
最近、「疲れている」とか「しんどい」という子がいます。
これは甘えではなく、本人が言うとおり、本当に疲れているのです。
なかには、疲れていても、「疲れている」といえない子もいます。つまり、本人に「疲れている」と自覚がなく、体の症状(頭痛・腹痛など)に表す子もいます。
さて、ここでは、疲れの中でも肉体的疲労でなく、精神的疲労をとりあげたいと思います。とくに、感じとる力が敏感な子、またはまわりによく気をまわす子などが「疲れる」という場合を考えてみます。
教師や親が「これをやっておいてね」というと、忠実に正確にやってくれる子がいます。
こういう子は「1つを頼むと10やる子」です。こういったことを続けていえると、その子はやはり疲れます。
ところが、1を言っても0.1しかしない子もいます。そのような子がほとんどではないでしょうか。
または、他者のようすにいつも気を遣い、敏感な子もいます。学校の友だちグループの中では、自分だけが突出しないように、グループ内の全員に気を遣います。
実は、いまは、こういった子が増えています。世間が「空気を読む」という価値観を、知らず知らずのうちに中学生に迫り、「K.Y」にならないようにという無言の圧力をかけます。
その結果、友だち関係はスムーズで、「学校はけっこう楽しいよ」というのですが、家に帰ると「しんどい」「だるい」「疲れた」ともらします。
もっとも、中学時代も途中からは、自分を出してもいいような仲間、相手に気を遣うことだけにならない仲間関係が育ってくるのですが、それは「自分は自分」という自我が確立しはじめてこそです。
それまでは、子どもは家に帰ると、「疲れた」と訴えてきます。
親に嘆くことができるときはいいのですが、疲れているのにうまく自分で表せない子は、疲れるのは、自分に問題があるからとか、自分が悪いと思いこみ、親に相談もしにくいのです。
このような現状に置かれたいまの子どもは、程度の差はあれ、多かれ少なかれ疲れています。
ですから、疲れている子には、ホッとする時間と空間が必要です。
とても疲れている子には、大人が「ああしなさい、こうしなさい」ということは、できるだけ控え、ゆっくりする時間を家でもってほしいと思います。
(写真と本文の内容は関係ありません。)