私の教会での青年の同じグループに車椅子の女の子がいます。
うちの教会では年に一回、このグループを編成しなおすのですが、今年初めて同じ組になりました。
その女性は、上半身が多分私の半分くらいの長さで、足は歩けない状態で、常に電動車いすに乗っています。そして、と~ってもおしゃれで可愛いです。スジンちゃんという名前です。
スジンは、本当にすごい。
私なんて、色んなことで「私はみんなとは違う」なんて自ら一線を引いて暗くじめじめ悩んじゃったりするのに、スジンはとても堂堂としているし、アウティングに行く時も、とっても快くみんなのお世話になっています。
快くお世話になるということが、難しいということ、私すごく分かるんです。
ハンディがあるということは、待ってもらったり、自分がいなければそういう行動にならないはずのところを、自分のためにみんなが合わせるということになるので、気にしはじめると、とことん「私なんて」みたいな考えになりがちで。
私は言語的ハンディがあるって言えばあるわけで、わたし仕様に説明されたり、人とは違うテンポで何かを理解したりすることを通して、障碍をお持ちの方の思いを時々考えるようになりました。
こないだも、レストランで、客席が二階にあったんだけど、同じ組の男性がおんぶしてスジンを二階まで連れて行きました。
「あっ重いなぁ~」
「うるさいなぁ!いいじゃん^^」
こんな自然な会話ができるのは、スジンが明るいからであり、この受け答えのさわやかさにもいちいち私は密かに感動しています。
おしゃれをして可愛くしているということも尊敬します。
髪やお化粧もとっても綺麗にしてて、これだって、もし心の中にひねくれた思いとか、自分を差別してる暗さがあれば、出来ない事かもしれないって思うからです。
本当に素敵な姉妹^^
もっとお近づきになりたいわ☆
同じグループに居てもいっぱい個人的には話せてなくて・・・
今度お茶でも飲もうって言ったら、とってもうれしそうなお返事で、私もわくわくしています。
うちの教会では年に一回、このグループを編成しなおすのですが、今年初めて同じ組になりました。
その女性は、上半身が多分私の半分くらいの長さで、足は歩けない状態で、常に電動車いすに乗っています。そして、と~ってもおしゃれで可愛いです。スジンちゃんという名前です。
スジンは、本当にすごい。
私なんて、色んなことで「私はみんなとは違う」なんて自ら一線を引いて暗くじめじめ悩んじゃったりするのに、スジンはとても堂堂としているし、アウティングに行く時も、とっても快くみんなのお世話になっています。
快くお世話になるということが、難しいということ、私すごく分かるんです。
ハンディがあるということは、待ってもらったり、自分がいなければそういう行動にならないはずのところを、自分のためにみんなが合わせるということになるので、気にしはじめると、とことん「私なんて」みたいな考えになりがちで。
私は言語的ハンディがあるって言えばあるわけで、わたし仕様に説明されたり、人とは違うテンポで何かを理解したりすることを通して、障碍をお持ちの方の思いを時々考えるようになりました。
こないだも、レストランで、客席が二階にあったんだけど、同じ組の男性がおんぶしてスジンを二階まで連れて行きました。
「あっ重いなぁ~」
「うるさいなぁ!いいじゃん^^」
こんな自然な会話ができるのは、スジンが明るいからであり、この受け答えのさわやかさにもいちいち私は密かに感動しています。
おしゃれをして可愛くしているということも尊敬します。
髪やお化粧もとっても綺麗にしてて、これだって、もし心の中にひねくれた思いとか、自分を差別してる暗さがあれば、出来ない事かもしれないって思うからです。
本当に素敵な姉妹^^
もっとお近づきになりたいわ☆
同じグループに居てもいっぱい個人的には話せてなくて・・・
今度お茶でも飲もうって言ったら、とってもうれしそうなお返事で、私もわくわくしています。
私は小さい頃からおデブさんなので、特別な目っていうのが、とてもイヤでした。
でもそれも神さまが私に与えられた個性なんですよねえ。
最近は、お金がないことも、私の個性のように感じてます。
実は、今年のオンギのツアーで事故をしてしまいました。
人身ではなかったのですが、借り物の車と体当たりした教会の扉を破壊しました。
車を直すのに、40万ほどかかりました。
でも、たくさんのかたが献げてくださり、どちらも修理費用をみたして下さいました。
人の世話になる…。特別な目でみられる。それって私が一番嫌っていたことでしたけど、そんな事言ってられない状況。
でもそれだけの人が、オンギのために、私のために、神さまのために、祈り、支えてくださっている…。
そんなことを体験でき、感謝できた出来事でした。
教職として生活していく上では、必要なことですよね!
