箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

心のもちようでなく、社会のしくみ

2024年07月16日 06時27分00秒 | 教育・子育てあれこれ

差別は必ずしも、相手をやりこめようという目的のある人や悪意のある人がするとは限りません。


差別や偏見、アンコンシャスバイアス(無意識の思い込み)は性別を問わず、誰にもあります。


ブラジル人ならサッカーがうまいと思い込み、相手がブラジルから来た人に、「サッカーが上手なんでしょう」と言う。


言われた側は、「ブラジル人ならみんながサッカーがうまいのかな」と違和感を覚えつつも、「まあ、いいか」と黙ってしまうケースはいわゆる「マイクロ・アグレッション」です。


「小さくて、些細な傷つき」なので、発言が大きく問題になることは少ないのです。


しかし、何度も言われると、言われる側としては、モヤモヤ感が残り、違和感を覚えるのです。


この一例は、発言する側の無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス=ブラジル人ならみんながサッカーがうまい)に端を発しています。


何度も重なると、マイクロ(小さな)で済まない、深い傷つきになります。



そこで、私たちが考えなければならないのは、差別問題を個人の心がけや心のもちように集約させないことです。


心のもちように問題があるから差別が起こることもありますが、差別を生む社会のしくみこそに光があてられるべきなのです。


その点で、学校での人権教育は、差別が起きる社会のしくみを児童生徒が理解し、社会を変えていく方向にかかわり、行動力を育てることが本来の目的です。


法律や制度が不平等であるがゆえに人びとは思い込みやきめつけの価値観を内面化してしまい、そのような社会のしくみの中で差別が起きるのです。


そのことを指導者が知っておき、学校での人権教育を進めていくことが求められます。


人間の営み川の流れ

2024年07月15日 05時55分00秒 | 教育・子育てあれこれ
「トイレの神様」を歌った植村花菜さんの曲に、「猪名川」というナンバーがあります。

幅広い大きな川が流れる地点では、川面がキラキラと光を反射させながら、ゆったりと流れる猪名川のようすを、兵庫県出身の植村花菜さんがとりあげています。

うちの家のそばには、その清流が流れています。

阪神間を流れる猪名川(いながわ)の源流になります。

梅雨の今の時期、山深いところから雨水を貯めた濁流が谷を削り流れます。

しばらく流れて、平野部に出ると、岸を削りながら土砂を押し流して流れます。

そして、海にたどりつくのです。

大雨のあとには、見慣れた景色が変わっているときもあります。

川は意思をもたずして、自然の摂理が変化を起こし、新しい景観をつくるのです。

万物は流転します。

人間の営みも大自然と同じなのだと思います。



子育てに成果を求めない

2024年07月14日 05時41分00秒 | 教育・子育てあれこれ
大阪府では、地元の公立中学校志向が以前から強い傾向があり、さほど顕在化していませんが、全国的には中学受験がいま過熱しています。

この中学受験は、小学生の頃から学習塾に通い、私立の有名中学校をめざす受験です。

しかし、その一方では追い詰められた子どもたちが心のSOSを発する歪みが出ています。


受験が迫ってきて、学校や塾に行かなくなるケースが散見されます。

そんな場合、親がよくいうことばがあります。

「中学受験するかどうかは、本人に任せています」

「受験したいと、本人が言っています」

そのように親は、無理強いをしていないことをわかってほしいという気持ちを伝えようとするのです。


「あなたのためよ」


親は子どもに幼いときからそう言い聞かせて、親の願いをすり込んでいることに気がついていないこともあります。


子どもは親からほめられればうれしいものです。


学習して成績を上げるとほめられるため、子どもは「続けたい」と言います。


でも無理を続ければ、張りつめた糸が切れるようにいずれ限界がきます。


「子どものため」という親心が子どもを追い詰めていくのです。




また、中学受験のばあ、子どもの「伴走者」は母親であるケースが多くあります。


「子どもの失敗は、わたしの失敗」と母親が子どもを守り、「子どもの成績向上は、(「私が」)積み上げてきた成果」と無意識に思っていることに気がついていないことがあるのです。



