
私が教職に就いた1980年代前半は、情報社会という面では、まだ日本は明らかに「閉じた情報空間」でした。
当時は、これからの社会は国際化社会ですと言われました。
しかし、国際化が進むとともに、グローバル化が進んだ平成の時代では、情報面でもボーダレス化が進みました。
たとえば、宇多田ヒカルはニューヨークから出ています。
大坂なおみさんの活躍も、ボーダレス化を表しており、情報面での「日本」というものは、なくなったきました。
そして、1990年代には、アジアの各国々が発展しはじめ、いまや日本という国の存在感は小さくなる傾向にあります。
文化面や学識面でも、日本の影響力は低下しています。
今後は、日本というフレームを外していく必要がでてくるのでしょう。
外国人市民が増加してきます。アジアからの留学生が増えています。外国人観光客が、多く訪問しています。
そういう状況のなか、日本が積み上げてきた過去からの蓄積に、未来を展望します。
1980年代までの成長社会が終わり、成熟社会のいまは、循環型社会を模索していきます。
循環型社会は、資源のリサイクルのように、環境問題として考えられることが多いです。
しかし、日本が積み上げてきた思想や美術、繊細な食文化、情緒を重んじる文化などは、世界的にも優れたものです。
これらを日本というフレームを超えて循環させるしくみが必要になるのでしょう。
その手段の一つは、言語による交流です。
三中の子が、高校進学にあたって、将来英語を活用して活躍したいと考えている3年生が多くいます。
英語は、循環型社会のなかで、たしかに必要なツールになります。
循環型社会の進展とともに、英語学習の意義を捉えるのが、いま流の考えです。