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フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

アンヌクレールの家は自然との共生を目指していた。

2023-02-13 09:02:14 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

 

ニームの半日観光を終えて、アンヌクレールの家に車で15分くらいで、到着。

ペットボトルを加工したものが、入口のアーチのようにぶら下がっていた。

 

家は平屋で、こじんまりした家だが、庭は広い。庭に居室のような物があると、来日したとき聞いていたが、説明からは想像できなかった。

できないはずである。この家はエコハウスというのがふさわしいような、エコにこだわっている家だった。

節約家とも言えるが、庭の居室で、アンヌクレールを紹介しくれたマルチーヌが泊まったと聞いて、部屋にはトイレがなかったので、夜、トイレはどうしたのか疑問をぶつけてみた。彼女が「ここにあるのよ」と見せてくれた。庭の居室の隣に小さな建物があり、その中にトイレがあった。しかし、これは、水を使わないトイレだった。想像できるだろうか?

つまり使用後は、おがくずのようなものを撒くのである。

とても私には無理だと思った。

でもアンヌクレールは、私のおどろいている様子に「資源のことを考えたら理想的よ」と言い切った。

 

そんなことに驚きながら、彼女の生活スタイルを観察してみることにした。

彼女は手早くランチの支度をした。オムレツだった。2005年ニームに来た時もレストランのランチはオムレツだった(目玉焼き3個の)。ニームのランチはオムレツに縁があるようだ。(そう言えば、前日のエクスアンプロヴァンスでもオムレツを食べていた)

自然との共生とあって、庭でのランチは、虫もやってくる。この時期でも気温が高いので、蚊もやってくる。スプレーをふってくれた。

 

フランス人は自然が好きな人も多く、バカンスにキャンプに行く人も多い。毎年コルシカ島でテントを張るフランソワーズ夫妻から、ずっと「コルシカ島へ一緒に」と誘われているが、尻込みするのは、私がテントで眠れないこともあり、キャンプが苦手だからだ。

 

このニームでの一泊は、かなりその体験に近いものとなった。

夜には、やもりも部屋に入ってきた!!「大丈夫よ。悪い動物じゃないよ」と言われたが、わかっていても、布団の中に入ってきたらと考えると、怖くて眠れなくなるのだ。

 

私はフランスで生活するには、このようなことから無理だと改めて感じたのであった。



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ニーム市内の観光は古代遺跡からヘミングウエイも泊まったホテルまで。

2023-02-11 09:15:59 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

 

ニームは2005年、観光に訪れているが、世界遺産のポンデュガール(水道橋)がメインだったため、市内の観光はあまり覚えていない。

確か、円形闘技場の近くで、語学学校の先生だったローランスとランチをした。彼女が観光案内役を買って出てくれ、数々の世界遺産訪問の中でも、かなり充実した一日で、先生の人柄とともに今も大切な思い出の一つである。



今回はその時は行かなかった公園の散策から始まった。さすがにこの辺りはローマ時代の遺跡がゴロゴロしているような感じで、公園にも遺跡の一部があったりする。

その後街歩きをした。こじんまりした町だが、中々感じがいい。名物のお菓子だと言うクロッカンのお店もあった。アンヌクレールは、「食べたことがないの?じゃあ、帰ったら作りましょう。お菓子のレッスンよ」と言った。正直言うと一時半を過ぎていて、おなかが空いている時間でお昼も食べていないので、何か食べたいと思ったが、彼女はそんな気はなさそうだった。

市場は残念ながら休みのところが多かったが、かなり大きなマルシェだ。そこで彼女の教え子に出会った。そう、彼女は学校の先生だったらしい。その人は「よくしゃべるでしょ?」と言っていた。アンヌクレールはおしゃべりおばさんとして知人の中では有名なようだ。


それから大学へも連れて行ってくれ、学生の様子も垣間見れた。ちらっとみると日本のようにお弁当箱に入ったお弁当を食べている学生もいた。

「弁当(箱)」ブームというのは本当だった。



ヘミングウェイが滞在したと言う高級ホテルにも、気後れすることなく、入っていき、歴史的なものを見せようとしてくれた。彼女は退職後こうして外国人観光客の案内もしていたらしく、慣れたものである。