あたしもお会いしてみたいな。
そうですよね!堂堂といたい。
人には分からない「気にしてること」ってありますよね。それにぜんぜん打ち勝っているか、もともと気にしてないようなことなら、からかわれたり遊ばれても「あっはっは」って済ませられるのだけど、それについて悩んでいる時や気にしてるときは・・・ダメですね。
私は・・・小学校のころ、痩せてる友達に「細くていいな~」って言ったら激怒されちゃった事があります。私にとっては痩せてることは誉め言葉だったんだけど彼女は気にしてたようで。
目の前で激怒された経験も初めてだったので、こっちがとってもびっくりしちゃいました・・・。あぁ。。
自分も個性って受け止められるようになりたいし、本当に心から人に対してもそう思える人は、一緒にいて楽だろうな。
オンギの事故の件は、私も読んでいて知ってました。コメントは出来なかったんですけど祈ってましたぁ。本当にいつも、お疲れ様です!オンギも幸せものだなー日本にこうやって迎えてくれるおねえちゃんや、お母さん達がいる。
その方たちの周りの祈りで結局はコンサートまでが支えられているんですね。
ずっと愛される歌声を届けられるために、私もお祈りします。オンギのために、そしていしころおねえちゃんのために^0^
でもその子は、大学卒業してちゃんと、自分の行きたい仕事に就職して今は働いていますよ。。
韓国も日本もそうですが、まだまだ建物や道路のバリアフリーも進んでませんし、障害者に対しての心のバリアフリーも進んでないと思います。。
障害を持っていても、同じ人間です。。人間や動物も、顔や身なり、性格。。1人1人違いますよね。。それが個性って物だと思います。。私は障害もその人の1つの個性だと思っています。。
その方と、いい友達になってあげてくださいね。。
うん、友達になろうって言う風には言ってないけれど・・。
個性、そして時に配慮が必要な、特別な「ギフト」←神様がその人に与えてくれた特性 でもありますよね。
お互いに。。。
自分の障害や個性(健常者、といわれている人が障害がないとは思わないので)を自らが受け入れることを初めとして、共に生きている社会ではお互いに理解し、配慮して、受け入れあうようにしたいですね。
本当に、愛が必要です。
お互いに関心を持つからこそ、見えてくるその人の個性や、時には、心の傷・・・。
私は教会や、その他の社会環境で、せっかく出会えた人たちに関心をもって愛したいなって思います。
おばあちゃんのほうは、人に迷惑をかけるのが嫌で、教会の老人会のお花見にずーっといかなかった。でも、素直に好意を受け取るということを教えられ、お花見に行った。楽しかった、って。
車椅子をずーっと押していたのは、うちの牧師。
「先生に申し訳ない」って言いながら、なんだかうれしそうにしていました。
思い切って甘える、そんなことがとっても難しいですね。でも。「甘えなよ」って言われて甘えられるものではないことも、確かで・・・。
うん。
いろいろ考えます・
そういうと、「障害があるのに普通にいるから感動」って思われるかもしれないけれど・・・実際そうでも、あるけれど、決して決してらくな事じゃないと思うんだ。
健常者(と一般的に呼ばれる)の人も個性があるから、私もこれは個性の一つ、って思うこと、とても高いハードルだと思います。
多くの人が難なく選択できることでも、制限がある可能性も多いだろうし、そういう事を一つ一つ人と比較していたら、人を祝福することが難しいと思います。職業の選択や、結婚のことや、仕事のこと。
彼女が聞いたら、ものすごく贅沢に自由に選択できる人々が、まわりのほとんどなのかもしれないのに、同じ交わりの中で、「贅沢な悩み」とも思わず同感して、ちゃんと聞いてあげて、自分なりの悩みにもくよくよしたりしないこと。
本当に細かく考えて、スジンの心を想像すると、人の何十倍も愛があって、人を祝福できる心がある女の子なんだって改めて思えるんです。
特に青年達、若いときは分からないよね。
自分の可能性が大きい時は、人の不自由さにも無関心になりがちだと思うし、自分が選択できる中でもっとも自分が楽しくてらくなものを選び勝ちで。
反省です。
うちのセルにスジンがいることも、スジンをおんぶして「思いなぁ」って笑う友人がいることも、とっても私達のセルの豊かさを現してる感じがして、私うれしいです。
こういう交わりが、私うれしいな。
きっと、今の彼女になるまでに、葛藤もあったと思うな。
あぁ。迷惑だなんて、本当に一瞬でも思いたくないね。しかし社会のスピードや、道路や、地下鉄の構造や、あらゆるものは大多数の人に合わせられていて、不便を余儀なくされているんだろうな。。。
本当に、迷惑かけたくない って思わせないようにしたいし、実際に「迷惑」なんて思っちゃうことがないようにしたいし、そういう風に考えるように次世代を育てたいと思います。
でもお花見にいけてよかったね^^/
そして、牧師先生との会話やそのやり取り、とてもあったまるなー。
先生は牧者として仕えて、教職の先生に対しては信徒は尊敬して。
教会の理想の縮図だなー。
だから、すべてのみんなの存在が尊いなぁ。