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フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

留守宅に夜訪ねてきた隣人の真意はいかに?

2023-04-15 13:19:53 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

 

抗原テストで陽性になった翌日は、ほぼ一日中、留守宅を出ることなく過ごしていたので、この日はもちろん写真もなしという珍しい日になった。

ただフランソワーズからはPCR検査を予約の確認などの電話があったり、リヨンの日仏夫妻から「いつ帰国するんだっけ?」と連絡が来たので、予定通り帰国できない可能性があることを伝えなければならず、メールのやり取りをしていた。

 

この日、夕方隣人がベルを押した。出てみると、マリーアンジュに頼まれて買った魚を冷蔵庫の中に入れておいてほしいと言うことだった。

何となく不思議なできごとで、よく考えると、電話で体調を伝えていたが、信用できないと思った?フランソワーズあたりが、私たちの様子を見に行くように隣人に頼んだようにも思えないこともない。

マスクをつけて現れた隣人は、距離を取るようにそっと魚を渡し、ドアを閉めて帰って行った。

フランソワーズは、特に神経質なところがある。2019年12月、大規模ストライキの中、フランス行きを決めた私たちに、出発当日の朝6時前に電話をかけて来て確認したことも思い出される。

 

また2020年の3-4月に彼らは九州旅行に私たちを誘い、旅程を立て、宿や列車、レンタカーの予約もすべて済んでいた。

この旅行は、最終的にはキャンセルにしたが、フランスではコロナの兆候はまだまったくなく、日本では2月ころから少し騒がれ出した程度だった。その時から早くも「行けるか?キャンセルしたほうがいいのでは?」と早々に心配を始めた。神経質というよりは、怖がり?と言う方が正しいかもしれない。とにかく、不測の事態に慌てる人であると言えよう。 

 

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抗原検査が陽性!?

2023-04-14 08:47:15 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

今日、明日は特に予定がなかった。(帰国前に無理をしないようにと元々予定を入れていなかった)

朝ごはんに、アンジェルにお土産としていただいたトリュフ入りのリゾット↓

しかし、まず、午前中に図書館宅へ行き、荷物を引き取らなければならなかった。延長して置かせてもらえればいいのだが、だめだった場合は?

今借りている留守宅はエレベーターなしの6階なので、さてどうしたものか。

昨日ランチに行った絵描きのママのイザベルに聞いてみることにした。

すると彼女は、荷物を預かることを快諾してくれた。

 

図書館夫妻のところへ行き、一応スーツケースだけでもあと2日間置かせてもらえないか聞いてみたが、もう明日にはシノンへ出発すると言うので、無理だった。

奥さんはご主人に「車で送ってあげたらどうか」と言ってくれていたが、ここパリでも駐車が最近難しくなっているとかで、難色を示したご主人を見て、タクシーの手配をお願いした。

 

大きなスーツケース(大・中)を引き取り、タクシーが到着するまでご主人は待っていてくれ、イザベルの家へ向かった。

そして、マスク着用のうえでイザベルの家に置かせてもらい、少しだけお茶をいただいて、お暇した。

そして、メトロで戻った。

 

すると 明日ランチをしようと言っていたフランソワーズ夫妻から、連絡が入った。

 

この朝くらいから連れ合いの具合もよくないこともあり、「あまり体調がよくないから、明日はゆっくりしたい」というと、すぐさま「どうしたんだ?」と聞いてきた。

事情を説明すると、「すぐにコロナの検査をしたほうがいい」といわれた。

が、この数日後の帰国に備えてPCR検査をする予定だったので、何度も検査をするのは避けたかった。

それにまだこの時点では、ただの風邪のような気がしていた。味覚も嗅覚もあったし、熱や咳はまったくなく、のどの痛みも治まっていたし、少しだるさを感じてはいたが、正直に言うと、2019年の春の寒気+のどの痛みや熱っぽいだるさなどの体調不良のほうがずっとつらかった。

