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中国が集団指導体制に移行した理由と、民主化の可能性

2011-01-29 | 日記
櫻井よしこ 『異形の大国 中国』 ( p.182 )

 江沢民氏が小平の支持によって権力の座についたのは周知のとおりだ。小平は同時に胡錦濤氏を、ポスト江沢民の指導者として指名した。小平によって引き上げられ、支えられて誕生しただけに、江前主席も胡氏を無視するわけにはいかない。
 だが、権力者は権力に脅える。93年に国家主席に就任した江前主席は、94年秋までに小平が認知症の症状を示し始めると、小平の影響力の排除に努めた。小平が目をかけた人々をさまざまな容疑で摘発して、一部を死刑に、或いは長期の刑を科して黙らせ、権力基盤を固めた。
 10年後、国家主席の地位を胡錦濤氏に譲る際、江氏は後継者の手を縛れるだけ縛った。党の最高指導部を構成する政治局常務委員、9名中5名を子飼いの部下で占めた。胡主席は現在に至るもいわゆる「少数与党」的な立場に立たされているわけだ。また、2009年の全国人民代表大会では、中央委員会政治局全員の決議で、「今後も重要な問題は江沢民同志に諮って解決する。彼の決定を基準とする」ことを確認した。
 中国問題に詳しい東京新聞編集局編集委員の清水美和氏は言う。
「その決定では請教(チンジャオ)という語彙、まさに生徒が先生に教えを請うという表現が使われました。胡は江の教えを請うて、それに従って物事を処理するというわけです。これを党内文書で全国に伝達させたのです」
 だが、胡錦濤路線はすでに、明らかに江沢民路線から外れている。江前主席は「三つの代表」の考えを打ち出した。中国共産党は①先進的な生産力、②先進的な文化、③広範な人民の利益を代表するとの考えだ。
 最も重要なのが、中国共産党は、先進的な生産力の代表としての私営企業家をはじめて党員として迎え入れるという①の点だ。だが、これは酷い結果を生み出した。清水氏が語る。
「中国共産党員は全人口の5%にすぎませんが、私営企業家の約3分の1が共産党員です。彼らの殆どは、国営企業の経営者だった共産党員で、MBOを通して、一位にして国営企業を我が物にし、私営企業家に成り上がった人々です」
 MBOはmanagement buy-out、経営者が自社株を買い取る仕組である。国営企業の資産は中国国民の共有財産だ。にもかかわらず、「三つの代表」政策を推進するなかで、多くの共産党幹部らは不当に安い価格で自社株を買うのだ。彼らに資金を貸し出すのはこれまた中国共産党が支配する金融機関である。共産党幹部らは資本調達の苦労もなしに、文字どおり労せずして自分の担当する国営企業の株を買い、一夜にして私営企業のオーナーとなった。共産主義の旗の下で、限りない国民財産の横領が繰り広げられているのだ。
 こうして成り上がった人々が現在の中国のエスタブリッシュメントだ。その代表が江沢民一族であり、氏の長男の江綿恒氏である。

★中国へ断固たる姿勢を

 胡主席は、江沢民路線に対抗して、2003年には科学的発展に基づいた国家の構築、2004年には調和社会の構築を打ち出した。世界中の資源を暴食する中国を、省資源型の国家に作りかえ、富める者は尚富み、権力者は尚権力を強める社会で打ち捨てられてきた農民や貧困層に、富を分配していこうという政策だ。
 路線の違いが、自身と自身の一族の命運に直結するだけに、双方の争いは利権と全命運をかけた血みどろの様相を呈する。そうした中で、対日宥和の姿勢は政治的な隙となり、そこにつけ込まれかねない。二つの勢力の中で、対日政策が常に政敵の足を引っ張り、政界から葬り去る材料とされてきたのは、85年の中曽根康弘首相の参拝を問題視した時から明らかだった。
 折しも、『江沢民文選』全3巻が出版され、「(日本に対しては)歴史問題を始終強調し、永遠に話していかなくてはならない」と書かれていることが明らかにされた。

(中略)

 胡主席は対日政策を変えつつあると思われるが、それでも強調したいのは、江前主席との比較で胡現主席が、民主的で好ましく親日的にもなり得るなどと甘く考えてはならないということだ。そもそも胡主席が小平に見込まれたのは、1989年のチベットの乱のときに、党中央の指示を待つことなく自ら鎧兜を被って戦車に乗り込み、大弾圧の先頭に立ったからだ。僧やインテリを無残に殺したその弾圧の功によって、彼は小平に注目された。異民族に対する血塗られた弾圧が彼の最高権力の地位への出発点だった。到底彼は、私たちが考える民主的な指導者ではあり得ないだろう。


 小平から江沢民へ、江沢民から胡錦濤への権力の継承過程と、江・胡両氏の政策が書かれています。



 現在の中国は集団指導体制になっています。

 その点だけをみれば、毛沢東・小平時代に比べ、中国は民主化が進んでいるといえるでしょう。

 しかし、「なぜ、中国が集団指導体制になったのか」、不思議だと思いませんか? 最高権力者がすべての実権を握る社会の下で、「わざわざ」自分の権力を弱めようとする最高権力者がいるでしょうか? おかしいですよね。

