストライキを乗り越えてきた私にとって、今回はフランス名物のストライキ(ストはフランス人の趣味というアメリカ人もいた)の厳しい洗礼を受けたのだった。

 

待っている間、色々なことが頭をよぎった。今までストや困難にあっても多くの友人に助けてもらってきた。

 

それだけに甘い考えかもしれないが、アンヌクレールのそっけなさは、私たちが一段と気落ちする要因になってしまった。これが本当のフランス人なのかもしれない。いや、この時はまだ、彼女のような人は例外だと思っていた。

 

そう言えば、ニームと言えば、先生のローランスはよかったけれど、ニームのマダムには、あまりいい思い出がなかったことも思い出される。ニームは私にとって苦い場所になりそうなくらいだ。



アルルのクリスチャンも、アヴィニョンのクリスチーヌも今日は仕事であろう、もちろん迎えに行くと言葉もなく、「元気を出して」というメッセージだった。

この「元気を出して」(Bon courage)という言葉をまた聞くことになるとは、この時は想像だにしなかった。



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ニームからアヴィニョンへの列車に乗り遅れてしまった!!

2023-02-17 10:09:24 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

ニームで一泊し、朝食を済ませた。この時はまだ想像もしない長い一日が始まるのだった。



まず、彼女は、散歩に行こうと言った。そして、近所に住む友人宅を訪ねようと言った。なぜならその友人の息子は日本人と結婚して日本に住んでいるからだった。

歩いて行けると言うので、喜んで行かせてもらうことにした。

 

大きな門扉のあるその家に到着した。

敷地も広い立派な家は、修理工事の人が朝から来ていた。

日本から来たと言うと、温かく迎えてくれたそのマダムは、息子が庭師として京都で働いていること、そしてなんと、住んでいるところは奈良ということで、その奇遇なことに驚いてもいた。結婚式の写真を見せてもらうと、私たちもよく知っている結婚式場や神社で、不思議な縁を感じた。

 

息子さん夫妻の住所も教えてもらった。まだ連絡はしていないが、またそのうちにと思っている。

 

名残を惜しみながら、またアンヌクレールの家に戻った。

この辺り(少し南のセート)の有名なパイらしい↓(イカが入っていたようだ)

彼女は、「今日はランチのレッスンよ」と朝から張り切っていたが、気になるメッセージがアンリから届いていた。私たちが乗る予定の列車時刻(13時台出発)を連絡していたのだが、「その電車はなく、その前だと12時台のようだよ」と。アンヌクレールに確認すると「大丈夫よ」という。

でも段々心配になってきた。

私もスマホで見てみたが、詳しい情報が得られなかった。でも何となく、乗る予定の列車どころか、アンリが言っている12時台の運行予定の列車のあとは夕方までなさそうな感じに思えた。

 

こんな時、帰りの列車の予約をしていたら、必ず運行状況の知らせが入るのだが、あいにく帰りの予約はしていなかったので、さっぱりわからなかった。

 

そんなことも気にせず料理を続けていたアンヌクレールは、「さあ、テーブルへ」と誘導した。電車のことが気になりドキドキしながら一口口に運んだところで、もし「この電車がなかったら、またここに戻ってくることになるわ。」と言ってみた。

すると、パソコンの方へ走って行った彼女は、突然、「さあ、早く支度をして。今すぐ出発してもギリギリよ」というではないか。この時、列車の出発時刻まで20分あるかないかだった。



えー!!間に合うの?チケットも買う必要があるのに。と思ったけど、従うしかない。

テーブルをそのままにして、大急ぎで荷物を取り、車に乗り込んだ。

こんな時、「ニームの闘技場よ」とそばを通った時言われても、「ああ、まだ確かに闘技場を今回は見ていなかった」と思っただけでこちらも余裕もない。

そして、駅に到着したのは3分くらい前だった。彼女が同行してくれるのかと思いきや、「さあ、早く行って」

えー!!最近SNCFのチケットを駅の機械で買ったことがない。しかも万一買って乗れなかったらどうなるのか、と思うと、買っていいかどうか迷ってしまい、切符の販売機の前で立ち尽くしてしまった。もちろん窓口は長蛇の列で、機械での購入しか選択はなかった。