最後にメゾンカレに行った。ニームの有名な観光場所だ。

もうニームは半日足らずで堪能した。

そこでやっと彼女の家へ向かうことになった。

 

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アヴィニョンからニームへ在来線で移動。奈良を案内した縁が繋がっていた。

2023-02-10 09:57:49 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

 

アヴィニョン中央駅(つまり在来線の駅)のすぐそばのイザベル夫妻の家は、鉄道での移動に本当に便利だ。



アヴィニョンからニームへ向かった。在来線でも30分くらいで到着できる。

後で問題になってくるのは、行きのチケットは渡仏直前にインターネットで予約したが、

帰りの切符は買わなかったことである。

ニームで一泊した翌日、アヴィニョンに何時に帰るか決まっていなかったこと、近距離なので駅で当日買うのと値段も差がなかったことから、あえて行きの切符のみネットで購入したのだった。

そのあと泊まる予定のアヴィニョン郊外のアンリ夫妻がアヴィニョン駅まで迎えに来てくれることになっていた。目安は14時ごろと伝えていた。

 

ニームで待っているのはマルチーヌの紹介の友人のアンヌクレールだ。ご主人の夢だった日本旅行を実現され、奈良訪問の際,夫妻を案内したのは、2018年の春だった。

しかし、ご主人は残念ながら2020年の終わりにガンで旅立ってしまわれた。ご主人との再会は果たせなかった。

ご主人が亡くなった直後から、日本旅行とご主人のブルーノの思い出が重なるためか、奥さんからのメールが届くようになった。

 

私たちの訪問を楽しみに待ってくれていた一人である。

でも申し訳ないけれど実は彼女について、ほとんど覚えていなかったのだ。

 

ニームの駅で会った時、背の高いスリムでマニッシュな女性が手を挙げた。

「ああ、こんな人だったんだ」と思うが、まだ記憶がおぼろげだった。

 

とにかく彼女は早口で、まくしたてるように話すのに、軽い衝撃を受けた。

たぶん奈良に来ていた時も そうだったのだろうが、ご主人が反対にゆっくり話すことで緩和されて?そこまでの印象は残らなかったのだろう。

 

まず、ニームの街中の観光から始めることになった。

 

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アヴィニョンのジル・イザベル宅での一泊

2023-02-09 08:06:49 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

 

ジルとの散策を終えてイザベルとその友人夫妻が待つ家に戻った。

そこへクリスチーヌからの着信だった。なんと彼女はもともとイザベルの職場の同僚だったのだが、電話番号を知らなかったようで、住所だけを頼りにスーツケースを取りに来てくれたらしい。もちろんコードがないと入れないのだが、幸い名前が書いてあった。しかし苗字がわからず、ひとつ(たぶん8つくらいある名前のボタン)押してみたところ奇跡的にイザベルが出たということだった。

ここからが、大変だったのは容易に想像できた。

クリスチーヌは一人で、大きなスーツケースと大きな手提げバッグをおろし、また彼女の家のエレベーターのない3階の部屋まで運んでくれたと言うから、本当に申し訳ないことだった。

 

それでもクリスチーヌは「大丈夫よ、気にしないで」と言ってくれた。今回の旅行での恩人の一人だ。

 

さて、イザベル夫妻宅で夕食はアペリティフから始まった。

彼らの友人夫妻の名前は失念してしまったが、ご主人は料理人だったという。

テーブルに移り、メインのブランケットドヴォー(仔牛のクリーム煮)は、彼の手によるものだった。何しろ元プロの料理人なのだからおいしくないはずがない。

 

 

イザベル夫妻も日本の思い出が直接私たちと結びつくので、日本で買った包丁を見せてくれたり、もちろんアルバムも見せてくれ、思い出話が尽きない夕べになった。



ジルは、コロナ直前、精神科医を辞めたということで、今はストレスのない生活を送れると、表情もずいぶん明るくなっていた。来日していた時はバカンス中なので、余裕のあるフランス人が、フランスで会うと、仕事の合間だったりするので、現役の人は、日本で会った時と少し違う感じがすることも何度か経験している。