教育関係者としてわたしが考えるのは、子育てに成果を設けないことが大事だということです。


つまり「こうあるべきだ」と考えないことです。「こうあるべき」があると、「早く、もっと」と子どもにせき立てることになります。


だいたい、「こうあるべきだ」と思っても、そうならないのが子どもというものです。


それよりも、子ども自身が自分で考え、自分でがんばって、〜ができるようになった、親はそれを応援してくれたと実感していれば十分なのです。











じっと考える時間をつくらない

2024年07月13日 06時49分00秒 | 教育・子育てあれこれ
心配性の人がいます。

かといって、楽天的すぎる人も困りますが、人間は、不安なことを考える時間をつくらないのがいいようです。

というのは、人間は何もすることがないときは、いいことよりも不安なことを考える生きものだからです。

だから、仕事で忙殺されている人は、私生活の不安なことを考える時間も余裕もありません。

自分が心配性だと思う人は、考える時間を減らし、今やるべきこと、楽しいことに集中します。

それでもふとした瞬間に不安を感じる人は、つとめて気分転換をするのです。



凛々しい花 ダリア

2024年07月12日 06時23分00秒 | 教育・子育てあれこれ
うちの家ではダリアを育てています。

カバー写真のピンク色のダリアは、ギャラリーダリアというヨーロッパで最近生み出された新しいダリアです。

凛々しくて、自信があるかのように、けっして下を向かない花の姿から、見ていると前向きな気持ちにさせてくれます。


ダリアはナポレオンの妻・ジョセフィーヌ妃がこよなく愛した花としても知られています。


メキシコが原産国ですが、18世紀後半にヨーロッパに持ち込まれました。


日本へは江戸時代の終わり頃にオランダから持ち込まれ、明治時代に広く栽培されるようになりました。


さまざまな品種が生み出されていますが、青い色素と甘い香りは、もともともちあわせていないようです。


花言葉は華麗、優雅、気品などです。


離島・山村の高校へ進学

2024年07月11日 07時10分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしが校長在任中に、3年生の女子生徒が島根県の隠岐島の公立高校へ行きたいという、たっての願いで進学が実現した例がありました。2017年のことです。

その生徒は、自分で体験入学会に参加して、大阪では体験できない島の生活をして、高校生活を送りたいたいという意向を伝えに来ました。

その高校は、島の生活を共に送り、ふるさとを大切にし、地域の特性をいかし社会で活躍できる生徒の育成をめざして、県外からの生徒を積極的に受け入れる高校です。

ご両親も娘の意思を尊重し、3年間親元を離れることに同意し、応援されていました。

入試を受けて、無事合格し、隠岐島へ進学しました。

さて、15歳で地元を離れ、それまで何の関係も縁もなかった地方の公立高に進学する生徒が、いま全国的に増えています。


過疎地域を中心に受け入れ先の高校も増えており、進路の新たな選択肢の一つとして注目を集めています。


たとえば、長野県の白馬高校では近年生徒数の減少が止まらず県の高校再編の対象校となりました。


地元は高校存続の危機を、地域存続の危機として捉え、生徒数増を図り国際観光科を新設しました。


そして、全国からの入学ができるようにしました。


山岳学習やアウトドアスポーツのフィールドワーク、外国人入学後は地域住民の協力を得て飲食イベントを企画し、学習や部活だけでなく課外活動にも積極的に取り組めます。


何かアイデアを出せば、地域の人々が肯定的に受け止めてくれるのが励みになります。


都市部の高校では味わえない豊富な課外活動が人気を集め、今年度は新入生55人のうち、半数近い25人が県外から入学しました。


住み慣れた場所や若年で家族の元を離れるのは大きな決断と勇気がいるでしょう。


でも、都市部の中学生が都市部の高校に進学しても、中学校のときと同じ顔ぶれ、同じ雰囲気の集団が続きます。


そんなとき、入学後は地域住民の協力をもらいながら、勉強や部活だけでなく課外活動にも積極的に取り組む機会をもらえる。


そんな「留学」は魅力的に思う生徒がいるのです。


「地域のために」という思いで何かアイデアを出せば、地域の人々が受け止めてくれます。


「離島留学」や「山村留学」は、高校進学時の進路として、着実なあしどりを築いています。





在日外国人の希望をつないでいく

2024年07月10日 07時34分00秒 | 教育・子育てあれこれ


外国から日本に来た人で、10年以上在留する人や、日本人と結婚した配偶者、高度な技能や知識をもつ人には永住資格があたえられます。


しかし、日本政府が昨年に改正した入管難民法では永住外国人の地位が不安定になる方向に向いています。


在日コリアンは永住権制限の対象にはなりません。


その点では、在日コリアンは在留資格の点で、外国人と日本人の「間」に立ちます。


それは過去の苦い歴史の中、在日コリアンと日本人が民族をまたいで「希望」を紡いできた結果でもあるのです。


在日外国人の誰もが、日本人からのヘイトの犠牲にならぬよう、「間」にいる在日コリアンが、大多数の良心的な日本人や外国人と手を取り合い、希望の歴史をともに織り直してゆく。


