ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

函館トラピスチヌ修道院

2024-10-01 16:36:13 | 旅行

函館の旅の続きです。

函館の街を歩いていておもしろいなと思うのが住宅の形で、和洋折衷になった住宅を見かけることがある。

こちらの建物も和風建築の一部が洋館になっている。

函館は横浜、長崎と同じ時期に開港したことで、外国の文化が入ったのだが、他都市のように外国人遺留地がかたまっておらず、市中に混在したため、至る所でこうした住宅が見られるようだ。

でもこれが函館らしい風景なのかもしれない。

というわけで函館では主に神社仏閣巡りや街歩き少々をしたが、最後に修道院に行ってきた。

女性の修道院で聖トラピスチヌ修道院。

修道院の門をくぐると、大天使聖ミカエル像が迎えてくれる。

ドラゴンに向けて槍を振り下ろそうとする大天使ミカエル像。とても強そうですね。

 

さらに進むと両手を広げた慈しみの聖母マリア像が迎えてくださる。

マリアさまを見るとき、いつも遠い昔のことを思い出す。

 

そして聖テレジア像。

テレジアは実在した修道女で24歳という短い生涯を閉じるまで、神を信じて祈りの生活をされたそうだ。1925年に聖人として認定されている。

 

 

ところでほとんどの人は、これまで幾つもの人生を生きてきている。

それらのことを前世と呼ぶのだが、前世のことはほとんどは忘れて生まれてくるらしい。

たしかに新しい人生を始めるにあたって、過去の人生の思い出は邪魔になる。

でも私は、なぜか二つの前世を憶えている。

そのうちの一つが、修道院で生活していた人生で、これは物心ついた子どもの頃には今よりもずっと多く、しばしば思い出していた。

修道院の孤児院にいた頃のわたし、修道女となったわたし。

断片的ではあるが、脳内に鮮やかにその時の映像が浮かぶことがあり、現実でも偶然マリアさまの像を見かけると、いつまでも見入ってしまう。

マリアさまを見る時の感情は、なかなか言葉では言い表せないものがあり、懐かしさとか、悲しみとか、訳のわからない感情で胸がいっぱいになる。

今回もマリアさまの前に行ったら、そのような感情が湧き上がるのかもしれない思ったが、不思議と平常心だった。

前世のことが、今やっと自分の中から浄化されたなと思った。

それが嬉しかった。

でももう一度修道女として生活してみなさいと言われたら、今でも喜んでやれるだろうと思う。

祈りと労働と読書の日々。

トラピスチヌ修道院のホームページには「神を探し求める生活」と書かれている。

これは今の人生でも同じようなことをやっていると思う。

でも当時と決定的に違うのは、今は市井の中で自由に暮らしていることで、自由というと何かポジティブに思うが、規律のある中で決められたことを規則正しく行うよりも、自由に暮らす方が私にとっては難しい。

(自分にとって)難しいことにチャレンジしている今の人生は、レベルが一段階上がってるのかも?

実は、この記事を書くのは二回目で、一回目は前世のことをもっと詳しく書いていたのだが、ちょっと目を離した隙に全部消えてしまっていた。

変な操作もしていないのに、そしてせっかく苦労して書いたのになぜ消える?と残念に思ったが、もしかすると書いてはいけないことを書いたのかもしれない。

というわけで、投稿ボタンを押すまで記事が消えないことを祈つつ終わりにしたいと思います。

 

 


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函館の神社仏閣巡り

2024-09-28 14:33:17 | 旅行

一泊で函館へ行って来た。

函館はもう数えきれないほど行き、観光スポットと言われている所もほとんど行ったが、実はまだ行ったことがない場所があった。

それは神社仏閣。

これまで函館といえば五稜郭公園や函館山からの夜景、そして歴史のある洋建築といった場所ばかりを観てきたが、神社やお寺は一度も行ったことがなかった。

調べてみると、函館にも行ってみたい神社やお寺が多く、これまで気づかなかったが、特に神社の数は、札幌とは比べ物にならないくらい多いように思う。

まず訪れたのがこちら。1963年に建てられた函館で最も古い高龍寺。

山門をはじめとして、繊細な彫刻が見事だった。

さらに高龍寺には「傷心惨目の碑」と呼ばれる石碑が建てられている。

箱館戦争の時、旧幕府軍の野戦病院が高龍寺に設けられていたが、高龍寺に新政府軍が乱入し、傷病兵らを惨殺し寺に放火するという事件が起きた。

この時、多くの会津遊撃隊の者が犠牲になったそうだ。

寺の敷地内の石碑、これは旧会津藩士の有志が鎮魂のために建てたそうで、石碑に書かれた「傷心惨目」とは、中国の文人李華による言葉で古戦場を弔うという文からとったものだそうだ。