薬をあまり飲まない、特に鎮痛剤は飲まない私が、何度か飲んだし、蕁麻疹の薬も2回飲んで、葛根湯も1日一回ここ数日飲んでいたので、薬のせいかと思い、もうこの日からやめることにしたくらいだ。

 

だが、フランソワーズは容赦がなかった。「じゃあ、とにかく、薬局で売っているオートテストをするべきだ」といった。

そして「もし陽性だったら、あなたたちはもう娘の留守宅を借りることはできないよ。少なくともこの2日後に娘家族は帰ってくるのだし」と。

 

本来ならこの日から、マリーエメ宅で3泊する予定だった。

しかし、マリーエメに昨日この状況を話すと、「私は手術を控えていて、マイコプラズマ肺炎(あくまでも図書館夫妻はコロナではないと言っていたため、マイコプラズマの話をしていた)はローラン(意志である彼女の夫)は伝染性だというし、とてもうちには来てもらえない」とマリーエメにも言われた。

 

マリーアンジュのご主人は、ここを借りることになった時、「ずっといてもいいよ。図書館夫妻の所に泊まるより安心だと思う」と言ってくれていたのだが、こうなった以上、確かにこのままではいられない。取り急ぎオートテストはしなければいけない。

 

そう思い、近くの薬局までキットを買いに行った。

すると検査結果は、陽性だった。 信じられなかった。まさか。と。

何かの間違いではないかと思った。それくらい、軽症と言えば軽症、というか、コロナの典型的な症状とは思えなかったのだ。

フランソワーズにそれを伝えた。

しかし、ここからフランソワーズは、やいやい言ってくることになる。

 

まずマリーアンジュに連絡をしたようで、今まではご主人のマニュエルと連絡していたのが、マリーアンジュからの連絡になった。

「明後日の夜に帰るので、昼過ぎまではいてくれていい。でも陽性なら、一緒に入られない。もし希望なら、近所のホテルの予約もするから」と。

 

もちろん言われなくてもそうするつもりだった。



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絵描きのママのイザベル宅で、絵描きのフランソワ達とのランチ

2023-04-12 09:12:43 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

今日は、ブリジットさんにお土産でもらったリヨンのパン(プラリネルージュという赤いプラリネ入りのブリオッシュ)を朝ごはんに食べる。

 

そして、フランスではお墓参りの日で、留守宅の近くのペールラシェーズには、たくさんの有名人も多く眠っており、多くの人が花を手向けにやってくるらしい。

ブリジットさんが、「きれいな花に囲まれたお墓は一見の価値アリ」と勧めてくれていたので、行きたかった。

 

が、この時、私は蕁麻疹と頭痛は収まっていたが、無理が続いていたことで、まだ体調があまりよくなく、家で休むことにした。連れ合いは散歩がてらペールラシェーズへ出かけて行った。



この日も絵描きのママのイザベルと、絵描きのフランソワたちとのランチの予定が待っていた。

完全に私の確認ミスで、待ち合わせの時間を30分間違えており、しかもまたバスで行こうとして、大幅な遅刻になってしまった上に、携帯がWi-Fi環境下でしか作動しないので、かなり心配をさせてしまっていた。

それでも絵描きのママのイザベルと、絵描きのフランソワとその彼女は、待ってくれていた。

イザベルは料理はしないのか、フランソワの手料理だった。

まずアペリティフ↓

そしてテーブルへ↓

ここでも美味しく料理をいただき、本来なら散歩をするところであったが、遅刻したのでその時間は無くなり、フランソワと彼女のお見送りを受けて、メトロ駅でお別れした。

このイザベルのアパルトマンは、三ヵ月滞在(2021年春予定が幻に終わった)の時、3週間貸してもらえることになっていたので、立地も申し分ないアパルトマンの滞在が幻に終わったのは、一番残念なことだったと、今回の訪問で思いを新たにした。