そのような営みが大切ではないでしょうか。


食料の自給率を上げないと

2024年07月09日 05時46分00秒 | 教育・子育てあれこれ

わたしは家の畑で少しですが、野菜を育てています。


ちょうど今頃は、きゅうり、ピーマンの収穫期になりました。


自分の家で採れた野菜は、新鮮で日々の食事で活躍します。


そして、ふと食料の自給について思うのです。




日本は、第二次世界大戦後、食料の多くを輸入に依存してきました。


自動車などの製造業の輸出を増やすため、農業を犠牲にする政策をとってきました。


食料は海外から安く買えば、ことたりる。


そのようにして、経済発展を遂げてきたのです。


その結果、日本の食糧自給率落ち込んでいます。


以前は約70%でしたが、今や主要国で突出して低い数字です


そこに、いま異常気象が頻発し、世界で農作物の収穫が不安定になってきています


また、紛争や戦争も起こり、食料の安定供給に不安が出てきています。


それ以外にも問題があります。


農産物を育てるには、肥料が必要です。


しかし、日本は肥料のほぼすべてを輸入に頼っています。


野菜の種の約9割が輸入なのです。


種を輸入できなくなる、肥料の輸入も止まれば、野菜の自給率はもっとさがります。


安いものに飛びつきがちな日本の消費者の行動も輸入依存を招きます。


私たちにできるのは国産品に切り替えていくことです。


国産なら安全性が確認しやすいうえ、地元産を買えば地域の活性化にもつなります、


国産品はすこし高くても、長い目で見れば地域を支えることになり、決して高くはないはずです。


子どもの願いは変わらない

2024年07月08日 10時02分00秒 | 教育・子育てあれこれ

 

わたしは長年の教職経験から、社会のようすや背景、また環境が変化しても、子どもの純粋な面は本質であり、変わらないと考えています。

 

学校で学習にがんばりたい。

 

友だちと楽しく過ごしたい。

 

学校の行事にがんばりたい。

 

部活で賞をもらいたい。

 

子どもの、本来の願いや思いは変わらないと考えるからです。

 

変えるのは、周りの子どもを取り巻く環境やおとなたちの態度であると思うからです。

 

裏金づくり、自動車メイカーの不正、保険金の不正請求、歌劇団に疑われるパワハラ、芸能関係の性加害などなど。

 

このような、周りのおとなの態度だけではなく、環境の変化も関係します。現代の子どもは生まれたときから身の回りには物があふれ、スマホが浸透した家庭で、格段に世界が広がっています。

 

そのぶん、SNSでも使い方を「しくじれば」、一斉に周りから攻撃されます。私たちの子どもの頃の狭い友だち関係とは比較になりません。

 

この危うさで、萎縮する子も出てきているように思います。

 

できるだけ自分だけ「突出」いないように神経をつかう子もいるでしょう。

 

「生きづらさ」を感じる子が増えているのが今の時代の特徴かと思います。

 

そんな状況で学校の教師ができるのは、「おとなはおとな」、理不尽なことには「ノー」といい、自分はどう生きるかを自分の頭で考え、行動できるように支えて育んでいくことでしょう。


今日は七夕

2024年07月07日 05時36分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
七夕には、天の川のために離ればなれになった男女のカップル、彦星と織姫が1年に1回、この7月7日の夜に、会うことができるという言い伝えがあります。

さて、七夕をテーマにした吹奏楽の曲に『The Seventh Night of July』があります。

シンプルで美しいメロディでポップなリズムが印象的な楽曲です。


この曲の中ほどには、2人が再会する場面があり、アルトサクソフォンで織姫、ユーホニアムで彦星を演奏します。

七夕の日には、この曲をネットで聴きながら、彦星・織姫の想いに触れるのもいいでしょう。












10%以上の教職調整額の行方は?

