言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

人々はインセンティブに反応する

2011-06-10 | 日記
N・グレゴリー・マンキュー 『マンキュー入門経済学』 ( p.9 )

 第4原理:人々はさまざまなインセンティブ(誘因)に反応する

 人々が費用と便益とを比較して意思決定するということは、費用や便益が変われば人々の行動も変化する可能性があるということである。つまり、人々はインセンティブ(誘因)に反応する。たとえば、りんごの価格が上がったとしよう。りんごを買う費用が高くなったので、人々はりんごを食べる量を減らして梨をたくさん食べるようになる。その一方で、りんご農園の経営者は、りんごを売ることの便益が高まったので、従業員を増やしてより多くのりんごを収穫しようとする。これから学んでいくが、価格が市場(この場合はりんご市場)の売り手と買い手の行動に与える影響こそが、経済がどのように機能するのかを理解するうえで決定的に重要なのである。
 公共政策を立案する人々は、決してインセンティブを忘れてはならない。公共政策は、しばしば人々の直面する費用と便益を変化させることによって、彼らの行動も変化させてしまうからである。たとえば、ガソリンに課税すると、人々はこれまでよりも小さくて燃費のいい車に乗るようになる。さらに、自家用車よりも公共交通機関を利用する人が増えて、職住接近も進むだろう。ガソリン税がとても高くなれば、電気自動車に乗る人も増えてくるかもしれない。
 政策がインセンティブに与える影響を政策立案者が考慮しなければ、その政策は意図せざる結果をもたらす可能性もある。意図せざる副作用の例として、自動車の安全性に関する政策を取り上げてみよう。現在ではすべての車に装備されているシートベルトも、50年前には、ほとんど装備されていなかった。ところが、1960年代に、ラルフ・ネーダーという消費者運動の指導者が『どんなスピードでも危ない』という本を書いたことがきっかけとなって、自動車の安全性に対する大きな社会的関心が生まれた。これを受けて連邦議会は、シートベルトをすべての新車に標準装備することを自動車会社に義務づける法律をつくった。
 シートベルトを義務づけた法律は、自動車の安全性にどのような影響を及ぼしただろうか。直接的な効果は明らかだろう。人々がシートベルトをするようになれば、大きな事故が起こったときの死亡率は低下する。しかし、これで話は終わらなかった。この法律は、インセンティブを変えることで、人々の行動も変えてしまったからである。この場合、行動の変化として考えられるのは、ドライバーが運転するときのスピードと注意深さである。ゆっくりと慎重に運転することは、ドライバーの時間とエネルギーを消費するという費用がかかる。どの程度安全に運転するかを決めるときに、合理的な人は安全運転の限界的便益と限界的費用とを比較する。安全性を高めた場合の便益が高ければ、スピードを落として安全に運転する。こう考えれば、道路がよい状態のときよりも、道路が凍っているようなときのほうが人々が安全運転をすることも説明できる。
 シートベルト法が、合理的なドライバーの費用-便益計算をどのように変えたかを検討しよう。シートベルトをすると、負傷したり死亡したりする確率が下がるので、事故の費用が低下する。つまり、シートベルトはゆっくりと慎重に運転することの便益を低下させるのである。人々のシートベルト法に対する反応は、道路状態が改善されたときの反応と同じで、スピードを上げて軽率な運転をするようになる。したがって、シートベルト法は事故件数の増大をもたらすのである。安全運転の減少は、歩行者に対しては明らかにマイナスの影響をもたらす。彼らは事故に遭う確率が高まるだけで、(ドライバーと違って)追加的な防御策が講じられていないからである。
 一見したところでは、シートベルトとインセンティブに関するこの議論は、いい加減な推測にしかみえないかもしれない。しかし、サム・ペルツマンという経済学者が1975年に発表した論文には、自動車の安全性に関するさまざまな法律が実際にこうした影響の多くをもたらしたことが示されている。ペルツマンのあげた証拠によれば、これらの法律は、事故1件当たりの死亡者数を減少させたが、事故件数を増加させてしまった。総合的な結果としては、ドライバーの死亡者数はほとんど変わらなかったが、歩行者の死亡者数は増加したという。
 自動車の安全性に関するペルツマンの分析は、人々がインセンティブに反応するという一般原則の一例にすぎない。経済学者が研究しているインセンティブの多くは、交通安全に関するさまざまな法律のインセンティブよりももっと直接的なものが多い。ガソリン税が高いヨーロッパで、ガソリン税の低いアメリカよりも小型の車が好まれるのも当然の結果だろう。しかしながら、シートベルト法の例が示すように、法律が事前には予測しがたいような効果をもつこともある。どのような政策を分析するときにも、直接的な効果だけではなく、インセンティブを通じて働くような間接的な効果も考慮に入れなければならない。政策がインセンティブを変えると、人々の行動も変更させることになるのである。