また石碑横にある写真の高松凌雲氏は医師であり、旧幕府軍に参加して渡道し、箱館戦争が始まると箱館病院の頭取となって、敵味方区別することなく負傷兵の治療に力を尽くした方だそうだ。

強い意志の中にも優しさが感じられるお顔をされていらっしゃる。

現代でもたまにこのようなお顔の方をネットでも見かけるが、きっと強い意志と優しさを持って、信じた自分の道を進んでいらっしゃるのだろう。

そしてもう一つ、行ってみたかったのが北海道最古の神社、船魂神社で、ここには義経伝説が残っている。

1190年、義経一行が津軽海峡を渡る時、遭難して船が沈没しかけた際、船魂明神のご守護によって無事に蝦夷地に着くことができたそうだ。

また一行が飲み水を探していたところ、童子が現れて、湧水のある場所を指差して教えてくれたということで、童子の現れた岩が「童子岩」として祀られている。

立待岬から津軽半島が見えた。

また青森へ行きたいな。

続く


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孫と遊ぶ

2024-09-23 22:41:13 | 日記

約二ヶ月ぶりに息子一家が遊びに来て、庭でバーベキューをした。

一歳の孫と久しぶりに会うのを楽しみにしていた。

前は人見知りがひどくて、会うなり泣き出してしまったのに、今回は親の陰に隠れながらも照れたような笑顔を見せてくれた。

孫の写真はたくさん送られてきていたけど、実際に会うとずいぶん大きくなっていて、子どもの成長の速さに驚いてしまう。

とはいえバーベキューはまだ食べられないので、孫のごはんは、持参のおじやとスルメ。

食事はまだ柔らかく煮た薄味のものを与えていて、大人の食事とは分けているとお嫁さんが教えてくれた。

孫がおじやを食べ終わると、次はスルメ。

スルメは大人が食べている間に与えて、おとなしくしていてもらおうというお嫁さんの作戦のようだ。

前に来た時は切り干し大根を食べていたが、今回はスルメに変わっていたのは、スルメの方が長く保つからかな?

お嫁さんの工夫がうかがえる。

しかしスルメが長く保つとはいえ、じきに食べ終わった孫は、飽きたのかモゾモゾし始めた。

お嫁さんは孫の世話で、まだよく食べていない様子だったので、ここは婆やの出番とばかり孫と一緒に遊ぶことにした。

もうすぐ二歳になる孫は、好奇心いっぱいで見るものすべてに興味がある。

道端に咲く草や花を触っていたかと思ったら、歩いているアリをしゃがんでジーッと見ている。

一緒にしゃがんでアリさんを見ようと思ったら、今度は落ちている小石が気になるご様子。

こんな具合に興味の対象がくるくると変わっていく。

赤い木の実を採って、手でぐちゃぐちゃに潰したので、手を洗ってあげようと家に入ることにした。

さて手を洗ってから「お外に行こうか」と言うと、「うん」と言わない。

お嫁さんから「嫌な時は、絶対にうんと言わないんです」と聞いていたので家で遊びたいのかなと思い「お家で遊ぶ?」と聞くと、「うん」という返事。

孫がお気に入りの部屋が仏間で、「お家で遊ぼうね」と言うと、一目散に仏間へ駆けて行った。

仏壇のおりんを鳴らすのが好きなので、経机からおりんを下ろして遊ばせようと思ったら、おりんには目もくれずロウソクに手を伸ばした。

あっという間にロウソク立てが大きな音を立てて転がり落ちた。

急いで転がったロウソクを拾おうと思った途端、止める間もなく今度は香炉の中に手を入れていた。

仏壇の下はこぼれた灰で真っ白、、、

でも孫の素早い動きについて行くためには、灰を片付けている場合ではない。

再び手をきれいにしてから、やっとおりんで遊んでくれたが、それもすぐに別の興味の対象を見つけて走って行く。

仏壇の扉を開けたり閉めたりしてみたり、ピアノを鳴らしてみたり、あっちの部屋、こっちの部屋と走り回り、私も一緒に孫の側について走り回った。

実はこの後もバーベキューに戻ることなく二人で公園に行ったのだが、ここでも孫は走り回って、興味のあるものを触ったり見つめたりをして遊んでいた。

「忘れちゃったけど、自分の子どももこうだったかな?」と思いながら、孫の興味のあるものが面白くて一緒に見ていた。

あまりに帰ってくるのが遅いと心配して、長男が探しに来たほど孫とたくさん遊んだ。

とても疲れたけど、楽しかったなぁ。

近くにいて、いつも孫と遊べるお嫁さんのお母さんがうらやましい。

、、、と思ったら、お母さん「リハビリだと思って遊んでいる」とおっしゃっているとか。

お母さんはまだ50代だが、一歳児と遊ぶのはかなりの体力が必要と、今回初めて遊んで思った。

だって60代の私は、翌日死んでましたから。。。

 


