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フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

エリックもパトリックも家に来ていいよと言ってくれた。

2023-04-24 09:18:01 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

 

キッチン付きのホテルでの、1日目は移動と今後の可能性について調べたり友人と連絡を取ることと夕食の買い出しで終わった。

翌2日目は、大使館に月曜日に確認のため、電話をしたところ、フランスの日本大使館は月曜日の朝に時間通りにかけても、「就業時間外」というアナウンスが流れ、大使館もフランス流なのだと驚いた。

 

大使館には帰国便のチケットのコピーをメールで送らなければならない。しかし、水曜、金曜、日曜しかANA便はない。今日が月曜日。

メールを送って領事レターを受け取るのにどのくらいの日数がかかるのか、見当がつかない。送ったらすぐに見てくれるのだろうか。

電話をかけても営業時間通りに電話に出ないことからして、数日かかることも考慮に入れておく必要があった。水曜・金曜はまず無理だろう。日曜日の便とて、確実ではない。

するとやはり翌週の水曜(つまり当初より10日遅れ)が最短であろう。

この時点では領事レターを書いてもらう方法を取るのが一番だと思ったが、そのために何日の帰国便を予約するかが、問題だった。

リヨンの友人に電話で予約を入れてもらうので、確実な日時での予約が必須だった。

またANAはこの時、週に3便(水・金・日)しか飛んでいなかったので、PCRテストをそれに合わせてすることを考えなければならない。

 

しかもその申請には帰国便のチケットが必要なので、リヨンのブリジットさんのご主人は「確実な状態で予約を入れたほうがいい。」と言ってきた。

それはそうである。万一予約したものの領事レターの届くのが遅れると、予約便のキャンセル・予約をもう一度してもらうことになる。

しかも彼には、時差の関係でフランス時間の真夜中の0時を過ぎて日本に電話してもらうことになるので迷惑は最小限にしないといけない。

 

これらから、私たちは帰国は当初予定より10日後、最悪14日後かもしれないと、腹を決めた。

 

この日はコロナの陽性のため、帰国便に乗れなかったことを、エリック、サンジェンマンアンレーのパトリックたちに知らせた。

エリックはすぐに「うちに来てもいいよ。困った事があれば何でも言って」と言ってくれた。エリックの変わらぬ温かさをが心にしみるようだった。

 

またサンジェルマンアンレーのパトリックについては何といっても一泊させてもらった時、彼らの寝室を使わせてもらっていたので、「(コロナを)うつしていないか心配だ。」と送った。

彼と彼の息子は前々日(土曜日)から風邪のような症状で、PCR検査を受けて、この日陽性だったとわかったと言ってきた。私がうつしたのは明らかだった。しかしまったく責めることなく、「シルヴィ(奥さん)はなんともないんだよ。9月にかかったから(奥さんだけかかったらしい)免疫があったんだろう」と。

そして「何かできることがあれば言ってほしい。大丈夫か」とまで言ってくれた。

 

エリックとパトリックには「今は保険でカバーできるキッチン付きのホテルにいるので大丈夫」と返事をした。

 

もちろん図書館夫妻にも知らせた。が、おそらく自分たちがうつしたとわかってはいただろうが、「早く回復してくれることを祈っている」にとどまった。

 

この日は連れ合いがゆっくり休みたいとのことで、ほぼ全快していた私が朝のパンを買いに行ったり、夕方も散歩を兼ねてマルチーヌの家のほうの薬局まで行った。

アンリが東洋系の磁気治療?のような資格を取っていて、その先生が教えてくれた方法で、彼がコロナにかかった時、それを試すと1カ月続いた咳がおさまったと言うハーブのエッセンシャンオイル2種類を探すためだった。1種類はすぐに見つかったが、結局もう1種類は見つからなかった。

 

もう私は全く問題なかったと言える。

しかし寒いので、散歩のみにしておいた。フランスに到着以来、あれほど好天に恵まれていたのに、不思議なことに私達の体調とともに気温が下がり天気もよくなかったのだ。

この辺りは徒歩圏で観光名所などに行けるので、普通ならあちこち行きたいところであったが、すでに訪れているところが多かったこともあり、そこまでの気持ちにはならなかった。


1回目のPCR検査後あれこれあったが、天の救いが現れた。

2023-04-20 08:37:25 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

PCR検査で陽性がわかったその翌日、私たちはホテルのチェックアウトをする。

マリーアンジュには、彼女がネットで今のホテル2泊分を彼女の支払いで予約を入れているので(部屋は私の名前)、お金は現金で彼女にすでに支払い済みだったが、フロントに領収書を書いてもらえるよう交渉してほしいと頼み、うまくいった。



