metch Happy days

クリスチャンで、韓国で神学を学んでいるめっちの毎日の成長をつづるブログ

古い人から新しい人へ

2008-09-21 00:03:47 | クリスチャンとしての私
最近色々なことがありました。
それで、すごく祈ったりするんですけど、心の中に生じた苦い思いを取り除けないままでいると、結局は「頭で考えたもの」になってしまうということに気がつきます。

神様の用意された新しいひとではなく、やっぱ、古い人の考えなんですね。

それをやめて、新しい人らしく考えるのには、それなりの、「脱ふるい人」「脱肉なる人」という高そうにみえる壁に取り組む必要があるんですね。

傲慢や不平や不満や思い込みで満ちている私に接するたびに、わ~絶望的、穴があったら入りたいと思います。
こんな姿で説教奉仕なんて!

けれど・・・人の前に立つことで、自分の恥ずかしさを知って、低くなりたいと思うことは、一生の宿題なのかもしれません。整えられて奉仕にたたなければいけないですけれどね。


私ってプライドが結構高いんです。
だから、私のプライドを守るために色々なことをしたり、発言したりするようなのです。
特に、今結婚準備する中で、彼が私のことを後回しにしてるんじゃないのって思うと、信仰にたった発言よりも、自分を主張させてしまうんですよね。
ま、準備らしいことな~んにもできてないんですけど。
「大丈夫神様がしてくださるよ」
「それはそうだけど、あなたちゃんと私のこと考えてるの!」
とまでは言わなくても、そういう主張しちゃいやすいんですね。

それから、彼に張り合おうとしたり、彼に見合った自分になりたいと、変な努力をしてみたり。

彼との事は生活の一部分に過ぎないところです。
心の中でもっと謙遜になりたいといつも思っています。

それ以外の部分でも、私の「脱ふるい人」は続く。

天の国籍を持つ私は、日本人だからということで、頭にきたり、神様の恵みをのがしてしまったりする事はしない。

神様の子供は、夫に認められる妻になろうとする努力、自分を目立たせたり役に立ったという達成感のために努力するんじゃなくて、神様に信頼する事と、神様に栄光が帰せられることをもっと熱心に求めるんだ!

すべての悩みや不満やつぶやきは、個人的な傷や、個人的な自分を現そうとする名誉欲、大事にされたい、自分中心欲から出てくるような気がします。

でもね・・・この欲求も、時々は大事ですが・・・、
今も、充分に神様にも彼にも、大事にされているし、なんと行っても万軍の神様が付いている私たち。
十分に本当は幸せ要素が揃っているんだよ。
でも、不平不満に目が行きやすい、古い私です。

脱出めざせ!