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言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

慰安婦問題についての日本政府の見解

2011-01-30 | 日記
外務省」の「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」( 平成5年8月4日 )

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。


 「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。」と書かれています。



 とすれば、櫻井よしこさんの主張と、日本政府の主張とが食い違っていることになります。

 外務省が「いちいち反論するのは面倒」なので「日本が悪かったことにしておこう」と考えたのでなければ、
  • 「本人たちの意思に反して集められた事例」もあれば、
  • 「本人たちの意思に反していなかった事例」もあった、
ということなのでしょう。

 とりあえず、「公的な」内容である外務省の上記記述が「事実」とみるべきかと思います。



 したがって、私は「公的に「慰安婦問題はなかった」ことが確認されている」に述べた意見を変更します。

公的に「慰安婦問題はなかった」ことが確認されている

2011-01-30 | 日記
櫻井よしこ 『異形の大国 中国』 ( p.191 )

 中国が変化を見せつつあるのと同様、米国もまた驚くような変化を遂げつつある。米国議会で展開されている日本に関する議論には、心底驚く。たとえば06年9月14日、下院の国際関係委員会で「日本と近隣諸国との関係」という公聴会が開かれた。

(中略)

 米国下院は9月13日、右と同じ国際関係委員会で「慰安婦問題」の決議案を全会一致で採択、10月上旬にも同案は下院本会議で可決される勢いだ。同案を読んで驚きかつ深く憂えない日本人はいないだろう。民主党のエヴァンズ議員と共和党のスミス議員が提出した同案の内容はざっと以下のとおりだ。
「日本国政府は1930年代から第二次世界大戦にかけて、日本帝国陸軍が直接的及び間接的に、若い女性の隷属を許可し、一部には誘拐を組織することを許可した」
「慰安婦の奴隷化は、日本国政府によって公式に委任及び組織化され、輪姦、強制的中絶、性的暴行、人身売買を伴っていた」
「慰安婦の中には13歳という若さの少女や、自分の子供から引き離され、拉致された(abducted)女性も多く含まれていた」
「多くの慰安婦は、最終的には殺害され、または交戦状態が終了した際に自殺に追い込まれた」
「20万人もの女性が奴隷化(enslaved)され、今日生存するのはその内僅かである」

★日本が成すべき事とは

 米国下院の委員会は右の "事実" を列挙し、日本政府は「この恐ろしい罪について、現在及び未来世代に対して教育し」、「(慰安婦問題はなかったとする)全ての主張に対して公に、強く、繰り返し、反論すべきだ」と決議したのだ。
 これは北朝鮮や中国などの主張をそっくり受けついだものだ。選りに選って、それが同盟国の米国下院本会議で決議されようとしているのだ。
 右の問題は90年代以降、日中、日韓間で大問題をひきおこし、日本国政府は全資料を集めて検証した。当時の河野洋平官房長官、石原信雄官房副長官らを含めて私は広く取材した。駐日韓国大使だった孔魯明(こんのみょん)氏には、ソウルで取材した。そして判ったのは、「日本政府が慰安婦を強制連行した」事実は全くなかったことだ。私は取材結果を『文藝春秋』97年4月号に詳報したが、かつて、政府の調査によって否定された "事実" が、いままた、亡霊のように、米国下院で蘇ろうとしていることに心底、驚きを禁じ得ない。
 この間、一体、日本国政府は何をしてきたのか。歴史問題についてどれだけ、国際社会に事実を明らかにし、伝えてきたのか。政府、外務省の怠慢には度し難いものがある。


 日本国政府によって公的に、「慰安婦問題はなかった」ことが確認されている。それにもかかわらず、米国議会では、慰安婦問題があったことを前提とする決議がなされようとしている。日本政府・外務省は何をしてきたのか、その怠慢には度し難いものがある、と書かれています。



 公的に「慰安婦問題はなかった」ことが確認されている。

 とすると、要は、「強制的に慰安婦にされたわけではない」人々が、戦後になって、「強制的に慰安婦にされた」と言っていることになります。

 「なぜ、ウソをつくのか」が気になりますが、要は、その女性達は「自主的に」売春をしていたと認めたくないために、「強制的に」慰安婦にされた、と主張しているのでしょう。それ以外には考えられません。

 「私のせいじゃない!! 仕方がなかった」というのは、いかにも一部の女性が言いそうなセリフです。「人のせい」にして、自分を「正当化」しようとしているのではないか、と考えられます。



 そして米国で、「事実に反する」決議がなされようとしている(していた)とすれば、その背後には、中国や北朝鮮による「米国への働きかけ」があったものとみられます。

 ウソをついて、日本を貶め(おとしめ)、味方を増やそうとする「作戦」は、「中国の嘘と、詭弁の要素」・「中国における歴史教育」・「南京大虐殺記念館にみる中国の態度と、日本のとるべき態度」などにみたとおりです。

 日本としては、そのような「作戦」に対抗するために、「無視」するのではなく、「事実」を主張しなければならないと思います。「過ぎたこと」に拘泥することを好まない日本人は多いと思いますが、相手側が執拗に「虚偽の宣伝」をしてくるなら、反論しなければなりません。

 そして反論を効果的に行うためには、「詭弁・とぼけ対策を含む「対中マニュアル」が必要」だと思います。



 これはある種の「国難」といえます。日本の英知を結集して、対処しなければならないと思います。



■追記
 「慰安婦問題についての日本政府の見解

「汚職追放」の裏の意味

2011-01-30 | 日記
櫻井よしこ 『異形の大国 中国』 ( p.186 )