チェックアウトも済み、バスに乗って、パリの中心部にあるホテルへと移動した。

しょぼいホテルは2泊で切り上げ、自分で見つけたホテルに移動した。

あー、本来なら帰国の予定だったのに、などと思う気持ちには、まったくならなかった。が、屋根裏部屋のような部屋から小さいながらキッチンもある少し広い部屋になり、落ち着いた。

 

 

しかもスーツケースを置かせてもらっているイザベル宅とは目と鼻の先だった。

本来なら昨日スーツケースを取りに行き、小児科医宅で一泊し、翌日(今日)の帰国に備えるはずであったが、事情を説明し、あと数日置かせてもらえるようにお願いをした。

彼女は「大丈夫?荷物のことは心配しないで。また何か必要なものがあったら言って」と申し出てくれた。

 

私は数日前から薬も飲んでいないが、この日を境にまったく普段通りと言ってもいいほどになっていた。連れ合いは少し咳をしていて、薬のせいか眠気が襲って、買い物以外は、ここでも横になっていることが多かった。

 

フランスでは陽性でも平熱状態なら外食をすることも可能だと聞いてはいたが、さすがに陽性の状態では無謀だと判断した。

 

いつ日本に帰れるのか。もちろん急がなければいつかは帰ることができる。

仕事先には、連絡を入れたが、シフト制の仕事のため、気にならないわけではなかった。(後日、「ところで、いつ帰国予定ですか」というメールが来た時には「こっちが知りたいよ!!」状態だったが)

連れ合いも仕事の関係先等にメールで事情を伝えていたが、それほどの支障はないようだった。

 

数日後、もう一度抗原検査をしてみようと思った。その旨を小児科医にも告げ、ここで3泊することにした。

小児科医は、このアパートに3泊したのち、自分のところに泊まりに来るように言ってくれた。何しろ現役のお医者さんが自宅に来るように言ってくれたのだから、これほど心強い助け舟はない。もちろんその申し出に縋りつくような思いで甘えることにした。





PCR検査も陽性!!!

2023-04-18 09:13:27 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

今日はPCR検査の結果がわかる日。

お昼ごろかと思いきや、日付が変わった時点で、メールが送られてきていた。

朝起きてすぐ、ドキドキしながら、開いた。

 

「Positive!」え? 何度見ても、ポジティブ、つまり陽性だった。

愕然としている暇はない。

 

すぐにブリジットに連絡を入れた。

ブリジットとは何度かやりとりをして、どうにかご主人が見つけ出してくれた日本のANAの番号(ナビダイヤルでないもの)。彼によると、2台のパソコンを並べて調べて、やっと見つかった番号だったそうで、スマホの画面では至難の業だろうということだった。

日本との時差があるので、0時を回ったところから電話してもらい、つながったところで、いろいろ質問してもらっていた。

 

万一予定の便に陽性で乗れなかった場合、変更が可能だと言うことだった。そしてありがたいことにこのブリジットのご主人がANAとの連絡の窓口になってくれたそうだ。

私達のチケットはコロナによる欠航で数回変更を余儀なくされていたため、メールではできず、電話での変更依頼しかできなくなっていたこともあり、このような複雑なことになってしまったのだ。

 

取り急ぎ、帰国便のキャンセルの連絡を入れてもらうことにした。

 

そして聞かされたのは、このブリジット夫妻はコロナにかかっていないのだが(今現在も)、2020年に長女が学校でもらい、その後治癒しても陽性反応が1ヶ月続いたと言うことだ。

 

つまりこの時点で、私はあれがコロナの症状であったとしたら、症状が出た日は留守宅で一泊した朝寒くて眠れなかったあの朝だ。罹患したのはその数日前だとしたら、やはり図書館マダムの咳が疑われ、その日からすでに10日が経っている。一回目が陽性だったとしても、次のPCRテストがその1週間後だとすると、罹患から2週間以上になるので、普通なら1週間遅れの帰国便で帰れるはずだが、どうなるのか。

 

ネットで調べたところ、回復しているのに陽性だった場合、大使館に領事レターを書いてもらうと言う方法があることがわかった。その場合、必要なものは、医師による回復証明、帰国便のチケットとパスポートのコピーだった。

 

小児科医にことの経緯を説明し、今は無理だろうが、10日くらい経っていれば、回復証明を書いてもらえるかと聞いてみた。「もちろんだ」と言ってくれた。

小児科医は家に来るように言ってくれた。

 

