
わたしの妻は、愛媛県の出身で、結婚するまではずっと愛媛県で生まれ、生活していました。
一方、わたしは大阪で生まれ、大阪で育ちました。
そこで、まず当初は言葉の違いに、わたしは遭遇しました。
お菓子が「やむ」ってわかりますか?
わたしには、わかりませんでした。
聞くと、お菓子が「しっける」(=湿る)という意味だと、わかりました。
また、私がお葬式から帰ってくると、塩をわたしの服にかけました。
「わあ、何をするんや⁈」
聞くと、いわゆる清めの塩(これについては、いまはその是非についてさまざまな意見があります)は、足もとに撒き、脚で踏むのではなく、愛媛では全身にかけるのだと、初めて知りました。
これらは、ほんの一例です。国内でも、言葉や習慣は、これほど違うのです。
ふるさとの数だけ習慣のちがいがあるといってもいいでしょう。
まして、外国人と接する場合には、もっと文化や習慣のちがいがあります。
労働力不足を補うため、外国人を雇うことがいま話題になっています。
私たちは、当然のことながら、文化や習慣のちがいに出会うことになるのは必至です。
ですから、それぞれの人の習慣は、自分の習慣とは異なることをまず理解したいところです。
これからの社会で生きる三中の子には、ちがう習慣や文化を柔軟に受け入れるようになり、共に生きていく社会づくりにかかわる人になってほしいのです。
習慣を知ることは、相手を知ることです。