 経済学には、「人々はさまざまなインセンティブ(誘因)に反応する」という原理がある。したがって政策を立案・決定・分析する際には、「直接的な効果だけではなく、インセンティブを通じて働くような間接的な効果も考慮に入れなければならない」と書かれています。



 この原理(または知見)そのものは、「当然のこと」であって、とくに問題はないと思います。

 それではなぜ引用しているかというと、そこで挙げられている例(シートベルト法の例)が意外だったからです。そこには、
 シートベルト法が、合理的なドライバーの費用-便益計算をどのように変えたかを検討しよう。シートベルトをすると、負傷したり死亡したりする確率が下がるので、事故の費用が低下する。つまり、シートベルトはゆっくりと慎重に運転することの便益を低下させるのである。人々のシートベルト法に対する反応は、道路状態が改善されたときの反応と同じで、スピードを上げて軽率な運転をするようになる。したがって、シートベルト法は事故件数の増大をもたらすのである。安全運転の減少は、歩行者に対しては明らかにマイナスの影響をもたらす。彼らは事故に遭う確率が高まるだけで、(ドライバーと違って)追加的な防御策が講じられていないからである。
 一見したところでは、シートベルトとインセンティブに関するこの議論は、いい加減な推測にしかみえないかもしれない。しかし、サム・ペルツマンという経済学者が1975年に発表した論文には、自動車の安全性に関するさまざまな法律が実際にこうした影響の多くをもたらしたことが示されている。ペルツマンのあげた証拠によれば、これらの法律は、事故1件当たりの死亡者数を減少させたが、事故件数を増加させてしまった。総合的な結果としては、ドライバーの死亡者数はほとんど変わらなかったが、歩行者の死亡者数は増加したという。
とあります。要は、シートベルトを義務づけることによって、

   運転者の死亡者数はほとんど変わらなかったが、
   歩行者の死亡者数が増加した、

つまり、

   歩行者も含めて(社会全体で)考えれば
          「かえって危険になった」

ということです。それならシートベルトの義務づけはやめたほうがよい、とは思いませんか?



 シートベルト義務づけは

   運転者にとっては「面倒」で、
   歩行者にとっては「危険」(=死亡者数が増える)

です。こんなものがなぜ義務づけられているのか、なぜ義務づけが続いているのか、それが不思議でなりません。シートベルトの義務づけは、廃止したほうがよいのではないかと思います。



 なお、田中宇氏の本は、とりあえず最後まで通読しましたが、このブログは「批判」を目的として書いているのではありません。必要な部分は吸収したということで(または、吸収したとみなして)次に進みます。

 以前、「きちんと経済学を勉強しろ」というコメントをいただきました。そこで以後、推薦されたマンキューの教科書を読みつつ、経済学の理解を目指します。

 今回の引用は『マンキュー入門経済学』の冒頭に記されている「経済学の十大原理」の一節、第4原理を解説した部分です。第1~第3原理の部分は引用せず、省略しています(飛ばしています)が、あとで10個すべてを簡潔にまとめます。

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
インセンティブ (四葉のクローバー)
2011-06-10 17:29:02
最近、私のインセンティブは
「ビールが放射線に効くらしい」
ですよ。
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Carpool lane (海外)
2011-06-11 06:24:30
Hi guys.

seat belt関連で当地でこんなケースがありました。アメリカのfree wayにはlegal help carpool traffice laneがありまして、混雑時には運転者と同乗者で2人以上であればこのラインを使用できます。一番左のレインで道路にはひし形のマークがあります。

アメリカ人女性がそのラインを使用し捕まり、「自分にはお腹のなかには新しい命が宿っているから2人以上だ」と主張した妊婦さんがいました。違反チケットを切られたくないとはいえ、その主張には無理がありこの世に生まれている同乗者ですからね。お腹の中の子は対象者外なのですが、彼女にしてみればすでに1人生き物といいたいのでしょうが、違反は違反。

アメリカ人とは普通に考えてもそれはおかしいでしょう?という主張をするものです。私も数年前右折違反をしたことがあり(^^:)、その場でポリスいわく「ハンバーグスタイル」か「ピザスタイル」のどちらを選択するか? と。これは実際に食べ物をだしてくれるのではなく、違反者講習の際延々とつづく交通ルール内容にハンバーグやピザが出てくるもので、当時はビデオを朝の8時から12時まで見せられることなのですが、そのつまんない(TT:)内容が終わると午後から講師が受講者の質問に答えるお時間となり、

