茅沢勤 『習近平の正体』 ( p.33 )
習近平の幼少時代における、父・仲勲の教育方針について書かれています。
これを読むかぎりでは、共産主義という主義主張の点では私と異なるものの、
習近平の父、仲勲は「立派な人間」だったと思われます。もちろん私のいう「立派な人間」とは、社会的地位や肩書きなどではなく、人格のことです。
もっとも、男の子に「花柄や赤地の衣類」を着せたり、「赤い布を使ったり、花柄の模様が付いたりしていた」靴をはかせるのはどうかとは思いますし、「恥ずかし」さのあまり「断固拒否した」息子に対して、「『それならば、赤い靴に墨を塗ればよいではないか』と言って、靴を墨汁で染めさせた」などは、さすがにいかがなものかと思います。これは行き過ぎであり、習の父、仲勲にはある種の「頑固さ、意固地さがあった」とはいえるでしょう。
けれども「革命」について子供に話し続ける姿や、「革命」を成し遂げるうえで必須の「団結」について話し続ける姿には、本物の信念が感じ取れます。上記「頑固さ、意固地さ」も、「革命」のためには「倹約」し「無駄遣い」をしない生活が重要である、という信念の現れであるところから、
全体としてみて、習の父、仲勲は人格者だったといってよいと思います。
ここで習近平について考えれば、
このような父の下で育った習近平に、ある種、「思想に凝り固まった人間」あるいは「頑固者」であるという面があるとしても、おかしくありません。その可能性は十分にある、といってよいでしょう。とすれば、「曾慶紅、リー・クアンユーによる習近平の評価」でいったんは却下した可能性、すなわち習近平には上記性格があるという可能性は、現実味を帯びてくると思います。
とはいえ、習近平が父について述懐しているところによれば、
習近平は素直である
といってよいと思います。「思想に凝り固まった人間」あるいは「頑固者」という側面があるとしても、そのような側面はわずかであると考えられます。この解釈は曾慶紅の言葉「習近平は各方面から受け入れられるだろう」とも合致します。
最後に、著者は
この解釈は、「曾慶紅、リー・クアンユーによる習近平の評価」に書いた私の解釈、「(習近平は)誰ともうまくやっていける人間である」とも合致しています。(他の点はともかく)この点については、おそらく間違いないと考えられます。
なお、習近平の幼少時の家族構成については、上記「曾慶紅、リー・クアンユーによる習近平の評価」に簡単な説明があります。そちらもぜひ、ご覧ください。
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少年時代の近平の生活は父母の愛にはぐくまれ、建国から間もなく貧しい中国の他の少年少女らと比べても、家庭や教育環境は整った恵まれたものだった。ただ、仲勲の子供らへのしつけは厳しかった。近平ら4人の兄弟姉妹は自分で洗濯をするなど、自分でできることは全部自分でしなければならなかった。
仲勲は倹約家で、無駄遣いにはうるさかった。近平は自身の子供時代を書いた文章のなかで、「私や弟の遠平の衣服はだいたい2人の姉のお下がりだった」と当時を回想している。
「このため、私たち兄弟の衣服は花柄や赤地の衣類が多かった。また、当時は『布靴(プーシエ)』と呼ばれた通り布製の靴をはいており、やはり赤い布を使ったり、花柄の模様が付いたりしていたため、それらの衣服や靴をつけて小学校に行くのが恥ずかしかった。私は断固拒否した。これを見た父(仲勲)は『それならば、赤い靴に墨を塗ればよいではないか』と言って、靴を墨汁で染めさせたほどだ」
仲勲は当時、党・政府の大幹部だったので、人民大会堂や天安門で行なわれる晩餐会などの行事に家族で呼ばれることが多かったが、その際、会場の受付や警備担当者が近平ら習家の子供の粗末ななりを見て、「この子たちはどこの家の子だ」といぶかしがる光景もたびたびだった。近くにいた幹部らが「それは習仲勲の子供たちだ」と言うのを聞いて、近平らはようやく会場に入ることができたというほどだった。
また、仲勲は金銭の支出にうるさかった。仲勲の当時の秘書・張志功は、「子供たちがバスに乗ったり、アイスキャンディを食べたりしても、それをいちいち報告しなければならなかった。毎月の月末には仲勲に支出簿を提出することが義務付けられていた。仲勲はそれを仔細に吟味して、アイスキャンディ1個はいくらだったか、などと細かく尋ねてきた」と思い起こしている。
仲勲は教育にも厳しかった。特に共産党幹部らしく、「革命」について近平らが小さい頃から、びしびしと叩き込んだようだ。