2024年07月06日 07時15分00秒 | 教育・子育てあれこれ

教員の時間外勤務の長さが大きな問題としてとりあげられています。


教員の仕事はだいたい17時頃勤務終了となりますが、子どもが下校してから次の日の授業の準備にあたるという性質上、勤務時間をこえて勤務することが多くなります。


そこで、時間外勤務手当を支払わない代わりに給料月額に「教職調整額」 を4%を上乗せして支給しているのが長年続いてきたのです。


それを10%以上に引き上げることや教員定数を改善する文部科学省案が、今回、政府の「骨太の方針」に盛り込まれています。


具体的には、教職調整額の支給割合10%以上の根拠となる教員給与特別措置法(給特法)の改正案を2025年の通常国会に提出すると明記されました。


文科省としては、骨太の方針に取り入れられて大満足というところです。


しかし、以前から文科省の方針や施策に対して、財務省が「待った」をかけることはしばしばありました。


今回についても、財務省は文部科学省の現状の予算規模を維持する姿勢を崩しておらず、どこまで10%以上への引き上げを実行できるかは不透明です。


なにしろ教職調整額を10%に引き上げるだけでも追加で720億円もの国費が必要となります。教員の定数改善なども含めると予算はさらに膨らみます。


そう簡単に財務省が「イエス」とはならないのではないかと、わたしは考えています。



「職場体験」の始まりの頃

2024年07月05日 06時54分00秒 | 教育・子育てあれこれ
中学生の「職場体験」の学習が始まって約30年になります。

当時中学生が、「社会」を遠いところにとらえている現実のなかで、いまの自分でも「はたらく」という切り口で、社会とかかわることができることを学ばせたい。

当時、青少年による深刻な犯罪が起きていた兵庫県では「トライやるウィーク」として、全国に先駆けて行っていました。

しかし大阪府をはじめとして全国的には、まだほとんど職場体験を実施している中学校は皆無に近い状況でした。

また、当時、おとなと子どもの人間関係が希薄化していくなかで、子どもはおとなとのかかわりの中で成長していくという教育理念から、「地域に開かれた学校づくり」を進め始めていました。

したがって職場体験の場所は当然、自分たちの地域がおもな活動エリアでした。

わたしは大阪府箕面市の中で、まだどの中学校も職場体験をしていない中で、パイオニア校にいましたので、最初は手当たり次第に校区内の阪急電車箕面駅界隈の商店に飛び込みました。

「中学2年生の生徒を2日間ほど働かせてもらえませんか」と美容室、花屋さん、ケーキ屋さんなど手当たり次第に、アポなしで訪れたのでした。

そのとき、二つ返事で「いいですよ」と言ってくださる店が多く、新鮮な驚きでした。

ほかの教職員7〜8名も職場開拓し、わずか3日間で70をこえる体験先を揃えることができました。

初年度(1996年度)では、その体験先から生徒にどの職場にするかを選ばせました。

その当時の学校が、地域に支えられていることをあらためて実感した職場開拓でした。

その後、各中学でも職場体験学習を実施するようになり、3日間で実施する学校、2日間の学校、生徒が自分で職場を見つけてくる方式の学校など、現在にいたっています。

なお、自治体によっては、「職業体験」と呼ぶ場合もあります。

しかし、わたしは、仕事を知るいうよりは、人に出会うということに重点を置くため、人に出会える場という意味で、「職体験」というネーミングにこだわっています。

今が青春と思えば、青春

2024年07月04日 06時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ

わたしは教職についてからは、ずっと生徒といっしょにいました。

若い頃は生徒と冗談を言いあい、楽しいときを過ごしました。

英語科教員として、英語を使えることの大切さを真剣に生徒に話しました。

生徒の高校受験の夢を叶えるため、いろいろなサポートをしました。

完全学校週5日制の前、土曜日の午前に授業があったころは、お昼ごはんに同僚の先輩先生と出かけ、生徒の話をしたり、雑談したりしました。

学校に来れない生徒の家には、何度も何度も家庭訪問して、本人だけでなく、親御さんとも話しました。

生徒が人として誤った行為をしたときには、精一杯正そうとして指導しました。

生徒が家出をして帰らなくなって、夜も探し回ったこともあります。

その一つひとつを思い出すと、それは紛れもなく私の青春でした。

いまの若い世代のダイパ・コスパを重視する生き方からすれば、効率のよくない過ごし方をしたと思うこともあります。

でも、今思います。本当に意味の薄い無駄な時間を過ごしたのかと。

自分の過去を否定したくないという思いも少しは入っているでしょうが、今の教師の働き方改革の観点から無駄なことと断じてしまうのは、誤りでないかと思うのです。

人生の無駄に思えたことが、あとになって生きていることを実感することもあります。

青春と住々にして、無駄なことをしているのではないでしょうか。

無駄なことに情熱を燃やすのもまた青春というものです。

そもそも青春とは若い頃に限られるのでしょうか。


若くても鬱々としている人いれば、老境に入っても新しあことに挑む人もいます。


今が青春だと感じているとき、たとえ何歳であったとしても、それは青春と呼んでよいのではないでしょうか。


私も60歳をこえてもいまだに青春の中を生きているように思います。















思春期をくぐり抜けて

2024年07月03日 06時30分00秒 | 教育・子育てあれこれ
今の生徒の友だち関係は、けっこう同調圧力が強く、「仲良し友だち」のグループのなかで、お互いに気をつかいあっていることが少なくないです。

