言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

中国にとっては、靖国問題は「手段」にすぎない

2011-01-09 | 日記
櫻井よしこ 『異形の大国 中国』 ( p.31 )

 小泉首相は05年5月16日の衆院予算委員会で靖国神社参拝について「他国が干渉すべきでない」と述べた。A級戦犯と言われる人々の合祀を中国から批判されている件については「一個人のために靖国を参拝しているのではない。戦没者全般に敬意と感謝の誠を捧げるのが怪しからんというのは、未だに理由がわからない」と言い切った。
 小泉首相の発言は概ね正しい。理由は、靖国神社問題で日本が譲歩したとしても、日中問題が片づくとは思えないからだ。中国政府は、日本は押せば必ず引く国、叩けば蹲る(うずくまる)国だと見做している。だからこそ、常に押し、常に叩いてくる。押すのも引くのも、それが日本に言うことを聞かせる最善の方法だと考えているからだ。たとえ1%でも日本に隙があれば、そこを突き日本を後退させ屈服させ、自分の主張を通すのだ。
 だが、押すにも叩くにも理由が要る。彼らはその際の最善のカードが歴史問題だと心得ている。だから、日本が靖国で譲れば、教科書問題が出てくる。或いは南京事件も出てくるだろう。尖閣問題も東シナ海の海底資源問題も、どれだけ日本の主張が正しく、国際法上も日本に理があるとしても、中国は自らの非を棚に上げて日本に攻勢をかけ続けるだろう。日本コントロールの方法として押すこと、叩くことが有効である限り、彼らは押すこと、叩くことしか考えない。結果、靖国参拝を中止しても、日中間の問題は解決されないのである。
 靖国問題がどれほど、日本叩きの政治的方便にされてきたかは、歴史をふりかえれば一目瞭然である。

(中略)

 占領が終わり、日本が独立を回復して間もない1953年の8月に、日本を一方的に裁いた東京裁判以下、全ての裁判で刑死、獄死した人々も含めて戦没者とする法改正を行い、遺族には扶助料、恩給を支給した。この法改正は当時の社会党を含む全政党の全会一致で可決した。
 国際法違反の疑いの強い東京裁判で「A級戦犯」とされた人々も靖国神社に合祀すべきだとする決定は1959年3月10日になされた。政府が靖国神社に合祀する人々のリスト、「祭神名票」を靖国神社に送ったのは1969年だった。神社は熟考し、「A級戦犯」を合祀する時期を待った。合祀に踏み切ったのは1978年の秋の例大祭の時だった。
 翌1979年春の例大祭を前に、「A級戦犯合祀」のニュースが報道され、時の首相、大平正芳氏が記者団の質問に答えている。
「(参拝を)人がどう見るか、私の気持で行くのだから批判はその人に任せる」(『「靖国神社への呪縛」を解く』大原康男編著、小学館文庫64ページ)。

(中略)

 中国政府の言うように、もし、本当に、日本の首相の靖国神社参拝が中国国民の心を傷つけ、怒髪天を衝くような烈しい怒りを招くのであるなら、なぜ、直ちにその時から抗議しなかったのか。日中両国は1972年に国交を樹立、78年には平和友好条約を結んだ。現在まで3兆3000億円に迫る他に類例のない政府開発援助(ODA)が本格化したのが当時だった。このとき中国は尖閣諸島問題についても「子々孫々」の世代に「平和的話し合いで解決」しようと言って、尖閣問題を棚上げした。当時の中国が考えていたのは、いかにして援助を引き出すかの一点のみだったのだ。尖閣も靖国も、援助を前に二の次にされたのが実態で、靖国参拝で中国国民の心が傷つくというのは政治的方便にすぎない。
「A級戦犯」の合祀が明らかにされたあとも、大平首相は都合3回、春秋の例大祭に参拝した。後継者となった鈴木善幸首相は3度の8月15日の参拝を入れて計8回参拝した。
 周知のように中国が介入したのは、このあと、1985年8月の中曽根康弘首相の参拝のときだ。中曽根氏はそれ以降、中国の非難を受けて参拝を取り止めた。中国の政治的圧力に正当な理由もなく屈服した氏の行為は決して許されない大きな失敗である。中曽根氏はその失敗を糊塗するかのように、その後現在まで靖国問題で迷走を重ね、今では「A級戦犯分祀論」を主張する。中曽根氏の総理としての功績は高く評価されるべきだが、靖国問題については、氏の犯した失敗は国家としての日本の土台を否定したものであり、余りに深刻だ。氏がその点を正すことなく現在の立場を取り続ければ、氏の経歴には大きな汚点が残ることになる。
 中曽根氏以降、歴代の内閣総理大臣はほぼ全員が靖国問題から目を背け続ける一方で、中国への援助には卑屈なほどに熱心だった。だからこそ、小泉首相が、誰が何と言っても8月15日には参拝すると公約したことが、多くの国民の心を打ったのだ。