「父は私たちが家にいると、『自分がどのようにして革命に参加したのか』『今後、お前たちがどのようにして革命を引き継いでいかなければならないのか』『革命とはいったいどのようなものか』などと話し始めた。そのような話は私たちはもう耳にタコができるほど聞かされていた。ある時は、遊びたいのに、そのような話を聞かされて、もう嫌だったが、どこに行くこともできず、ずっと我慢するしかなかった。それでも、そうやって父が話をしてくれたことで、私たちは知らず知らずのうちに影響を受けていたのである」
近平は仲勲の話のなかで、特に「団結」についての話が印象深かったようだ。
「父は口癖のように、『革命をするには、自分が嫌なことを人に押し付けるようなことは絶対にするな』とか、『人によくすれば、それが自分のところに回ってくる』と言っていた。また、『すべてにおいて団結が最も重要だ。1人では何もできない。団結があれば、すべてはうまくいく。もし、団結できなければ、すべてはダメになる』と。これは、私が後に政治の世界に飛び込んでから本当にその通りだと感じたし、父の話を聞いていて、本当に良かったと思う」
近平はこう振り返っている。中国で言う「団結」とは、人間関係のようなものであり、一つの目的に向かって他の人々と協力する関係を構築できるかどうかということだろう。近平は後年、河北、福建、浙江の各省や上海市の幹部時代、常に周りのことに気を遣い、円滑な人間関係を築いていた。少なくとも相手に嫌われるような関係にならないよう気を配った。これが、中国の最高指導者への道を歩むうえで重要な要素になったことは間違いない。
習近平の幼少時代における、父・仲勲の教育方針について書かれています。
これを読むかぎりでは、共産主義という主義主張の点では私と異なるものの、
習近平の父、仲勲は「立派な人間」だったと思われます。もちろん私のいう「立派な人間」とは、社会的地位や肩書きなどではなく、人格のことです。
もっとも、男の子に「花柄や赤地の衣類」を着せたり、「赤い布を使ったり、花柄の模様が付いたりしていた」靴をはかせるのはどうかとは思いますし、「恥ずかし」さのあまり「断固拒否した」息子に対して、「『それならば、赤い靴に墨を塗ればよいではないか』と言って、靴を墨汁で染めさせた」などは、さすがにいかがなものかと思います。これは行き過ぎであり、習の父、仲勲にはある種の「頑固さ、意固地さがあった」とはいえるでしょう。
けれども「革命」について子供に話し続ける姿や、「革命」を成し遂げるうえで必須の「団結」について話し続ける姿には、本物の信念が感じ取れます。上記「頑固さ、意固地さ」も、「革命」のためには「倹約」し「無駄遣い」をしない生活が重要である、という信念の現れであるところから、
全体としてみて、習の父、仲勲は人格者だったといってよいと思います。
ここで習近平について考えれば、
このような父の下で育った習近平に、ある種、「思想に凝り固まった人間」あるいは「頑固者」であるという面があるとしても、おかしくありません。その可能性は十分にある、といってよいでしょう。とすれば、「曾慶紅、リー・クアンユーによる習近平の評価」でいったんは却下した可能性、すなわち習近平には上記性格があるという可能性は、現実味を帯びてくると思います。
とはいえ、習近平が父について述懐しているところによれば、
「父は口癖のように、『革命をするには、自分が嫌なことを人に押し付けるようなことは絶対にするな』とか、『人によくすれば、それが自分のところに回ってくる』と言っていた。また、『すべてにおいて団結が最も重要だ。1人では何もできない。団結があれば、すべてはうまくいく。もし、団結できなければ、すべてはダメになる』と。これは、私が後に政治の世界に飛び込んでから本当にその通りだと感じたし、父の話を聞いていて、本当に良かったと思う」というのですから、一言でいえば、
習近平は素直である
といってよいと思います。「思想に凝り固まった人間」あるいは「頑固者」という側面があるとしても、そのような側面はわずかであると考えられます。この解釈は曾慶紅の言葉「習近平は各方面から受け入れられるだろう」とも合致します。
最後に、著者は
近平は後年、河北、福建、浙江の各省や上海市の幹部時代、常に周りのことに気を遣い、円滑な人間関係を築いていた。少なくとも相手に嫌われるような関係にならないよう気を配った。これが、中国の最高指導者への道を歩むうえで重要な要素になったことは間違いない。と書いていますが、
この解釈は、「曾慶紅、リー・クアンユーによる習近平の評価」に書いた私の解釈、「(習近平は)誰ともうまくやっていける人間である」とも合致しています。(他の点はともかく)この点については、おそらく間違いないと考えられます。
なお、習近平の幼少時の家族構成については、上記「曾慶紅、リー・クアンユーによる習近平の評価」に簡単な説明があります。そちらもぜひ、ご覧ください。
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