弁護士増員に反対している人々は、「激増」であると強調し、いかに増員が「不当」なものであるかを印象づけようとしています。そこには、世論を増員反対に誘導しようとする意図が見え隠れしています。
どの程度をもって「激増」であるというのか、その感覚は人それぞれなのですが、「激増」であると主張される根拠の一つが、「司法試験に合格した者のうちに、法律専門家として就職できない者がいる」であるようです。
そこで論者は、「だから、合格者数を減らせ」と主張しているわけですが、それを簡単に言うと、次のようになります。
あきらかに説得力がありません。
顧客・市民の立場に立って考えれば、「優秀である弁護士に依頼できればそれでよい」のであり、合格者が法律事務所等に就職できるかどうかは、(基本的には)どうでもよいことだからです。
そもそも、合格者の一部に法律専門家として就職できない者がいることをもって、合格者数を減らせ、といった主張が成り立つなら、次のような主張も成り立つことになります。
おそらく、合格者数を減らせ、という主張の裏に隠れているのは、「優秀である以上はそれに見合った収入が得られて当然である」という気持ちなのでしょう。
しかし、「人為的に」合格者数を「操作」することによって、「それに見合った収入」を保証しようとするところに、問題があります。そこにあるのは、「弁護士の利益」であって、「顧客・市民の利益」ではない、と言ってよいと思います。
本当に優秀であるなら、「人為的な操作」をせずとも、弁護士は「能力に見合った収入」を得るでしょう。資格取得後ただちに法律事務所等に就職できなくとも、弁護士にはただちに独立する道(即独)もあるのですから、次々に能力を発揮し、次第に「能力に見合った収入」を得てゆくと思います。
かりに「能力に見合った収入」が得られない弁護士がいるとすれば、ありていに言えば、「勉強はできるけど、(社会に通用する)能力はなかった」ということになるのではないかと思います。少なくとも世間はそう捉えると思います。
そもそも、顧客・市民の立場で考えれば、合格者(弁護士)の全員が安定して高収入を確保できるなら、かえって困ることになります。なぜなら、弁護士には、合格後に能力を高めようとする必然性がなくなるうえに、弁護士に依頼する場合の料金が高くなってしまうからです。その場合、弁護士は「能力は低いけど、料金は高い」ということになってしまいます。
なお、言うまでもないことですが、司法試験は「資格試験」であって、「就職試験」ではありません。合格者の全員が法律事務所等に就職できないとしても、とくに問題にするほどのことはないと思います。資格試験とは本来、そういうものではないでしょうか?
■関連記事
「弁護士が増員に反対する本当の理由」
「弁護士増員に反対する弁護士の本音」
「「弁護士の質」は増員反対の「口実」ではないか」
「新司法試験合格者数に関する嘆願書」
「無料法律相談「弁護士ドットコム」」
どの程度をもって「激増」であるというのか、その感覚は人それぞれなのですが、「激増」であると主張される根拠の一つが、「司法試験に合格した者のうちに、法律専門家として就職できない者がいる」であるようです。
そこで論者は、「だから、合格者数を減らせ」と主張しているわけですが、それを簡単に言うと、次のようになります。
- 司法試験に合格した者は優秀である(はずである)
- したがって法律専門家として就職し、安定した高収入を得るのが当然である
- しかるに、合格者のなかには、法律事務所等に就職できない者がいる
- したがって合格者数を減らせばよい。減らすべきである
あきらかに説得力がありません。
顧客・市民の立場に立って考えれば、「優秀である弁護士に依頼できればそれでよい」のであり、合格者が法律事務所等に就職できるかどうかは、(基本的には)どうでもよいことだからです。
そもそも、合格者の一部に法律専門家として就職できない者がいることをもって、合格者数を減らせ、といった主張が成り立つなら、次のような主張も成り立つことになります。
- 大学を卒業した者のなかには大卒(相当以上)の仕事につけない者がいるので、大学の定員を減らせ
- 高校を卒業した者のなかには高卒(相当以上)の仕事につけない者がいるので、高校の定員を減らせ
おそらく、合格者数を減らせ、という主張の裏に隠れているのは、「優秀である以上はそれに見合った収入が得られて当然である」という気持ちなのでしょう。
しかし、「人為的に」合格者数を「操作」することによって、「それに見合った収入」を保証しようとするところに、問題があります。そこにあるのは、「弁護士の利益」であって、「顧客・市民の利益」ではない、と言ってよいと思います。
本当に優秀であるなら、「人為的な操作」をせずとも、弁護士は「能力に見合った収入」を得るでしょう。資格取得後ただちに法律事務所等に就職できなくとも、弁護士にはただちに独立する道(即独)もあるのですから、次々に能力を発揮し、次第に「能力に見合った収入」を得てゆくと思います。
かりに「能力に見合った収入」が得られない弁護士がいるとすれば、ありていに言えば、「勉強はできるけど、(社会に通用する)能力はなかった」ということになるのではないかと思います。少なくとも世間はそう捉えると思います。
そもそも、顧客・市民の立場で考えれば、合格者(弁護士)の全員が安定して高収入を確保できるなら、かえって困ることになります。なぜなら、弁護士には、合格後に能力を高めようとする必然性がなくなるうえに、弁護士に依頼する場合の料金が高くなってしまうからです。その場合、弁護士は「能力は低いけど、料金は高い」ということになってしまいます。
なお、言うまでもないことですが、司法試験は「資格試験」であって、「就職試験」ではありません。合格者の全員が法律事務所等に就職できないとしても、とくに問題にするほどのことはないと思います。資格試験とは本来、そういうものではないでしょうか?