 

しばらくして車を駐車場に停めた彼女がやってくるのが見えた。「切符買った?」「いや、わからなくて」と言ったら、「何やってるの、こんな時は切符なしでも乗ればいいのよ」と言われ、慌ててホームに駆け上がったが、無情にも私の目前でドアが閉まり、列車は出て行ってしまった。

これに近い光景が思い出される。ラパンアジルのピアニストだったアンリ・モルガンさんとボルドーへ行くため、パリのモンパルナス駅で待ち合わせたときの事、渋滞で遅れてしまい、列車は見えていたが、出発の3分前にゲートが閉まるため、乗れなかった苦い経験がある。

 

また私の時間の思い込みのミスで、バスクからパリに戻るとき、列車が出ていくのが見えたが、後で、その列車こそ、私たちが乗る列車だったことがわかったこともあった。

 

どちらも後続の列車に変更し、金銭的な問題以外は大きなことにはならなかった。

 

もっと早く切符なしで乗ればいいと言ってくれていたら・・・と、どれほど思ってみても、どうすることもできないことだった。

 

しばらくどうすればいいか、ホームのベンチで心を鎮めるしかなかった。



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ここにも日本文化に興味があるアンヌクレーヌの友人がやってきた。

2023-02-14 09:19:06 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

 

お腹もやっと膨れて、午後の予定は、「ユゼスに行く?それともSommiere(ソミエール)に行く?」と言われ、ユゼスは2005年、やはりニームに来た時、別のニームのマダムに連れて行ってもらったので、未訪の「ソミエールに」と答えた。

 

写真で見ると南仏名物?プラタナスの並木があったり、私の好きな小さな村なのだが、散策すると、すこしひっそりして、寂れた感がしないでもなかった。

シーズンによって違うのかもしれないが、あまり惹かれるものがなかった。

ユゼスを再訪したほうがよかったかもしれないと思った。

これは行ってみたいとわからないので、決めるのは難しいが、まあ、こんなこともある。

 

帰りはスーパーに寄った。スーパーを見るのは楽しい。

彼女は何か商品が落ちたとき、私たちの手前か、「私のせいじゃないよ」とお店の人に持って行った。

そう言うことが気になるんだなと、ちょっと意外な気がした。

 

帰宅後は、「クロッカンづくりのレッスンよ」と張り切っていた。

手書きのレシピがぎっしりの厚いノートを開き、早速取り掛かる。元教師だけに、教えることが好きなようで、どんどん指示を出す。

ただ、この人は、結構おおざっぱなので、お菓子作りもバッサバッサと、材料を入れ、成型も不揃いでもお構いなしだ。

生地が緩いように感じたが、それでも出来上がったものは素朴な味がして美味しかった。

 

今夜は友人を招待しているらしい。

その友人も日本文化に興味があり、長く生け花を続けているということだった。

そこで、アンヌクレールは、夫にも庭のもので生けてほしいとお願いがあった。

が、彼女は独創的なので、自己流が一番いいと思っている節があった。

日本の生け花の説明をしても、あまり興味がないようだった。

 

そして、夜になり、その友人がやってきた。名前は失念したが、誰かと一緒の名前だったことは覚えている。もしかして、もう一人のマルチーヌ?だったかもしれない。

静かに話す友人で、アンヌクレールとは正反対だった。

生け花の写真を見せてくれたりした。

夕食はアンヌクレールが手早く作った割には、美味しかった。もちろんアペリティフから、デザートのフロマージュブランまで完食した。

実はこの日、リヨンに住む日仏カップルから電話があり、アルルに会いに来る調整についてだったが、「明日はナショナルストライキで、大きな規模だから気をつけて」とも言った。

「電車がうごかないことはたぶんないけど、間引き運転すると思う」とのことだった。

私はニームーアヴィニョン間は本数が多いので、「間引き運転なら何とかなる」と思い、あまり心配もせず、床に就いた。(ヤモリのほうがずっと心配だった)

 

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