とくに中学生には、その傾向が強く現れます。

また、小学生のときとちがって、友だちとの差が見えやすいという学校のしくみになっているのが中学校です。

それは良いとか良くないの問題ではなく、学校のしくみがそうなっているのです。

学習もけっこう難しくなります。部活では、技能が高いかそうでないかがはっきりと生徒間で認識されたりします。

ですから、子どもの自己肯定感、平たくいえば自信をいったんなくしていく過程を経験します。

それを学校の教師は、支え、励ましながら集団づくりを進めていきます。

そして、「わたしはわたし」と思えるようになり、自信を回復して自立に向かい成長していくのです。

ただ、思春期の悩みが重なってくると、生徒によっては学校生活に歪みが出てくる場合もあります。

さて、大学2年生の女子学生の書いた手記が新聞のコラムにのっていました。

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悩んだ末に入った大学生活が今とても楽しい。気の合う友達ができて、好きな文学の勉強ができることが何ようれしい。


中学のとき、私は学校に行くのをやめてしまった。勉強が難しくなったことや人と仲良くなるのが当たり前という空気に苦しくなったことが原因だと思う。


高校は午後から通う学校に行った。環境が変わり、良い先生たちに恵まれたこともあり、毎日登校できるようになった。しかし、気の合う友達はできないままだった。


こうした経験から大学入学当初も不安はあったが、そんな思いを忘れるほどいい友人に出会った。同じ学科には、好きなことや興味が似ている人が集まっているので親近感をもちやすいこともある。


今、学芸員と司書の資格を取るための授業に追われているが、大学に来てよかったと心から思う。

(『毎日新聞』2024年6月24日号から、記事を引用)

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この学生の場合、中学生当時は自分がなぜ学校に行かかなくなったのかを、自分でも理解できなかったかもしれません。


本人にもわからないことか多いのです。思春期とは悩みの連続ですが、自分のことが自分でもわからないのです。 


でも、大学生の年齢になり、客観的に自己をみることができるようになり、振り返ってみると中学時代のことがわかってくるのです。


わたしは、それが人の成長だと思います。


どうか、この学生が大学で豊かな人間関係を紡いでいかれることを願っています。




部活への意欲が下がらないように

2024年07月02日 06時50分00秒 | 教育・子育てあれこれ
中学校の運動部の部活動の公式戦に、大阪府の場合なら、地区大会→大阪府大会→近畿大会→全国大会とつながる大会があります。

ふつうは夏期か冬期に行われ、勝ち進んでいくと、最後には全国大会出場となります。

この全国大会は、「全国中学校体育大会」という中体連(中学校体育連盟)が主催のする大会で、種目ごとに地区大会から順次開催されます。

学校では全国大会のことを、「全中大会」とか「全中」と呼んでいます。

日本一をめざす大会で、中学生にとっては、3年間の部活を頂点となる目標になるのです。

ところが、2027年度からは、水泳、ハンドボール、体操、新体操、男子ソフトボール、相撲、スケート、アイスホッケーの8競技が外れていきます。

加えて2030年度からはスキーが外されることになります。

その理由は、少子化の急速な進行と大会運営や引率に伴う教員の負担増のためです。

文部科学省は、昨年度から公立中学校の部活動を地域のクラブチームなどに移行させる取り組みを始めています。

クラブチームにも中体連主催の大会への出場も認めています。

しかし、移行には課題がたくさん出てきています。

水泳や体操、新体操などは民間クラブの活動が活発ですが、地域の受け皿が十分でない競技もあります。

組織や指導者がおらず、練習場所が少ないためであり、保護者の費用負担も増えるという課題です。

そういった事情があり、将来的に除外対象となりそうな競技は他にもあります。

今後、大会が減り、地域クラブへの移行も進まなければ、競技人口が一気に減少する心配もあります。

部活動に打ち込む生徒のやる気を下げてしまうことのないような、大会運営の工夫が求められます。