しかし、まだこの状態では行けないので、今日このホテルをチェックアウトした後、別のホテルへ移動することを考えた。ここでは温かいものも食べられないし(軽症ならフランスでは外食も可能だったのだが)、保険で対応してもらえるならと、キッチン付きのホテルの予約をした。1泊3万以上もするが、仕方がない。

とりあえず3泊だけ予約をし、様子を見ることにした。

 


非常時に備えたこと

2023-04-17 12:03:22 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

万一明日の結果が陽性だったことに備え、あちこちに連絡した。

ANAへ帰国便の変更の可否を尋ねようとしても、日本の電話番号はナビダイヤルしか見つからない。さらにパリ支店は、この時閉鎖されていたのか、連絡先にかけてもつながらなかった。さあ、どうする?

 

この時、頭に浮かんだのはヴィルジニ

彼女は、渡仏前のTGV予約でシステムエラーによる二重請求にも交渉してくれた。

 

そして連絡を入れた。彼女はこの日の朝、お母さんと永遠のお別れをし、見送ったばかりだったらしい。そんな大変な時にもかかわらず「友達だから」と電話番号を探してくれた。

他にも何人かの友人に連絡をした。マルチーヌは私が訪問した前日陽性の友人とランチをしているので、まず確認をした。彼女は何ともなかく、とりあえずほっとした。

クリスチーヌから連絡があったので、今の状態を説明した。

この3人が調べてくれた電話番号はパリの番号だったが、連絡はつかなかった。(コロナで事務所が閉鎖されていたのかもしれない)



そして、リヨンのブリジットさんにも連絡を入れた。彼女の家は日本の固定電話に無料でかけられる電話がある。しかし番号が見つかるかどうかが問題だった。

でも試してみると言ってくれた。

 

その間、私はインターネットで、まず万一予定の帰国便に乗れなかったら、ホテル泊が増える。その時のホテル代について保険で対応できるかどうか、クレジット会社に電話をした。

ANA付帯のものは普通のカードなので、不可だったが、別のカード(ゴールドカード)が航空運賃、ホテル代、PCR検査費用など、帰国後請求すると戻ってくると聞き、これには安堵し、以後の調整をスムーズに運べたのは大きなことだった。

 

この日、日本語で話せる友人、ジャンルイさんに連絡を入れたところ、翌日ホテルにやってきた。しかし取り組むべき課題については、既にほかの友人に相談済みでもあり、彼に何かしてもらうということはもうなかった。私の顔を見に来ただけになってしまった。まあ、彼には来仏も伝えていなかったし、何か頼むのもどうかと思えた。

 

もし陽性であれば、明日以降のホテルの予約について考えていることを話すと、いくつかのホテルを勧めてくれたが、どれも満室で予約は不可能だった。

 


PCR検査に行き、移動したホテルはなんだかみじめな感じ・・・・

2023-04-16 09:17:42 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

 

さて、次の日、今日はPCRテストの日である。一駅離れた駅のそばにあるラボで受けるのだが、ほぼ直線で2kmくらいなので、歩いていくことにした。

今日も寒く少し雨混じりである。

 

ドキドキしながら受付を済ませ、順番を待っているとほどなくして名前を呼ばれた。

女性の先生だった。

明後日のフライトで帰国のため、明日中に結果が知りたい旨も伝えた。

「たぶん(間に合う)ね」といういかにもフランス的な答えだった。

 

時間の予約をしたとき何も考えていなかったのだが、ギリギリ午前中にしておいたため、翌日に結果がわかることになった。もしこれが午後の検査だったら、翌日の午後、つまりラボは翌日午後は休業で、結果はスマホで見ることができても、陰性証明をもらうことはできなかった。

まだ、運に見放されていないと思えた。

 

ラボから戻ってきて、まず荷物をかたづけて、ホテルに移動する準備をした。そしてマリーアンジュに言われた通り、窓をすべて開けておいた。

サンジェルマンアンレーでの一泊の前後で、計5泊をここで過ごした。

大きな荷物は、その前半は図書館宅、後半はイザベル宅に置かせてもらっていたので、手鞄二つと小さなキャリーを持って移動する。

この間スーツケースから少しは入れ替えをしたが、薬にしても他のものにしても十分な管理ができず、「あれがあれば・・・」と思うことが少なからずあった。

 

チェックインした小さなホテルの部屋は最上階、つまり屋根裏部屋のような小さな部屋だった。

設備は新しく清潔で悪くはなかったが、ここでの2日間は、体調より、気持ちが落ち込んでいたこともあり、今思い返しても、みじめさを感じる2日間だった。




 


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