 中国政府は、日本は押せば必ず引く国、叩けば蹲る(うずくまる)国だと見做している。だからこそ、常に押し、常に叩いてくる。押すのも引くのも、それが日本に言うことを聞かせる最善の方法だと考えているからだ。その典型例が、靖国参拝問題である。中国にとって靖国問題とは、日本に言うことを聞かせるための方便にすぎない、と書かれています。



 著者によれば、中国にとって「微笑」が相手に油断させ、警戒心を緩めさせるための手段であるのに対し、「靖国問題」や「南京事件」は、相手(=日本)に言うことを聞かせるための手段である、ということになります (「中国の微笑外交」参照 ) 。

 著者が示している根拠は、「A級戦犯」合祀後、初めて大平首相が靖国神社に参拝したとき、「なぜ、直ちにその時から抗議しなかったのか」です。中国にとって「もし、本当に、日本の首相の靖国神社参拝が中国国民の心を傷つけ、怒髪天を衝くような烈しい怒りを招くのであるなら」直ちに抗議したはずである、というものです。

 この主張には説得力があると思います。



 これで著者の考えかたが正しい可能性が、ひとつ、高まりましたが、

 著者の主張は要は、中国にとっては「微笑」も「靖国問題」も「南京事件」も、それが真実であるか否かは問題ではなく、自国を有利にし、相手に言うことを聞かせるための「手段」である、ということです。「微笑」も「中国人民の心が傷つく(=靖国問題)」も、「怒り(=靖国問題)」も、「計算ずく」であり、「トクをするための手段」である、ということになります。



 これはあり得ることだと思います。

 私の個人的な経験でいえば、一弁の湯山孝弘弁護士に、おなじような態度・言動がみられます。私がアドバイスを求めてもいないにもかかわらず、湯山弁護士からトンチンカンなアドバイスをされて困っていると、湯山弁護士は「アドバイスしてやってるんだ!!」と怒鳴ったり、一方的にカネを振り込まれて困っていると、湯山弁護士は「なんだ~あ? あれは? 迷惑だと言ってるのと同じじゃないか!! 温情だーーーっ!!」と怒鳴ったり、「絶対、絶対、絶対、絶対、絶対に許されないことをした」と根拠も示さずに私を非難したりと、

   強硬な態度に出る

こともあれば、私が「それでは警察に行って自首しようと思いますが、警察に行ってもかまいませんか?」「『いままで築き上げてきたものを失いたくないんだ!!』と怒鳴っておられたので、私が警察に行くと、お困りになるのではないかと思い、お尋ねしています」と尋ねると、湯山弁護士は、私の質問には答えず、

   「残念だな」と、がっかりしているふりをする

わけです。

 「残念だな」というのはもちろん、「君(=memo26)が私の気持ちを理解してくれなくて」残念だな、という意味ですが、その前後の(湯山弁護士の)「怒鳴る」態度、および、(湯山弁護士の主張によれば、私は「絶対、絶対、絶対、絶対、絶対に許されないことをした」はずであるにもかかわらず)「警察に行く必要はない」の一点張り、といった状況を総合的に考えると、

   湯山弁護士が「怒鳴る」のも「がっかりしたふり」をするのも、
   相手をコントロールし、言うことを聞かせるための「手段」である、

と言ってよいのではないかと思います。本当に「残念」だと「がっかり」するような人は、「無理矢理アドバイスに従わせようとはしないはず」だと思います。

 (著者の主張する)中国の日本に対する態度は、まさに、湯山孝弘弁護士の私に対する態度に「そっくり」ではないか、と思うわけです。



 したがって、私は、著者の言わんとすることがわかる気がするわけです。

 中国に対して、日本が誠実な態度で接しようとすればするほど、日本は不利になってしまうと思います。「弁護士による「詭弁・とぼけ」かもしれない実例」をご覧いただければご理解いただけるかと思うのですが、詭弁を弄し、とぼけている相手に対して、誠実に接するのは、かなり「むなしい」ものです。「むなしい」のみならず、日本がますます不利になると思います。

 つまり私は、いまの日本の対中外交は、日本にとって不利である、と考えています。中国に対しては、日本は強硬な態度もいとわない姿勢をとるべきではないかと思います。



 なお、著者は尖閣問題について、
日中両国は1972年に国交を樹立、78年には平和友好条約を結んだ。現在まで3兆3000億円に迫る他に類例のない政府開発援助(ODA)が本格化したのが当時だった。このとき中国は尖閣諸島問題についても「子々孫々」の世代に「平和的話し合いで解決」しようと言って、尖閣問題を棚上げした。当時の中国が考えていたのは、いかにして援助を引き出すかの一点のみだったのだ。尖閣も靖国も、援助を前に二の次にされたのが実態で、靖国参拝で中国国民の心が傷つくというのは政治的方便にすぎない。
と書いておられます。つまり、ここにも中国の「打算」があると主張されています。

 この主張は、中国人が書いた本『中国は崩壊しない』にも書かれています。中国ではこれを「韜晦之計」と呼ぶようです。



■追記
 タイトルを「中国にとっては、靖国問題は「手段」にすぎない」に変更しました。