翌朝、とても興味深く話を聞いてくれるジルが日本の文化についていろいろ尋ねてきた。

そこで、短い時間だったが、茶箱でお点前を披露することにした。

友人夫妻も含め、とても熱心に耳を傾け、目を凝らしてみてくれた。中でもジルは本当に引き付けられるような様子で見てくれていたのだった。

今回の旅行の間でお点前をした中では、一番興味を持ってくれたのではないかと思う。

ニームへ出発前の短い時間だったので、お点前をするか迷うところだったが、やってみて本当によかった。

ある種、賭けのようなところがあるのだ。何を見せるか、話すか。



そうこうしている間に私たちは、一足先に出発する時間になった。彼らは車でバカンスに行くのに準備をしていたが、それは手際が良かった。慣れているのであろう。冷蔵庫の中も保存のきかないものはないようにしていた。そんなところを垣間見られたのは貴重なことだった。

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12年ぶりのアヴィニョンの町は清潔になっていた。

2023-02-07 08:49:22 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

ジルが迎えてくれ、重いスーツケースを3階の部屋までもって上がってくれた。

まず荷物を置いて、上まで上がると奥さんのイザベルと、彼らの友人夫妻が談笑していた。

この4人で明日の朝旅行に行くらしい。その前日の夕刻に到着したのだった。

日本人なら、きっと旅行の前日だと言うことで、私たちを泊めることはないと思う。しかし、フランス人は違うのだ。

それでも会いたいと言ってくれ、「よかったら泊まってくれてもいい」とまで言ってくれた。

私たちも翌日はニームに向かうため、駅の近くの彼らの家に滞在できることはとてもありがたいことだった。

 

しかし、ここで大きな問題がまた一つ。それはやっぱりこの大きなスーツケースだ。

本来はアヴィニョン郊外のアンリ夫妻のところにニームのあとに泊まるので、そこに預けたかった。でもマルセイユのヴィルジニ夫妻には通り道だとわかっていても、さすがに頼めなかった。

 

そこでアンリに連絡をした。スーツケースを取りに来てもらえないかと。

答えは、「今日は無理」だった。

こうなったら、アヴィニョンに住むクリスチーヌに頼むしかない。

彼女は「OK」と言ってくれた。(彼女は2010年以降に離婚し、今はシングル、その間ボラボラなどの勤務を経て、アヴィニョン内で別の家に一人住まい)

が、待っていてもなかなか来なかったのと、ジルが「少しだけでもアヴィニョンの町を歩かないか」と誘ってくれたこともあり、クリスチーヌにメッセージを送り、出かけてしまったのだ。

 

フランスでSIMの購入ができていないので、WIFI環境のないところで、私の携帯の電源を入れるわけにはいかなかった。

また住所は教えていたものの、家のコードとイザベルの電話番号を教えておらず、大変だったとあとで聞くことになる。(もともとクリスチーヌがイザベルを紹介してくれていたのだが、電話番号はこの時は知らなかったようだ)

 

そんなことも知らずに携帯を気にしながら、街歩きを始めた。

ジルは親切にいろいろ案内してくれた。

これは2003年10日間だけ通った語学学校、今は閉校になったとか↓

2010年に来た時と大きく違うと感じたのは、町の美しさだった。正直に言うと、「お世辞にもきれいな街とは言えない」という印象を2003年、2005年、2007年に来た時から持っていた。

それが、ニースよりずっときれいだと思った。犬の落し物がほとんどなくなった点においてだ。美しい建物より私にとっては清潔さが重要なのだ。今思い出してもベルギーに近いヴァランシエンヌもその点において、歩くのに気をつけないといけない町だったことが思い出される。

 

そんなことを感じながら清潔になったアヴィニョンを散策した。きれいになったのはもう一つの理由として、城壁の中には居住者以外の車は進入できなくなったことも大きいかもしれない。

よそからくる人には駐車場を探すのが大変らしい。

 

そして、家に戻ってきた。

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