ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

人生の秋に

2014-09-18 15:29:22 | 介護
三週間ぶりに父に会いに行って来た。

交代で父の様子を見に行ってくれていた妹が体調を崩し、しばらく父の所に行けなかったので、代わりに私が行っていたのだが、やっと妹の体調が良くなった。

「ずっと行ってなかったから、今度は私が行くから」と妹が言ってくれたので、妹に任せていたら三週間あいてしまった。

しかし、あまり長く父の顔を見ていないと非常に父の様子が気になる。

「次は私が行くよ」

そう妹に告げて、いそいそと父の元へ行った。

最近の父は「まだらボケ」が頻繁に起こるようになった。

この間は、いつも父を乗せている私の車が突然わからなくなってしまい、「あれか」と言って、全然違う型の車を指差していた。

車の次は、私のことがわからなくなっていないかとちょっと不安だった。

「あんたダレ?」な~んて言われちゃったらどうしようか・・・

そう思いながら父の部屋を覗くと、いつもは昼間でもベッドに横になっていることが多かった父なのに、珍しく椅子に腰かけて起きていた。

部屋を覗いた時、こちらの方を向いた父と目が合った。

父は何も言わず、こちらを見ている。

思わず「お父さん、私が誰かわかる?」と聞くと、父はにやっと笑って「わかるさぁ」と言った。

あ~よかった。忘れられていなかった。

それから父の部屋の中や冷蔵庫の中を整理しながら、父と話をした。

いつもの父なら自分がもっとも輝いていた時代の話を何度も繰り返すのだが、今日は珍しくその話ではなくて「今の話」をしてくれた。

「次のデイサービスでは誕生会を開いてくれるそうだ」と父は嬉しそうに教えてくれた。

その時、やっと父の誕生日が9月だったことを思い出したが、時すでに遅しで、父の誕生日はもう過ぎていて「あ~失敗した」と後悔してしまった。

そのあと、父が自宅に居たころ飼っていた二羽の小鳥の話をした。

現在も小鳥たちは妹の家で元気にしているので、小鳥の様子を教えてあげようと思ったのだ。

ところが、父は飼っていた二羽のうち一羽の小鳥の事しか覚えていなかった。

昨年、高齢者住宅に移るまで飼っていて、小鳥たちは父によく懐き、父もとても可愛がっていたのに、見事に忘れてしまっていた。

「ほら、く~ちゃん(小鳥の名前)いたでしょ?賢いインコのく~ちゃん。覚えていない?」と言うと、「そんなのいたかな?忘れたな」と答える父。

ペットのこともそうだが、三十年近く前に亡くなった母の名前も思い出せないと言った。

「色んなことを忘れちゃったね・・・」

思わず口からそんな言葉が出てしまい、まずいことを言ってしまったと一瞬思ったが、父は穏やかな口調で「いや、いいんだ。みんな忘れていった方がいいんだ」と答えた。

その言葉から、父が自分の老いを受け入れているのだと思えた。

父は昔から家庭で怒鳴り声をあげるような人ではなかったが、代わりに仕事となると、子どもから見ても非常にエネルギッシュな人だと思っていた。

母を相手に父が仕事の話をするのを聞いていると、他人には歯に衣着せずにズバズバと言いたいことを言うような人だと思っていた。

しかし、今はどんどん穏やかになっていってると思う。

エネルギッシュで元気の良かった父がだんだん穏やかになっていくのは、ちょっと寂しいような気持ちになるが、多分これはいい事なのだろうなぁ。

本を読んでいたら、とても心に残った詩があったので載せます。

上智大学の学長もつとめたヘルマン・ホイヴェルス牧師の晩年の詩だそう。

年をとることによって、できるようになる生き方が書かれています。

「最上のわざ」

この世の最上のわざは何?

楽しい心で年をとり、

働きたいけれども休み、

しゃべりたいけれども黙り、

失望しそうなときに希望し、

従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、

人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、

弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること。

老いの重荷は神の賜物、

古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために。

おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、

真にえらい仕事。

こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。

神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ。

手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。

愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。

すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。

「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。


「人生の秋に ホイヴェルス随想選集」より


最近、自分の老いを少しずつ受け入れているかのように思える父。

その姿に詩の文章がなんとなく重なった。

私も老人になった時、この詩に書かれているような心境になっていたいものだと思う。









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