■関連記事
「弁護士が増員に反対する本当の理由」
「弁護士増員に反対する弁護士の本音」
「「弁護士の質」は増員反対の「口実」ではないか」
「新司法試験合格者数に関する嘆願書」
「無料法律相談「弁護士ドットコム」」
> 1.司法試験に合格した者は優秀である(はずである)
> 2.したがって法律専門家として就職し、安定した高収入を得るのが当然である
> 3.しかるに、合格者のなかには、法律事務所等に就職できない者がいる
> 4.したがって合格者数を減らせばよい。減らすべきである
> この主張に説得力はあるでしょうか?
どちらかと言えば、
> 法律専門家として就職し、安定した高収入を得るのが当然
という主張ではなかったと思う。
そういう主張があったのかもしれないが、むしろ、公益活動(国民の人権擁護活動など)に手弁当で師事しているので、そのための経済的基盤を必要とするという主張であったかと思う。
とはいえ、だったらそもそも手弁当で活動するような事態がシステムとして誤りであって、それを他の活動で支えるという仕組みを変えるべきなので、結論においてブログ氏とあまり変わらないが、途中の主張なり論拠が異なると、説得力に影響があるので、指摘しておきたい。
勿論、私の事実誤認の可能性もあるのだが。
コメントありがとうございます。
私が知るかぎり、どちらの主張もなされています。
なお、機会をみて、増員問題について、反対論者の主張(反対論拠)を要約しつつ、そのすべてに反論ないし検討する形の記事を書きたいと思っています。
だとしても、その主張は説得力がないのは同意です。
つまり、合格者を減らせというのは、就職できないから定員を減らせではなく、法科大学院制度を廃止して旧司を復活させよという主張に過ぎないと思います。
ロースクールは昼夜開講のため、仕事を辞めて通う必要があり、かつ、何百万もの学費がかかります。これで就職が出来ないとなればもの凄いリスクです。
しかし、ロースクール制度発足前はこのことについては告知されていませんでした。逆に政府は、弁護士の需要が増えており、それに合わせて合格者を増やしたいと言っていました。
ここ最近はともかく、少なくとも初期に法科大学院に入った人達に対しては、弁護士という仕事に需要があって合格者を増やすという主旨で募集されているので、これで就職難というのは本人の責任とばかり言えないと思います。
また、今後、法曹界を目指そうと思っている人にとっては、リスクをとって猛勉強の末に合格しても就職難となれば、わざわざ志望する意味がありません。
難関大学出身で上位ローに進む若い世代の学生にとってはいいですが、それ以外の人にはかなりリスキーな制度です。
今のロースクールの制度はわざわざ難易度を下げてでも合格者を増やし、就職戦線でより厳しい競争をさせることで、顧問料を下げようとしているのではないでしょうか。規制緩和によるワーキングプアの増加と同じ仕組みだと思います。
(1) 法科大学院が問題の原因である、という点については、たしかにそうかもしれません。この点については、私も否定しません。
しかし現実問題として、法科大学院制度を廃止することは不可能だと思います。
したがって旧制度に戻せと主張するのは無意味だと思います。
(2) 法科大学院には費用(学費)が必要である、という点については、とくに問題にするにはあたらないと思います。なぜなら、法科大学院を経由しないルートがあるからです。
私が法科大学院制度で問題だと思っているのは、「お金」ではなくて「時間」です。法科大学院を経由しないルートがあるなら、誰でも、そちらのほうを選びたくなりますよね。
(3) 私は、法科大学院制度には肯定的な面もあると思います。なぜなら、法科大学院が存在することによって、「受験者全員の」質が上がっていると思うからです。つまり、旧制度時代よりも合格者が増えているにもかかわらず、「合格最低点で合格した人のレベル」は大差ないのではないか、ということです。
(4) あと、ブログ記事の中でも述べていますが、私は「需要」についての議論は本質的ではないと思います。
「需要」があろうがなかろうが、「弁護士の質」が下がらないならば増員すべき、と考えるのが当然だと思います。この主張を否定することはすなわち、供給(合格者数)を制限することによって価格を維持しろ (=弁護士の利益のために参入規制をしろ) 、という主張と変わらないと思います。
これは次のようにも言えます。もし「需要」についての議論を本質視し、「需要の有無」を重視する立場に立った場合には、「需要」があるなら「弁護士の質」を際限なく下げてよい、という結論になります。この結論はおかしいと思います。
「初期に法科大学院に入った人達」についてですが、その就職難を問題にするならば、それ以上に「当初予定していた人数を合格させなかった」ことのほうを問題視すべきだと思います。
「合格したのに就職難」であっても独立するなりすれば収入・能力を発揮する機会がありますが、「当初予定の順位内に入ったのに不合格」という人には、救いがありません。
その点で、弁護士さん達が「合格したのに就職難」という問題ばかり取り上げていることには違和感があります。本当の意図は別のところ にあるのではないか、と思わざるを得ません。つまり自分の収入が減るのが嫌なだけではないか、「合格したのに就職難」というのは、口実ではないか、ということです。
関連記事があります。よろしければお読みください (↓) 。
「弁護士増員の 「受け皿」 はあるらしい」
http://blog.goo.ne.jp/memo26/e/bd9678b5e98389447f9c36622ccc1d95