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正しい判断

2024-09-19 17:23:51 | 日記

ご主人のお通夜以来、一年近く会っていなかった知人から突然メールが来た。

メールのタイトルには「ワクチン接種されていますか」と書かれていた。

一体何かとメールを読むと、内容は昨年亡くなった知人のご主人のことから始まっていた。

知人とは、お通夜の席で少し話しをすることができたが、ご主人の死因は確か心筋梗塞だったと聞いている。

その時、知人は涙ながらに話してくれた。

もともと心臓に持病があって病院へ通っていたのだけれど、一ヶ月くらい前に検査の結果を聞きに病院へ行ったら、ずいぶん良くなっているから、次回からお薬を止めましょう(もしかすると変えましょうだったかも、、、記憶が曖昧)とお医者さまに言われたの。それで二人で喜んでいたのに、突然亡くなるなんて信じられない」

亡くなる直前までとても元気で、いつものように家族でご飯を食べ、おしゃべりをしていたが、その後、お風呂に入ってあっけなく亡くなったそうだ。

メールには、それについて書かれていた。

あんなに元気だったのになぜ突然死んでしまったのか、ずっと疑問でした。

そこで主人が亡くなったあと、コロナワクチンのことを調べ始めました。

調べれば調べるほど、もしかするととんでもないものをうってしまったのかもしれないと思いました

知人は、ご夫婦で三回接種したそうだ。

これについて副作用はあったのかなど、詳しい説明はされていなかったが、確信したように文章が綴られていた。

更にメールには、来月から始まる新しいお注射について書かれていた。

レプリコンに対する疑念が綴られ、問題を提起する動画や資料も添付されていた。

そしてメールの最後は「もしも接種しようと思っていらっしゃるなら、これらを読んで判断されても遅くはないと思います。夫のようにならないために、どうか正しい判断をされる事を望んでいます。皆さまのご健康を祈っています」と結ばれていた。

このメールは、私にだけではなくて交流のある方々に、同じ内容で送っているそうだ。

知人の行動力には、いつも感心する。

そしてワクチンのせいかどうかはまだわかっていないが、実際に身内を亡くした人の言葉はとても重い。

今、周囲では以前よりも気づいた人が増えているという感じがする。

そして何かの形で行動に移そうとする人が、増えているような気がする。

もうアレを止めることはできないだろうと思う。

でも止めることはできないが、自分の判断で、そして自分では判断できない人も、周囲の正しい判断で、うたないことを選ぶことができる。

多くの方が正しい判断をしますように、、、と願っている。

 


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答えを探すが、、、

2024-09-13 22:01:10 | 日記

知り合いが、大きな病気に罹ったという話は、昨年あたりからちらほらと耳に入ってきていたが、今年に入ってもそれは続いている。

特に多いのが間質性肺炎。

間質性肺炎は昨年知人が罹り、その方は現在も療養中だが、また他の知人が同じ病になった聞いた。

間質性肺炎という病気になると、息がしづらくなって日常生活で酸素ボンベが必要になるそうだ。

知人も酸素ボンベが手放せないが、それでも息切れで辛そうだ。

もう外出することもできず、家事は全てヘルパーさんにお願いしている。

話しをすると息が苦しいので、ほとんど会話もしない。

一日中、部屋で横になっている。

こうやって徐々に悪くなっていくのを待つだけなんて、あんまりでは無いかと思うのだが、今の医学では治療法は無いそうだ。

まだ60代。

やりたいこともあるだろうし、かわいい盛りの孫とも会っておしゃべりしたいだろう。

そして何より、これから自分がどうなって行くのかという不安でいっぱいになると思う。

でも彼女の本当の心の内はわからないが、意外と淡々と病気を受け止めているように見える。

知人は、ご主人を亡くしてから急に元気が無くなった。

仲の良いご夫婦だったから、本当にショックだったと思う。

ご主人が亡くなって何年か経ってからも、冗談っぽく「もういつ死んでもいいの」と言うことがあったが、それは本心なのかもしれないと感じていた。

今、知人の周りには手助けをしようとする人たちがたくさんいる。

でも一番大切なのは、自分が生きたいと思うかどうかなのではないかと思う。

ここまで書いてきて、私は、生きることを良しとし、死ぬことを悪と考えていることに気づいた。

もし自分が同じ立場であれば、もっと生きたいと思うに違いないから、知人にもそう思ってもらいたいと思うのだ。

でも淡々として、病を受け止めているかのように見える知人は、知人なりの考えに到達しているのかもしれない。

何が正解なのかわからなくなった。

一人一人で答えは違うのかもしれないし、そもそも正解なんてないのかもしれない。

文章を書きながら、あらためて自分の傲慢さに気づかされたような、そんな気がしている。

 

 


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