この3人はすでにこの時、翌年(つまり2023年)の5月に来日を予定しており、その計画について色々聞かせてもらうことができた。北海道からスタートするようである。

残念ながらイザベルは北海道と東京だけなので会えないが、そして若い二人はその後関西にも足を伸ばしてくれるので、会えるのを楽しみにしている。



夜は、軽く済ませておくため、近くのスーパーでスープを、そして朝のためのパンをかってきた。

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図書館夫妻ダウン、そしてアンジェルと夕食

2023-04-10 10:16:20 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

そして、図書館夫妻の家に荷物を少し入れ換えに戻った。が、私達の心はすでにマリーアンジュの留守宅を借り続けようと決まっていた。

 

そこで目にしたのが、図書館夫妻のマスク姿だった。

ムッシュはこの日の前日熱があり、1日中臥せっていたという。奥さんの咳もよくなっていない。それでもコロナではないと言うのだ。

 

マリーアンジュの留守宅を借りているので、明日も留守宅で泊まれる(本来は図書館宅で一泊する予定だった)ことを話すと、「そうしてもらえるのであれば、ありがたい」と二人は言った。




そして、私たちは、またマリーアンジュの留守宅へ戻った。今度は痒みがお腹に来ていたので、また蕁麻疹の薬を飲んだ。これも2019年の時は一回飲んですぐに効き、その後はなんともなかったのに今回は違った。



そして今夜の約束、アンジェルとの夕食の店へ向かった。

 

メトロで向かったが、場所を迷ってしまったのと、雨が降り出したこともあり、かなり遅れてしまった。

もう二人はすでに到着して、店で心配そうに待ってくれていた。

機内で出会った日本人女性のご主人が経営している居酒屋である。

久しぶりの日本食、またご主人もすごくいい人で、他で働いている奥さんも顔を出してくれた。アンジェルたちも喜んでくれた。

 

またメトロのアールズメチエ駅まで、同行してくれた。

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コロナのロックダウン中に建てたと言う「茶室と称する小屋」

2023-04-08 08:25:28 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

 

目が覚めるとなんと10時だった!!

今から考えると相当疲れていたのだと思う。

途中また痒みで目が覚め、蕁麻疹の薬を飲んだせいもあるだろう。

今度は痒みが広がり、足に来ていたので、2019年のクリスマスの時の蕁麻疹を思い出し、早めに薬を飲むことにしたのだ。

持ってきた薬がここにきてフル回転だ。

 

パトリックは朝から用を済ませ、一緒に骨董市に行こうと言ってくれていたのに、骨董市にはもういけなかった。

遅い朝食を取った後、散歩に出かけることになった。ルイ14世が「避暑地」に使っていたというところだそうで、広大な公園になっていた。(マルリー庭園)革命のせいかもう建物はなく、大きな池が残っていた。このあたりに第一夫人以下のずっと奥さん方の建物が並んでいたのだよというような説明を受け、その権力大きさ改めてびっくりした。

この日もまだ少し寒かった。散策中にまた片頭痛がしてきた。

今までなら、痛み止めを一回飲むと治まったのに、と思いながら、再び痛み止めを飲んだ。

 

そして、昼ごはんもパトリックが今度はマルシェで買った牛肉がメインだった。付け合わせのキノコも今が旬のものらしい。

 

 

体調が思わしくない中でも、彼の料理はどれも本当に美味しくいただけた。



食事のあとは、彼がコロナのロックダウン中に建てたと言う「茶室と称する小屋」で、お茶をすることにした。

外はやはり寒かったが、ここまでいろいろお世話になり、しないと言う選択は考えられなかった。

なんとか、彼らを喜ばせた後、息子のアルチュールにも会うことができ、パリへ戻るため、駅まで送ってもらった。

これはロックダウン中に夢に現れたものを手作りし、作品展をしたときのカタログ。日本でも実現させてくれるところはないかと、笑っていた。↓



 

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