 中国国内の権力闘争がひとつの山場を迎えている。中国共産党が06年9月24日、上海市トップの陳良宇党政治局委員を解任したのだ。陳氏は江沢民前国家主席に連なる「上海閥」の有力メンバーの一人だ。この解任は胡錦濤国家主席が江氏一派の権力排除に向けて大きく動き出したことを意味する。
 陳氏解任がいかに重大な意味を持つかは、中国共産党のここ10年ほどの人事抗争を振りかえれば明白だ。
 周知のように江沢民氏は93年の全国人民代表大会で国家主席に選ばれた。だが彼は、89年に党総書記になったときも、その4年後に国家主席になったときも、小平の操り人形にすぎなかった。そんな状況は、しかし、の高齢化とともに変化する。は94年までに認知症に陥り、97年に死去した。
 江氏は、小平の影響力残存を嫌い、一派を排除するのに「汚職追放」の手を用いた。中国共産党は、かつての国民党と同じく、汚職にまみれた組織だ。どの人物もどの派閥も叩けば必ず埃が出る。中国で政敵を追放するのに、汚職ほど万人に当てはまる好都合な材料はないのである。
 中国問題に詳しい東京新聞編集委員の清水美和氏が語る。
「江氏は小平が目をかけた北京市の党委書記、陳希同をまず槍玉に挙げたのです。陳は党政治局委員という非常に高い地位にありました。江氏はこの高位の人間を摘発し、さらに陳の盟友で、小平の国有企業改革の模範的ケースとされた首都鉄鋼のトップの周冠五を汚職で摘発しました。その息子の周北方も逮捕して死刑判決を出しました。死刑は執行しなかったけれど、これは関係者を震え上がらせた。周北方のビジネスパートナーは、小平の息子だったのです」
 これが95年のことだ。江氏はこうした形で一族に "死の恐怖" を味わわせ沈黙させた。そして前述のように、小平はなす術もなく、認知症のまま、97年2月に死去した。

★繰り返される独裁の道

 江氏は03年に胡氏に国家主席の地位を譲ったが、自分の手下を要所々々に置いて去った。前権力者とその係累を迫害した自らの行為の記憶は、後任者が自分にも同じことをするという恐怖につながる。江氏は、自分と一族を守るために、中国共産党の最高権力集団である常務委員会に、呉邦国、賈(か)慶林、曾慶紅、黄菊、李長春の5名の江人脈を残したのだ。常務委員会のメンバーは9名、したがって5名は過半数だ。
 胡氏は、国家主席に就任したものの、最高権力集団は5対4で江派の力が強い。胡氏は少数派であり続けた。にもかかわらず、今回、江派の陳良宇氏の解任が可能になったのは、江派実力者で国家副主席の曾慶紅氏が江氏と袂(たもと)を分かち、胡氏と手を組んだからだと分析されている。
 胡主席が自分の政治を行うには最高政策決定機関、党常務委員会の力関係を江派優勢から自派優勢に変えなければならない。でなければ、胡体制の安定はない。党人事は来年07年秋の全人代で山場を迎える。
 党大会は地方代表の選出から始まる。つまり、党中央人事は地方党組織の人事から始まるわけだ。権力の構図を劇的に変えるという点で、上海市の陳氏解任は、かつて江氏が陳希同氏を槍玉に挙げたのに匹敵する意味がある。中国共産党内の前権力者を叩き潰す闘争は、同じパターンで繰り返されているのだ。


 江沢民は小平の影響力を排除するために、「汚職追放」の手を用いた。そして胡錦濤も同様に、「汚職追放」を口実に江沢民の影響力を排除しようとしている、と書かれています。



 いかに独裁者といえども、政敵を排除するためには「なんらかの口実」が必要であることがわかります。

 誰が見ても「政敵排除」を狙っているな、とわかる場合であっても、「いや。そうではない。汚職を追放し、世の中をよくするためだ」という「口実」がなければ、できないのが人間である、と考えてよいと思います。

 このブログでときどき言及している湯山孝弘弁護士の場合も、(いかに私にとって迷惑であっても)「アドバイスしてやってるんだ!!」という「口実」がなければ、「いままで築き上げてきたものを失わないために」私を黙らせようとする行動ができなかったと考えられます (「弁護士による「詭弁・とぼけ」かもしれない実例」参照 ) 。

 人間とは、こういうものなのかもしれません。



 ところで、今回、注目したいのは胡錦濤が打った手です。

 「中国が集団指導体制に移行した理由と、民主化の可能性」に述べたように、江沢民はわが身とわが一族を守るために、中国共産党を集団指導体制に変え、次期最高権力者の力を弱める手立てを講じていました。これを打破しなければ、胡錦濤は動けません。

 上記引用には、胡錦濤が動けたのは、
江派実力者で国家副主席の曾慶紅氏が江氏と袂(たもと)を分かち、胡氏と手を組んだからだと分析されている。
とあります。

 これが「たまたま」曾慶紅と江沢民の関係が悪化したことによるものなのか、あるいは、胡錦濤による「買収など」によるものなのか、そのあたりが興味深いところです。実際はどうなのか、それは今回の引用ではわかりませんが、(重要だと思われますので) 今後、なんらかの情報をみつけ次第、ブログに書きたいと思います。



 しかし、小平の場合も、江沢民の場合も、「鉄壁」かと思われる「防御策」を講じていましたが、いずれも破られていることがわかります。完璧な策など、もともとあり得ないのかもしれません。このあたりも重要なところだと思います。



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