 今回の引用は、その点を考えるヒントになると思います。



 最高権力者だった小平は、後継者として江沢民を指名すると同時に、江の次は胡錦濤である、と「次の次」の後継者まで指名したわけです。

 通常、独裁政権の下では、自分の権力基盤を確固たるものにするために、権力を手にした者は前権力者の権力基盤を剥ぎ取ろうとするはずです。とすれば、小平から江沢民へと権力が移転したあとで、一族は (なんらかの口実で) 抹殺されかねないことになります。

 ここで、小平の立場に立って考えてみてください。小平としては、なんとかしてそれを防ぎたい。それでは、どうすればよいか。後継者が「おかしな」ことをすれば、報復する手段を用意すればよいのです。それでは、どうすれば報復できるか。そうです。「次」の権力者を指名すると同時に、「次の次」の権力者を指名すればよいのです。

 「次」の権力者である江沢民が「おかしな」ことをすれば、江一族は、「次の次」の権力者である胡錦濤によって報復される。この構図を作っておけば、小平の死後も一族は安泰である、と考えられます。

 実際には、上記引用にあるように、江沢民の動きを完全に抑えることはできなかったのですが、それでも、このような構図(仕掛け)を作らないよりは、作っておいたほうが「マシ」だったのではないかと思います。



 さて、今後は江沢民の立場に立って考えてみてください。江沢民としては、小平によって、ある程度手足を縛られています。江沢民が小平を圧倒するほどの実績を残せれば、小平による「次の次」の指名を無視することもできたのでしょうが、江沢民はそこまでの実績を残せなかった。小平があまりに偉大すぎたために、江沢民は小平を圧倒するほどの実績を残せず、小平による「次の次」の指名に従わざるを得なかったわけです。

 さて、あなたが江沢民なら、どうしますか? 江一族は、次の後継者である胡錦濤によって、自分がやったのと同じように (なんらかの口実で) 抹殺されるかもしれないわけです。なんとかして胡錦濤の手足をしばりたい。しかし、小平のように「次の次」を指名する方法ではうまくいきません。自分が「前」権力者だった一族にやったのと同じように、江一族がやられるかもしれないですからね。

 ここでの解決策は、次期権力者になることが確定している胡錦濤の権力を弱める手立てを講じておくことです。

 それには、どうすればよいか? そうです。集団指導体制にしてしまえばよいのです。中国共産党が集団指導体制であれば、すなわち最高意思決定機関たる党政治局常務委員会の多数決によって、すべてが決定される仕組みを確立しておけば、問題は解決します。つまり、最高権力者は小平の指名どおり胡錦濤だが、胡錦濤は自分の一存ですべてを決めることはできず、ナンバー2・ナンバー3など、複数の幹部と協議して意思決定しなければならない、ということにすればよいのです。

 そのうえで、ナンバー2・ナンバー3などの幹部に、自分の子飼いの部下を指名しておくわけです。

 これで江一族は、胡錦濤に権力を渡したあとも安泰です。胡錦濤がなにか「おかしな」ことをしようとすれば、幹部である子飼いの部下たちが反対し、阻止してくれます。



 上記は、あくまでも私の「推測」です。実際には、こういう事情ではなく、ほかの事情によって中国共産党が集団指導体制になったのかもしれません。

 しかし、私の「推測」は、「いかにもありそう」だと思いませんか? この推測、かなりいい線をいっているのではないかと思います。



 そして考えてみてください。

 小平が「次の次」の指導者を選ぶ、その条件です。あなたが小平の立場なら、「次の次」に、どんな人を指名しますか?

 そうです。江沢民が「おかしな」ことをすれば、あとで「報復」してくれる人物です。そのような人物でなければ、「次の次」に指名するわけにはいきません。このように考えたとき、
胡主席が小平に見込まれたのは、1989年のチベットの乱のときに、党中央の指示を待つことなく自ら鎧兜を被って戦車に乗り込み、大弾圧の先頭に立ったからだ。僧やインテリを無残に殺したその弾圧の功によって、彼は小平に注目された。
という意味が、「読める」のではないでしょうか?

 私の分析(推測)が的中しているとすれば、胡錦濤の人物像もイメージできます。そして著者の指摘する結論、すなわち、
 胡主席は対日政策を変えつつあると思われるが、それでも強調したいのは、江前主席との比較で胡現主席が、民主的で好ましく親日的にもなり得るなどと甘く考えてはならないということだ。そもそも胡主席が小平に見込まれたのは、1989年のチベットの乱のときに、党中央の指示を待つことなく自ら鎧兜を被って戦車に乗り込み、大弾圧の先頭に立ったからだ。僧やインテリを無残に殺したその弾圧の功によって、彼は小平に注目された。異民族に対する血塗られた弾圧が彼の最高権力の地位への出発点だった。到底彼は、私たちが考える民主的な指導者ではあり得ないだろう。
という主張も、「正しい」と考えることになります。

 そしてまた、中国共産党が独裁体制から集団指導体制へと変わったことで、一見、民主化が進んでいるかのようにみえるけれども、その根底には「わが身とわが一族を守ろう」という動機・要因があり、このような動機・要因によって動いている以上、中国が完全に民主化されることは「あり得ない」ということになります。完全に民主化してしまえば、「自分達(と一族)がどうなるか、わからない」からです。



 あなたはどう思いますか?



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