ある南米系の受講者が、「学校地区は速度25-30に落とせとあるが学校がお休み時期にある夏はスピードを落とさなくても良いのか?」と、、その質問を聞いて私はがっくり こんなのが運転免許をとれたなんて信じられなくて呆然だったのです。他の受講者は親指を下に向けてブーイングする人もいたり(¬¬) 「もうあなた大丈夫系ね」と私も言いたかったのです。、

速度を落とすということはその「地域」に学校があるから安全を図るわけですから、夏休み時期は子供が来ないからは無関係。あまりのばかげた質問に講師もあきれたお顔でしたが、ちなみに当地は移民者がたくさんいますから、それぞれの母国語で筆記試験が受けられます。日本語のもありますが、私には日本語の筆記試験のほうが難しい(^^:))

違反者はポリスに止められると食べ物内容満載の受講をし、その証明書を裁判所に持っていけば罰金と違反チケットが免除されます。8時から5時までつまらない授業を延々と聞きたくなければ2度と違反はするなという意味なのです。しかし退屈な授業だった、だから2度と違反をしないようにと心がけています。
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Unknown (memo26)
2011-06-12 12:53:19
> 四葉のクローバーさん

「ビールが放射線に効くらしい」
http://blog.goo.ne.jp/memo26/e/bdb76ac117dc52aff65734bc04ad51e0

は有益な情報だと(私も)思います。類似の情報としては、次のようなものもあります。こちらは自信作です。

「「食品による内部被曝線量」の計算方法」
http://blog.goo.ne.jp/memo26/e/04da23c76f3ffdfb3aba89ad990caebe
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Unknown (memo26)
2011-06-12 13:03:52
> 海外さん

 食べ物内容満載の講習は楽しそうだと思いますが。。。 私なら「ハンバーグスタイル」と「ピザスタイル」、両方受講したいですね。(^^;) 楽しそうな講習がどんなインセンティブをもたらすかが問題ですが。。。

 ところで南米系の受講者の質問、「学校地区は速度25-30に落とせとあるが学校がお休み時期にある夏はスピードを落とさなくても良いのか?」ですが、これは「スピード制限の根拠」を考えれば「あり得る質問」だと思います。もちろん私はこのような質問はしませんが、このような質問が「おかしい」ということはないと思います。もしかすると私は「おかしい」のでしょうか? (^^;)

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両方は受けられませんのよ。 (海外)
2011-06-13 09:03:09
Hi again.

我が州では16歳から運転免許申請が出来ますので、16歳になるとほとんどの子が申請し、受かれば免許がもらえ、それらのほとんどが運転者となると違反者も同じくらい出ますからね、講習場の人数制限もあり、私が受けた日も80人くらい違反者が来て、それが毎日行われとなれば2つの講習などはそもそも無理、

受講場所は教会や州交通警察署と契約のある建物になり講師は元ポリスや教会牧師など地域に貢献してきた立場となります。当時講習代が$25ですから、講師が80%を受け取り後は講習場を提供した建物の管理者に支払えます。居眠りなどはもってのほかで、胸につけた「何番のだれだれ受講したくないのであれば出て行け」と大声で言われちゃいますからたとえ超すまんないビデオでも見ているふりをしてないと(^^:).

速度を落とす場所には学校区、消防署、病院などがあります。いまや監視カメラはいたるところにありますから、運転中も速度には敏感になりざるえず、学校区の先には急に速度40になったり、のろのろと運転しているとそれも違反対象に、住宅内でのろのろ運転をしていると空き巣者と疑われ、前にも言いましたようにアメリカでは表札が無いので建物番号を探しているとどうしてものろのろ運転になるじゃないですか? 以前地域のパトロール車にどこかのおせかいさんに通報されちゃって、「何をのろのろ走ってんだ」と、訳を話したら親切に目的地のお宅番号に誘導してくれましたけど。

また,ポリスに止められるように指示を受けたら両手はsteering wheel(ハンドルは英語ではない)起き支持があるまで動かないことが原則、勝手に動くと銃を構えられますし、免許書を見せろといわれても、バックを触ってもいいか?とたずねてから、その指示もなくバックや車内を触ると銃をだすのかと思われ撃たれる可能性もあるのです。銃の国アメリカを感じちゃう瞬間ですの。

前に私の後ろでポリスが点滅をし「右でとまれ」と大きな声で、「え~違反して無いのに、、」と思いながら、そうしたら「あんたじゃない」ともうひとつ前の車でした、紛らわしいの何の、運転中に良く感じるのは違反してもいないのにポリスカーが後ろに居るとなんかどきどき、違反した経験があればこそかも(^^:))
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Unknown (memo26)
2011-06-15 11:45:55
 講習が楽しければ、「事故になってもいいや」というインセンティブが生じかねないので、「つまんない」講習のほうがよいのかもしれませんね。私は「楽しそう」だと思いますが。。。
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